8月6日は、ドイツ出身でアメリカ・ニューヨークを拠点に活動した、歌手のクラウス・ノミの命日です。70年代から83年に亡くなるまで活動し、その奇抜なメイクと歌唱は後進に影響を与えた。1983年8月6日没。39歳。
クラウス・ノミ(Klaus Nomi, 1944年1月24日 - 1983年8月6日)は、ドイツ出身でアメリカ・ニューヨークを拠点に活動した歌手。本名はクラウス・シュペルバー(Klaus Sperber)。そのスタイルはオペラ、ニュー・ウェイヴ、ディスコなど多岐にわたる。エイズで死亡した最初の著名人としても知られる。
10代の頃にマリア・カラスなどのオペラやポップミュージックに影響を受け、オペラ歌手を志すもその望みはかなわず、菓子職人の道を選んだ。その傍らエッセン劇場でエキストラとしても働いていた。その後ベルリンに移住してボーカルを学んだ後、ゲイ向けディスコ「テッククライストカジノ」でオペラアリアを歌う傍ら、ベルリン・ドイツ・オペラで案内役として働いていた。1972年にベルリンの音楽学校を卒業するが彼を受け入れる劇場はなく、翌1973年にニューヨークに移住する。
ニューヨークではカウンター・テナーとしての教育を受け、同時期にクラウス・ノミという芸名を与えられマンハッタンの地下劇場でライブ活動を行う。並外れたパフォーマンスと才能でニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで認められるようになった。ここでは歌手活動の傍らホテルのパティシエもしており、菓子作りの腕は職人並でケーブルテレビなどで紹介されたりもした(得意な菓子はライム・タルト)。
1978年にデヴィッド・ボウイに見出され、翌1979年からボウイのバックコーラスとしてパートナーのジョーイ・アリアスとともに抜擢され、テレビ出演時に「歌う菓子職人」として注目される。テレビ出演直後のライブでは会場に大量のファンが押し寄せるようになり、満を持して1980年にシングル「Keys of Life」でレコード・デビューする。そして1981年にはファーストアルバムの『Klaus Nomi』を発表。音楽番組「Bio’s Bahnhof」でドイツのテレビに初めて出演する。1982年にはセカンドアルバム『Simple Man』をリリースするが、既にこの頃にはHIVに感染しており、自身の身体はすっかり衰弱していた。同年末のドイツでのツアーを終えてニューヨークに戻った後の1983年8月6日夜、マンハッタンの病院でジョーイ・アリアスに看取られながらエイズにより39年の生涯を終えた。ノミの遺灰はニューヨークの街に撒かれた。
死後、その存在を知る者はきわめて少なくなり完全に忘れ去られたと思われていたノミだが、2005年には関係者などの証言などを集めたドキュメンタリー映画「ノミ・ソング」(The Nomi Song)が製作、上映され、再び注目を集めた。