ラベル ブラック・サバス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ブラック・サバス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月27日木曜日

ニール・マーレイ (ベーシスト)



8月27日は、イギリスのスコットランドのミュージシャン・ベーシスト・コンポーザーである、ニール・マーレイ(Neil Murray)の誕生日です。1977年にホワイトスネイクのメンバーとなり知名度を上げる。以降、ゲイリー・ムーア、ブラック・サバス、ブライアン・メイ・バンド等に参加、特に1987年には日本のヘヴィメタルバンド「VOW WOW」に加入している。現在まで様々なバンドに参加している。

ニール・マーレイ(Neil Murray、1950年8月27日 - )は、イギリスのスコットランドのミュージシャン。ベーシスト・コンポーザー。

1973年にカンタベリー・ロックのアラン・ゴーウェンに招かれてギルガメッシュの活動でレコーディングのキャリアを開始している。

1974年にはクライヴ・チャーマンの推薦により、後にボブ・マーリー・アンド・ザ・ウエイラーズのギタリストとなるジュニア・マーヴィン(ジュニア・ハンソン)のアメリカ・ツアーに参加し、レコーディングにも参加。更にチャーマンはコージー・パウエルにマーレイを推薦してバーニー・マースデン、ドン・エイリーとともにのコージー・パウエルズ・ハマーの活動を開始している。

1976年にコロシアムIIに参加してアルバムを残したものの解雇されている。

1977年にバーニー・マースデンの推薦によりデイヴィッド・カヴァデールのホワイトスネイクのメンバーとなりグループ在籍中にスタジオ作品、ライブ・アルバムを発表して名声を得る。

1982年にホワイトスネイクは、カヴァデールの一身上の都合により活動休止。ソロのキャリアをスタートしたゲイリー・ムーアのバンドにイアン・ペイスと共に契約する。

1983年12月にはコリン・ホッジキンソンの後任としてホワイトスネイクへと復帰する。ジョン・サイクス、コージー・パウエルとともにツアーを行いアルバム『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』を制作後、1986年8月に再びグループから解雇される。

1987年5月に渡英したVOW WOWに加入し、同年発表のアルバム『V』と1988年発表のアルバム『VIBe』に参加。演奏のみならずいくつかの曲で作詞も担当した。英国と、欧州と日本での公演の後1989年3月にVOW WOWとの契約を終結させている。

1989年5月にはブラック・サバスのライブ・ツアーに参加。グループのメンバーとなりアルバム『ティール』を録音している。

マーレイはコージー・パウエルとともにクイーンのブライアン・メイのソロ・プロジェクトのバンドに参加している。

その後はバンドのメンバーとして参加しながらもセッションもしくは、オーディション担当のプレイヤーとして様々なミュージシャンの育成を手がけるようになっている。最近ではミュージカル『ウィ・ウィル・ロック・ユー』に参加した。2010年1月には、マイケル・シェンカー・グループの30周年記念ツアーのメンバーとして来日している。

引用元:ニール・マーレイ - Wikipedia





















2026年8月21日金曜日

グレン・ヒューズ (元 ディープ・パープル)



8月21日は、イギリス出身のベーシスト・ボーカリストのグレン・ヒューズ(Glenn Hughes)の誕生日です。1973年にディープ・パープルに加入、デイヴィッド・カヴァデールとともに活躍したのが最も有名。1970年にトラピーズのメンバーとしてデビュー、1982年にギタリストのパット・スロールと共にヒューズ/スロール結成、1986年にはボーカリストとしてブラック・サバス(トニー・アイオミのソロ)「セヴンス・スター」に参加、2002年にはジョー・リン・ターナーとのヒューズ・ターナー・プロジェクト、2010年にはブラック・カントリー・コミュニオンを結成し活躍したが、2026年8月にライヴ活動からの引退を表明。

グレン・ヒューズがツアー/ライヴ活動からの引退を表明。数々の名演を生んだキャリアを振り返る | NEWS | BURRN! ONLINE

グレン・ヒューズ(Glenn Hughes、1951年8月21日 - )は、イギリス出身のベーシスト兼ボーカリスト。1970年にトラピーズのメンバーとしてデビューし、1974年に第3期ディープ・パープルに加入して世界的な注目を浴びた。

2025年現在に至るまで、様々なバンドやプロジェクトでの活動と並行してソロ名義の活動を続けている。

1968年、トラピーズにベーシスト兼ボーカリストとして加入して、レコーディング・キャリアをスタート。

1973年、ヒューズはロジャー・グローヴァーの後任の3代目ベーシストとして、第3期ディープ・パープルにスカウトされた。彼はソウルフルな声を持つボーカリストとしての実力も発揮して、同時期に加入したデイヴィッド・カヴァデールと時としてリード・ボーカリストの任を共有した。

1976年、第4期ディープ・パープルが解散。ヒューズはソロ活動を始め、翌1977年7月、トラピーズ時代の同僚と制作した初のソロ・アルバム『燃焼』を発表。その後、活動の拠点をアメリカへ移した。

1982年にギタリストのパット・スロールと共にヒューズ/スロール名義で作品を発表。

1985年にはボーカリスト兼ベーシストとしてゲイリー・ムーアの『ラン・フォー・カヴァー』、1986年にはボーカリストとしてブラック・サバスのトニー・アイオミのアルバム『セヴンス・スター』に参加する。

2002年にはジョー・リン・ターナーとのヒューズ・ターナー・プロジェクトを開始し、その後、自身のソロ・バンドにレッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスを迎えて、『ソウル・ムーヴァー』(2005年)などの作品を発表した。2010年にはジョー・ボナマッサ、デレク・シェリニアン、ジェイソン・ボーナムと共にブラック・カントリー・コミュニオンを結成。

引用元:グレン・ヒューズ - Wikipedia























2026年8月19日水曜日

イアン・ギラン (ディープ・パープル)



8月19日は、イングランド出身のロック・シンガーである、イアン・ギラン(Ian Gillan)の誕生日です。ハードロックバンド「ディープ・パープル」のリードボーカリストとして知られる。ブルースをベースにしながら金切り声を立てる独特のヴォーカル・スタイルが特徴。

イアン・ギラン(Ian Gillan、1945年8月19日 - )は、イングランド出身のロック・シンガー、コンポーザーである。身長185cm。

ハードロックバンドの「ディープ・パープル」のメンバーとして知られる。2016年、同バンド名義でロックの殿堂入り。

1969年7月、エピソード・シックスの同僚のロジャー・グローヴァーと共に第2期ディープ・パープルに加入して、ヴォーカルとパーカッションを担当。ブルースをベースにしながら金切り声を立てる独特のヴォーカル・スタイルを披露、後続のハードロック、ヘビーメタル系・シンガーに大きな影響を与えた。

ディープ・パープル在籍中の1970年、イエス・キリストの最後の7日間を描いたミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のオリジナル・キャストのアルバム『ジーザス・クライスト・スーパースター』の録音に参加し、主人公イエス・キリストの役を務めた。

ディープ・パープルを脱退し、音楽業界から退いてモーター・サイクルとホテルの多角経営に従事した。1975年10月16日、グローヴァー主催の『バタフライ・ボール』のコンサートで音楽業界への復帰を果たす。

1976年、イアン・ギラン・バンドを結成して音楽活動を再開、即興的な音楽からの影響を導入して、ディープ・パープルとは趣の異なるジャズ・ロック・スタイルの楽曲を披露。

1978年にイアン・ギラン・バンドを解散。新たな編成によるギランを結成する。

1983年、突如ブラック・サバスに加入してアルバム『悪魔の落とし子』を制作。

1984年4月、第2期のメンバーによるディープ・パープルの再結成に参加する為に、ブラック・サバスを脱退した。

ギランはアルバム『パーフェクト・ストレンジャーズ』(1984年)、『ハウス・オブ・ブルー・ライト』(1987年)の制作に参加。しかし再びブラックモアと対立し、1989年に解雇された。

1992年、アルバム『紫の聖戦』の制作中に復帰してレコーディングを完成させる。

ギランの復帰にあくまでも反対していたブラックモアはヨーロッパ・ツアー前半、11月下旬のヘルシンキ公演終了後に突然脱退。残されたメンバーは急遽代役にジョー・サトリアーニを迎えて2週間後の日本公演を乗り切り、1994年にブラックモアの正式な後任にスティーヴ・モーズを迎えて活動を継続した。

引用元:イアン・ギラン - Wikipedia


2026年8月12日、ニューヨーク州ワンタフのノースウェル・アット・ジョーンズ・ビーチ・シアターで行われたディープ・パープルの公演にゲストとして出演し、代表曲「Smoke on the Water」を演奏した。共演に先立ち、ブラックモアがイアン・ギランにアンコールで1曲だけ演奏したいと申し入れ、ギランがバンドに提案したところメンバーからも了承を得て実現した。ブラックモアがディープ・パープルと共演するのは1993年以来で、33年ぶりのステージ共演となった。

引用元:リッチー・ブラックモア - Wikipedia

























2026年7月22日水曜日

オジー・オズボーン (ブラック・サバス)



7月22日は、イングランド出身のヘヴィメタル・ミュージシャン、シンガーソングライターである、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の命日です。「ブラック・サバス」および自身のソロ・バンドでヴォーカリストを務めた。2025年7月22日に冠動脈疾患とパーキンソン病を患った末の心臓発作により死去。76歳没。

ジョン・マイケル・"オジー"・オズボーン(John Michael "Ozzy" Osbourne、1948年12月3日 - 2025年7月22日)は、イングランド出身のヘヴィメタル・ミュージシャン、シンガーソングライター。ブラック・サバスおよび自身のソロ・バンドでヴォーカリストを務めた。2023年に第65回グラミー賞において、最優秀ロック・アルバム賞(『ペイシェント・ナンバー9』)と最優秀メタル・パフォーマンス賞を受賞。2024年4月21日にはロックの殿堂の「パフォーマー部門」で殿堂入り。

1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン=ヴォーカル、トニー・アイオミ=ギター、ギーザー・バトラー=ベース、ビル・ワード=ドラム)はバンド名をブラック・サバスへと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画『BLACK SABBATH』から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム『BLACK SABBATH(邦題:黒い安息日)』でデビュー。

1977年、一度脱退するがすぐに復帰。その後、1978年12月に正式に脱退(解雇)しソロに転向する。この時期オジーは「このころの記憶がほとんどない」といわれるほど酒や薬物に溺れ、重ねて父の死が精神的に大きなダメージを与え、日常生活にも支障をきたしかねない状態となっていた。

1979年、ソロ活動を開始。今は亡きギタリスト、ランディ・ローズともこのころ活動する。ソロ活動第一作目の『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』は、「ブリザード・オブ・オズ」がバンド名と勘違いされたこともあるが、厳密には勘違いではなく、契約上の問題やプロモーション戦略上の観点から最終的にクレジットしなかったバンド名である。ちなみに英国盤のファースト・シングルにはこの名がバンド名として記載されている。しかし、ランディは1982年3月19日、飛行機事故でその短い生涯を終える。その後はジェイク・E・リーを筆頭に有能な若手ギタリストを発掘してメンバーに加えることが慣例化する。

1997年、オリジナル・メンバーによるラインナップで再結成し、19年ぶりに復帰。オズフェストのヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤『REUNION』を発表。

2004年、2005年、オズフェストのヘッドライナーを務める。前座に2004年はジューダス・プリースト、2005年はアイアン・メイデンが協力した。そして2017年、バンドは約50年に渡る活動の幕を閉じた。

2025年2月、オリジナル・メンバーによるブラック・サバスとして、またソロとしてのキャリアを締めくくる最後のコンサートの開催を正式に発表。

ラストライブから17日後の同年7月22日にイギリスで死去したことが家族によって公表された。死因について家族は公表していなかったが、ニューヨーク・タイムズ紙が死亡証明書を入手し、冠動脈疾患とパーキンソン病を患った末の心臓発作による死去であったと報じた。同年7月30日には故郷バーミンガムのブラック・サバス橋付近での葬列には大勢のファンが最後の別れを告げるために駆けつけ、地元のブラス・バンドによる「Iron Man」「Crazy Train」が演奏された。翌31日には家族葬がそれぞれ行われ、自宅付近の湖の近くに埋葬された。

引用元:オジー・オズボーン - Wikipedia





























2026年5月16日土曜日

ロニー・ジェイムス・ディオ (レインボー、ブラック・サバス、ディオ)



5月16日は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライターである、ロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio)の命日です。主にハードロックバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」そして自身のバンド「ディオ」のリードボーカリストとして70年代から2000年代にかけて活躍した。特に日本では「ヘヴィメタル界の北島三郎」と呼ばれ親しまれた。2010年5月16日、ヒューストンで死去。67歳没。

ロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio、本名:ロナルド・ジェームズ・パダヴォナ Ronald James Padavona、1942年7月10日 - 2010年5月16日)は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライターである。

主にHR/HMバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」の元ヴォーカリストとして知られ、自ら率いた「ディオ」でも活動した。

非常に張りのある中音域を特徴とする伸びのある声を持ち、時に演劇的ですらあるドラマチックな発声を行なうことによって、いわゆる様式美系ヘヴィメタルの教祖として大きな存在感を示した。欧米人の中では比較的小柄ではあるが、声量があり最晩年まで非常にパワフルな歌唱を聴かせていた。「絶対音感のヴォーカリスト」と称され、ステージでも故意のフェイク以外では音程を外さなかった。これは、幼少期からトランペットのトレーニングを受けてきたことが素地になっているという。また、膨大な量のオペラを聴いて育ち、特にマリオ・ランツァから大きな影響を受けている。

60歳を超えても精力的な活動を続けたので、メタル界のゴッドファーザーと呼ばれた。日本では「演歌の様にこぶしを効かせた歌い回し」で圧倒的な存在感を示したことから、「ヘヴィメタル界の北島三郎」と呼ばれ親しまれていた。

メロイックサインをヘヴィメタル界に広めた人物である。

2010年5月16日午前7時45分(米中部夏時間)、ヒューストンで死去。享年67歳。

引用元:ロニー・ジェイムス・ディオ - Wikipedia

























人気の投稿(過去7日間)