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2025年11月26日水曜日

小林千登勢



11月26日は、女優・タレントの小林千登勢(こばやし ちとせ)の命日です。1958年にNHKと専属契約を結び、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。フリーとなってからもテレビを中心に活躍した。2003年11月26日、多発性骨髄腫による心不全のため死去。66歳没。

小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優、タレント。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。

朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。

共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。

1965年、俳優の山本耕一と結婚。1972年、一人娘・麻利央を出産。

フリーとなってからもテレビを中心に活躍し、1986年からは『おはようワイド・土曜の朝に』では3年2か月司会を務め、『象印クイズ ヒントでピント』では1981年から13年間レギュラー解答者として出演する。特に後者では気さくで飾らない人柄のせいか、司会の土居まさるからは「おっかさん」と呼ばれ親しまれた。

また、引き揚げ体験を題材にしたエッセーや童話を発表するなど、マルチな才能を発揮した。社会派昼ドラマ「わが子よ」シリーズでは、全シリーズで母親役を務め、ライフワーク的作品となった。

1997年、疲労を訴え病院で血液検査を受けたところ「骨髄腫」の疑いありと診断(担当医師は夫の山本に「骨髄腫ならば余命5年」と宣告していた)。2000年には「多発性骨髄腫」と小林本人にも正式に診断結果を告知。死の約1年前からは腰痛の悪化に苦しむなど、闘病生活を送りながら芸能活動を続けていた。

2003年11月26日午前0時27分、多発性骨髄腫による心不全のため、東京都内の病院で死去。66歳没。

引用元:小林千登勢 - Wikipedia























2023年9月30日土曜日

斉藤こず恵



9月30日は、女優・声優・ブルース歌手の斉藤こず恵の誕生日です。元子役出身で1976年にはシングルレコード「山口さんちのツトム君」が大ヒットした。

斉藤 こず恵(さいとう こずえ、1967年〈昭和42年〉9月30日 - )は、日本の女優(子役出身)・声優・ブルース歌手。東京都国分寺市、武蔵野市出身。プロダクション・エース所属。

1971年、3歳で劇団若草に入団。同期に坂上忍と杉田かおるがいた。また今でも坂上忍とは幼馴染みとして親しく付き合っており、坂上のことは「しーちゃん」と呼んでいる。

1974年にNHK総合で放送された朝ドラ『鳩子の海』で主人公・鳩子の少女時代を演じ、最高視聴率53.3%を記録し天才子役として一躍有名になる。1976年にはシングル「山口さんちのツトム君」が大ヒットする。

また同年にTBSドラマ「夜明けの刑事」第83話「山口さんちのツトム君誘拐事件」と題した作品でツトム君役の坂上忍と共演している。

中学生になり芸能活動を休止。

1996年にニューヨークで数店舗の店を経営するアメリカ人の実業家と結婚し「玉の輿」として話題になったが、日本にいる家族の介護のため帰国。ストレスから激太りし、2000年に著書『太っていたっていいじゃない』を出版した。夫と離れ離れの生活が続き2002年に離婚。

劇団若草時代の同僚と演劇集団「Stinky Project」を立ち上げ、現在は食事療法を続けながら女優・声優・歌手として活動している。

2016年に開校した小中学生を対象にした声優養成所「YOUボイス・アクターズスタジオ」で水島裕らと共に講師を務めている。

引用元:斉藤こず恵 - Wikipedia






それ行け!カッチン - Wikipedia


山口さんちのツトム君 - Wikipedia







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