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2024年1月25日木曜日

荒木由美子



1月25日は、歌手・女優・タレントの荒木由美子(あらき ゆみこ)の誕生日です。

荒木 由美子(あらき ゆみこ、1960年1月25日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。堀越高等学校卒業。愛称は「由美ちゃん」。身長153cm。血液型はB型。夫は歌手の湯原昌幸。湯原との間に息子が1人いる。所属事務所はハブ・マーシー。

1976年(昭和51年)、『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』にて、小川順子の「過ち」を歌い審査員特別賞を受賞(グランプリは榊原郁恵)。

翌1977年6月10日、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からアイドル歌手としてデビューした。デビュー曲は『渚でクロス』(オリコン最高56位、4.4万枚のセールスを記録)。同年デビューの女性歌手で、当時「フレッシュ3人娘」と呼ばれた榊原郁恵・清水由貴子・高田みづえらと共に、各音楽賞の新人賞を獲得した。

その後女優・タレント業に転じる。特に、1979年より放送された自身主演ドラマ『燃えろアタック』(テレビ朝日系列)で人気を博す。(2013年に傑作選Vol.1~Vol.3として、全71話のうち36話がDVD化)のちに中国でも『燃えろアタック』が『排球女将』というドラマ名で放送され、視聴率80%以上を記録する大ヒットとなった。1979年、年鑑女性アイドルのマルベル堂でのブロマイド売り上げ、第5位を記録した。

1983年に歌手・タレントで13歳年上の湯原昌幸と結婚、芸能界を一時引退(なお主婦業専念時も、夫の湯原と共に洗剤のテレビCMなどに出演していた)。しかし、結婚後わずか2週間で倒れた義母を20年に渡って介護する。その後、自身の介護体験を基に「覚悟の介護」を出版。これを機に2004年から芸能活動に復帰。湯原とは今昔変わらぬ夫婦仲のよさで知られ、旅番組など夫婦でのテレビ番組やCMでも多数共演している。

2007年5月30日、夫の湯原とのデュエット曲『千年の旅人』(湯原のミニアルバム『途中駅~Never Ending Life~』の収録曲)を発表、27年ぶりに歌手活動を再開させた。

2017年12月6日、ソロとして37年ぶりの新曲『私はブランコ』をリリース。同曲はNHK『みんなのうた』の2017年12月~2018年1月期の新曲に選出された。

引用元:荒木由美子 - Wikipedia










燃えろアタック - Wikipedia






湯原昌幸と共に



2023年9月13日水曜日

堀江しのぶ



9月13日は、タレント・女優・歌手として80年代に活躍した、堀江しのぶの命日です。1988年9月13日没。23歳。

堀江 しのぶ(ほりえ しのぶ、1965年〈昭和40年〉8月18日 - 1988年〈昭和63年〉9月13日)は、日本のタレント、女優、歌手。本名は堀部 しのぶ(ほりべ しのぶ)。愛知県西春日井郡西枇杷島町(現:清須市)出身。血液型はA型。

市邨学園高蔵高等学校(現:名古屋経済大学高蔵高等学校)在学中の1983年(昭和58年)、クラリオンガールコンテストで平凡パンチ・アイドル賞を受賞、黒澤プロモーション(のちのイエローキャブ)に所属する。翌1984年4月25日には「ビキニ・バケーション/BOY」(キティレコード(現:ユニバーサルミュージック)、作詞:売野雅勇、作曲:松田良)で歌手デビュー。同楽曲は第10回日本テレビ音楽祭・新人賞部門にノミネートされている。

明るいキャラクターと健康的なプロポーションで人気アイドルとなり、ドラマやバラエティで活躍していた。巨乳ブームの先駆けでもあった。

1987年(昭和62年)頃、堀江は自ら「もう少し細くなりたい」とダイエットを試みていた。ところが1988年(昭和63年)の始め頃から腹痛や食欲不振などの体調不良を訴え、同年4月8日に東京都内の病院で診察を受けた後、翌9日に緊急入院した。当初、病名は「卵巣嚢腫(のうしゅ)」と発表されていたが、入院時には堀江は既にスキルス性胃癌(いがん)が卵巣にまで転移した末期癌の状況で、さらに6リットルもの腹水が溜まって癌性腹膜炎も併発しており、「余命2か月」との診断が下された。その後、一部週刊誌が堀江の重病説を報道していたものの、堀江が所属するイエローキャブの社長・野田義治や家族の意向もあり、堀江本人には本当の病名は最後まで告知されなかった。

堀江の病状は一旦回復し、1988年5月頃に名古屋市南区にある中京病院へ転院。一時外出の許可が下り、母親と買い物に出るなどしていたが間もなく容体が悪化。1988年8月18日、堀江は23歳の誕生日を病室で迎えたものの、ベッドからも自力で起き上がれない状態だった。それから26日後の1988年9月13日午前4時28分、スキルス性胃癌のため死去。戒名は「麗光貞忍大姉」。また、堀江の生涯最期の言葉は「私、仕事がしたい…」だったという。その言葉を聞いた野田は「しのぶ、仕事はたくさんあるからな。仕事、しような…」と優しく言ったが、堀江がそれに答えることはなかった。

引用元:堀江しのぶ - Wikipedia















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