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2026年3月23日月曜日

犬塚弘 (ハナ肇とクレージーキャッツ)



3月23日は、俳優・ベーシストでコミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーであった、犬塚弘(いぬづか ひろし)の誕生日です。「ハナ肇とクレージーキャッツ」で最後まで存命だった人物。お笑いやベーシストとしてのみならず、俳優としても活動をしていた。2023年10月27日、94歳で亡くなった。

犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。

コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。

引用元:犬塚弘 - Wikipedia





















2025年8月9日土曜日

佐藤蛾次郎



8月9日は、俳優・タレントの佐藤蛾次郎(さとう がじろう)の誕生日です。アフロヘアーと髭がトレードマークであった。「男はつらいよ」で寅次郎の舎弟・源ちゃんとしてもおなじみ。2022年12月9日、ヒートショック現象に起因する虚血性心不全のため亡くなる。78歳没。

佐藤 蛾次郎(さとう がじろう、1944年〈昭和19年〉8月9日 - 2022年〈令和4年〉12月9日)は、日本の俳優・タレント。

大阪府高石市出身。本名は佐藤 忠和(さとう ただかず)。E・NESTO所属。息子は俳優の佐藤亮太。

1953年に朝日放送児童劇団に入団する。1961年に『神州天馬侠』の泣き虫蛾次郎を演じてから、芸名を佐藤 蛾次郎とする。

1968年にはテレビドラマ『男はつらいよ』に出演。1969年からは『男はつらいよ (映画)』に柴又題経寺の寺男・源吉(愛称:源公、源ちゃん)役で出演。最新作の2019年まで出演し続け、本シリーズに欠かせない存在となる。ファンからは全50作全てに出演したと思われているが第8作の『男はつらいよ 寅次郎恋歌』のみポスターに名を重ねているものの撮影直前に交通事故に遭い緊急入院したため出演していない。2018年11月4日に開かれた「寅さんサミット」で佐藤は当時のことについて「(自分が)助手席に乗っていたBMWが、100キロでガードレールに突っ込んじゃった。肋骨が5本折れた」と告白し、「2か月の重体。ワンカットも出られない。しょうがないね」と残念な想いを語っている。

1970年代から1980年代にはアフロヘアーにしていたが、『柳生一族の陰謀』、『戦国自衛隊』、『服部半蔵 影の軍団』などの時代劇でも丁髷のカツラを被らず、人の良い男をコミカルに演じ、そのヘアスタイルは佐藤の売りにもなっていた。

2022年12月10日午前10時過ぎ、東京都世田谷区の自宅浴室で風呂に浸かった状態で動かなくなっているのを親族が発見し、その場で死亡が確認された。死因はヒートショック現象に起因する虚血性心不全とみられている。78歳没。死亡日は9日と診断された。

引用元:佐藤蛾次郎 - Wikipedia



















2025年7月2日水曜日

浅丘ルリ子



7月2日は、女優の浅丘ルリ子(あさおか ルリこ)の誕生日です。昭和を代表する女優の一人である。

浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名:浅井 信子(あさい のぶこ)、1940年〈昭和15年〉7月2日 - )は、日本の女優。血液型はA型。前夫は石坂浩二。カラント(舞プロモーション関連)所属。

読売新聞に連載されていた北条誠の小説(挿絵は中原淳一)『緑はるかに』を水の江瀧子プロデュース・井上梅次監督で映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に知り、両親賛成のもと応募。11月23日に面接が行われ約3,000人の中から中原淳一が浅丘のメイクを見て「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれ銀幕デビュー。芸名は、『緑はるかに』のヒロインのルリコと、本人の本名から「浅」の1字をとり、『緑はるかに』のイメージから「丘」という字をつけて、「浅丘ルリ子」となった。「ルリコカット」が当時の女性たちの間で大流行し、瞳の大きな美少女として脚光を浴びる。

日本映画全盛期の日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや、石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。

1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした。日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。現在までの映画出演本数は150本以上。

1966年には日活との専属契約を解消し、石原プロへ入社。1972年、石原プロが劇場用映画製作から撤退したことにより石原プロ退社。また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表、1969年のシングル『愛の化石』はヒットした。

その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部〜第三部』、『告白的女優論』、『鹿鳴館』、『博士の愛した数式』などの映画の話題作に出演した。特に、映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数えた。渥美清の最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。

1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、泉鏡花の作品などに出演している。

引用元:浅丘ルリ子 - Wikipedia



























2025年3月26日水曜日

後藤久美子 (女優・モデル・タレント)



3月26日は、女優・モデル・タレントの後藤久美子(ごとう くみこ)の誕生日です。歌手活動も短期間だが経験している。所謂美少女ブームである「ゴクミブーム」を巻き起こした。レーサーのジャン・アレジとは2022年現在も婚姻手続きはとっておらず「事実婚」の夫婦であるということだ。

後藤 久美子(ごとう くみこ、1974年〈昭和49年〉3月26日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。愛称はゴクミ。東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。

小学校5年生のときからモデルを始め、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビューする。第24回ゴールデンアロー賞 放送・新人賞を受賞。翌1987年、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』にドラマの主役・伊達政宗の妻・愛姫の少女時代役で12歳の子役として出演し、現在もNHK大河ドラマ史上最高視聴率である『独眼竜政宗』の「政宗ブーム」も後押しし、美少女ブームである「ゴクミブーム」が起きた。この成功をきっかけに所属芸能事務所オスカープロモーションは同1987年から美少女オーディションコンテストである「全日本国民的美少女コンテスト」の開催を開始し、同コンテストから米倉涼子などの人気女性芸能人多数が誕生し、オスカープロモーションの代名詞となった同コンテストは2017年まで30年間続いた。「ゴクミ」の流行語は、同1987年12月の『新語・流行語大賞』の流行語部門で銅賞に選ばれた。

映画出演作に『男はつらいよ』(松竹)、『ラブストーリーを君に』(東映)、『ガラスの中の少女』(東映)、『シティーハンター』(アメリカ・香港合作)などがある。『男はつらいよ』シリーズには、6回に渡り同役で出演し、実現しなかった第49作『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』にも出演が予定されていた。

1995年にフランス人F1レーサーのジャン・アレジと交際を始める。当時アレジには既に妻子があったが離婚調停中であった。その後、前妻との離婚が成立し、1996年に後藤は渡仏しアレジと同居を始める。2022年現在も婚姻手続きはとっておらず、「事実婚」の夫婦である。アレジは前妻との間に1人、後藤との間に3人の実子がいる。

渡仏後は妻としてまた母としての生活を重視し、年に1〜2本のCM出演や女性ファッション誌の表紙モデルなどを中心に活動。子供の教育のためにフランスからスイス・ジュネーヴに豪邸を建築して移住し、現在も在住しているが、パリやニューヨーク、モナコなどにも邸宅を所有している。

2018年10月31日、23年ぶりに女優復帰を発表。2019年12月公開のシリーズ50作目になる『男はつらいよ お帰り 寅さん』でスクリーン復帰。当初はこの映画のみの特別な女優復帰とされていたが、2024年1月3日放送の『顔』にも出演を発表。テレビドラマ復帰を果たした。

引用元:後藤久美子 - Wikipedia





























2023年8月4日金曜日

美保純



8月4日は、女優(元ポルノ女優)・コメンテーターの美保純の誕生日です。

美保 純(みほ じゅん、1960年8月4日 - )は、日本の女優、コメンテーター。本名、曽根 ちよ美(そね ちよみ)。

静岡県静岡市(現葵区)出身。ノックアウト所属。

静岡精華学園高等学校中退。静岡市内のデパート勤務の後、1980年に「ディスコ・クィーン・コンテスト」へ出場して優勝する(審査員の1人は小林克也だったことをオフィシャルブログ内で明かしている)。その後上京して広告代理店でアルバイト中にスカウトされ(スカウトしたのはテレビドラマや映画のプロデューサーで、1983年当時美保の所属していたプロダクションの社長でもあった大曲暎一)、1981年に映画『制服処女のいたみ』で主演デビューする。1982年には映画『ピンクのカーテン』でブルーリボン新人賞を獲得した。

「隣のお姉さん」的な親しみやすいキャラクターで、週刊誌のグラビアなどに登場して人気を博し、デビューから約1年後には一般映画にも出演した。『男はつらいよ』でタコ社長(太宰久雄)の娘・あけみ役などに抜擢される。

現在も多くの映画、テレビドラマ(『菊次郎とさき』、『クライマーズ・ハイ』)、バラエティ(『Dのゲキジョー』パネラー)に出演し、活躍している。

デビューした当初は、公式プロフィールの年齢を1歳サバ読んでいた。デビューが決まった当時20歳だったが、「10代でヌードになるのと20歳でなるのとではインパクトが全然違う」と当時のマネージャーから言われ、19歳でデビューしたようにされていた。

『5時に夢中!』では中村うさぎとの掛け合いの絶妙さから「うさじゅん」コンビと呼ばれていた。

ポルノ女優時代のことを隠そうとはしておらず、『5時に夢中!』でも自ら当時の裏話や思い出話をすることが多い。

引用元:美保純 - Wikipedia















2023年8月3日木曜日

大原麗子



8月3日は、女優の大原麗子の命日です。2009年8月3日没。62歳。

大原 麗子(おおはら れいこ、1946年〈昭和21年〉11月13日 - 2009年〈平成21年〉8月3日)は、日本の女優。本名:飯塚 麗子(いいづか れいこ)。身長157cm、B80cm、W56cm、H83cm(1975年5月)。

六本木野獣会に属し、大野伴睦の長男で東京放映の社長である大野直にスカウトされ、芸能界入り。中尾ミエ主演の東宝映画『夢で逢いましょ』(1962年)にも端役で出演していたが、1964年(昭和39年)、テレビドラマ『幸福試験』(NHK)の出演でデビューし、翌年、東映へ入社。佐久間良子主演の『孤独の賭け』で初めて本格的な映画に出演。

1971年に東映との契約切れを機に渡辺プロダクションに移籍。

以降テレビドラマを中心に一転して「しっとりとした日本的美人像」を演じ、映画『おはん』の魔性の女などさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮した。

その演技力を買われて主演した橋田壽賀子脚本の『春日局』では大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)を叩きだした。

映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。

テレビCMへの出演も多く、とりわけ、和服姿でぷっと頬を膨らませ、かすれた声で甘えるように「すこし愛して、ながーく愛して」という台詞で知られる、サントリーレッドのCMは、その言葉どおり多くの人に長く愛され、1980年(昭和55年)から1990年(平成2年)まで放送された。

1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症。1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止した。

2008年11月には足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負った。

さかのぼって47歳の時には乳がん手術を受けた。

1999年に左目の二重まぶたの整形手術をしたが手術は失敗し、まぶたが腫れ上がってしまったため、主演が決まっていた映画『天城越え』(第2作)を降板した。

2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見された。62歳だった。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。

引用元:大原麗子 - Wikipedia















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