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2026年4月2日木曜日

金月真美



4月2日は、声優・歌手の金月真美(きんげつ まみ)の誕生日です。子役時代は特撮ヒーローものに数多く出演、後に声優や歌手として活躍するが、出世作としてゲーム「ときめきメモリアル」のヒロイン「藤崎詩織」の声を演じたことから一躍声優として人気を集める。

金月 真美(きんげつ まみ、1965年4月2日 - )は、日本の女性声優、歌手。兵庫県明石市出身。青二プロダクション所属。

女優志望だった6歳上の姉が劇団ひまわりへの入団を熱望していた際、「私も入ろうかな」という軽い気持ちで1975年に姉と共に劇団ひまわりのオーディションに合格し、子役として活躍する。事務所はその後、NPSテアトル、大沢事務所を経て青二プロダクション所属となった。

高校進学後にナレーションの仕事をするようになってからは、観劇から遠ざかる。

大妻女子大学文学部英文科卒業後は大妻女子大学短期大学部実務英語科にて助手として勤務していた。その後、テープオーディションで決まった1994年発売の恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』(以下、『ときメモ』)でヒロイン「藤崎詩織」の声を演じたことから、一躍声優として人気を集める。

『ときメモ』に出演していた時期は演じるということをゼロに戻し、声優として「まったくの新人」として1から始めた。セリフを言えるのが楽しかったことから、ゼロに戻すことも怖くなかったという。

2002年、ファンクラブの会報で結婚を報告した。

ナレーションの仕事をこなす期間が長かったため、演技の場から遠ざかっていたことを当時の事務所の先輩に相談したところ、その先輩の舞台にわずかながら出演したのが自身の初舞台だった。2003年の秋、正式に舞台に立つ。

2012年、國府田マリ子と「MK-CONNECTION」を結成する。

引用元:金月真美 - Wikipedia























2025年2月18日火曜日

岩男潤子 (声優・歌手)



2月18日は、声優・歌手の岩男潤子(いわお じゅんこ)の誕生日です。声優としては1994年「モンタナ・ジョーンズ」で声優デビュー。それ以前の1986年に女性アイドルグループ「セイントフォー」に正式メンバーとして加入したが1987年解散直前に脱退した。

岩男 潤子(いわお じゅんこ、1970年2月18日 - )は、日本の女性声優、歌手、アイドル。大分県別府市出身。岩男潤子オフィス所属。声優業以外はZERAPHと業務提携している。

初期の頃は、「いわお潤」や「潤」名義で活動していた時期もある。

女性アイドルグループ「セイントフォー」の妹分ユニットである「リトルウィング」として人知れず活動したのち、セイントフォーのメンバーである板谷祐三子の脱退に伴い、新メンバーオーディションを受けて合格。1986年に正式メンバーとなり、いわお潤の芸名をもらってデビュー。しかし、加入時点で解散時期が決まっているなどグループとしての活動が下り坂になっていたことや、板谷のファンからの誹謗中傷、過酷なレッスンで肉体的・精神的に追い詰められ、メンバーの励ましも空しく、解散を待たずに脱退を申し出る。脱退後、家族が事務所に多額のレッスン費などを負担していたことを知り、結果を出せなかった歯がゆさから一時的に芸能界への意欲を失う。

潤名義で石井光三とのデュエットソング『ねぇ、お父さん』(『満開!ピープルテレビ』テーマ曲、発売元:ポリドール)のリリースまで結びつく。

声質に関して「子供っぽい」「生理的に受け付けない人が多いかも」と評され、レッスンを重ねていくうちに自信を失う。声優に憧れていたものの、芸能生活に入るとアルバイトやレッスンで多忙だったため、欠かさず見ているアニメなどはなかったとのこと。

高校卒業後は童謡の歌唱やミュージカルの歌のお姉さん役、NHK教育テレビ『はてな・サイエンス』出演などの引き続き芸能活動を続けていたが、いずれも知名度の向上にはつながらず、目標だったソロ名義のシングルは出せないまま、両親と約束の10年の期限が迫っていた。一時は引退も考えたが、東京駅のキヨスクでのアルバイトで偶々通りがかっていたアイドル時代を知っていたアニメ関係者から「歌える声優を探しているから応募してみては」と勧められ、最後のチャンスとして受けたオーディションに合格し、1994年テレビアニメ『モンタナ・ジョーンズ』で声優デビュー。「10年間がんばったな……」と泣きながら閉じていた荷物のテープを喜びいっぱいで剥がして、反対していた両親に「もう1年がんばらせてください」電話を掛けていた。その時、両親が「あと1年じゃないよ。あと10年がんばりなさい」と言ってくれて、「また、10年がんばろう」という気持ちだった。そして1995年、シングル『シャッターチャンスの連続』をリリースし念願の歌手ソロデビューを果たす。同年12月23日、初のソロコンサートを東京・TBSホールで開催。

代表曲は『手のひらの宇宙』。他に『スカーレット』、『翼になれ』など。

引用元:岩男潤子 - Wikipedia














セイントフォー - Wikipedia 「いわお潤」として1986年に加入。


石井光三・潤/娘よ/ねぇ、お父さん



2024年12月17日火曜日

TARAKO (声優)



12月17日は、声優・女優・タレント・シンガーソングライターのTARAKO(たらこ)の誕生日です。声優として「ちびまる子ちゃん」の主人公・まる子役が何といっても一番有名。2024年3月4日に急逝した。63歳没。

TARAKO(たらこ、1960年〈昭和35年〉12月17日 - 2024年〈令和6年〉3月4日)は、日本の声優、ナレーター、女優、タレント、シンガーソングライター、脚本家、エッセイスト。

東京都江戸川区生まれ、群馬県太田市出身。トルバドール音楽事務所に所属していた。

「アニメ声優になろう」と思い、「そのためには演技力が必要だ」と考え、群馬県立太田女子高等学校卒業後は、群馬から上京して東京映像芸術学院の演技声優科に入学したが、中退している。

声優デビューは1981年、テレビアニメ『うる星やつら』で演じた幼稚園児役。当初はラム役でオーディションを受けたが、落選している。当時は声優だけでは食べていけず、スーパーマーケットの試食販売、コンビニエンスストアの店員、交通量調査などのアルバイトをしていた。

1982年、『戦闘メカ ザブングル』のチル役で初レギュラー。

シンガーソングライターとしてのデビューは、1983年に発表したLPアルバム「とっておきの瞬間」。一時はビーイングのプロデュース下だったという時代もある。その関係で沢田聖子と友人になり、彼女が木曜のパーソナリティを務めていたラジオ番組『はいぱぁナイト』(KBS京都)にてたびたびゲストで出演しては彼女と2人で「かしまし漫才」ばりのトークを展開していた。

1990年からは、『ちびまる子ちゃん』で主人公・まる子役を担当。同作品が国民的な大人気作になったこともあり、独特な名前と声のTARAKOも知名度を上げ、バラエティ番組の司会としても活動。ナレーションの仕事も数多くこなした。

演劇集団WAKUを主宰し、舞台の作・演出・出演も数多く手掛けた。

群馬県出身から、群馬交響楽団夏休みコンサートの案内人を毎年務めていた。

2024年3月4日に死去。63歳没。死因は公表されていないが、2024年に入ってから体調を崩し療養しながら活動を継続していたが容体が急変したという。SNSでは最後の投稿となった2月末には、車椅子に座りながらスタジオで収録を行っていた写真が投稿されている。『ちびまる子ちゃん』のスタッフによれば、本人は「最後まで病棟でも収録をしたいと意欲的で、大きな愛情をもって『ちびまる子ちゃん』に向き合ってくださいました」と追悼文にて語っている。訃報は5日後の3月9日に所属事務所、および『ちびまる子ちゃん』を制作するフジテレビと日本アニメーションより発表された。

引用元:TARAKO - Wikipedia





















2024年5月4日土曜日

近藤房之助



5月4日は、ブルース歌手の近藤房之助(こんどう ふさのすけ)の誕生日です。「B.B.クィーンズ」でアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ(のちにオープニング)「おどるポンポコリン」が大ヒットした。

近藤 房之助(こんどう ふさのすけ、1951年5月4日 - )は、日本のブルース歌手。所属レコード会社はビーイング。

愛知県刈谷市出身。子供あり。通称は「房さん」。

1951年 - 愛知県刈谷市に生まれる

1973年 - 愛知県名古屋市今池にあったブルース・ライブハウス「おーぷんはうす」を拠点にして、永田鹿悟、和田昇、棚橋善夫らと日本ブルース愛好会名古屋支部を結成。

1976年 - ブレイクダウン参加。一年間で120カ所の全国コンサートを行う。1986年 - ブレイクダウン解散。

1987年 - 近藤房之助 & ONE ARM結成。織田哲郎、TUBE、亜蘭知子らと「渚のオールスターズ」に参加。1989年 - 「渚のオールスターズ」活動休止。

1990年 - アルバム『You'll never break my "HEART OF STONE live at PIT INN"』でソロデビュー。同時に、B.B.クィーンズを結成。1992年 - B.B.クィーンズ活動休止。

1993年 - 前田亘輝 & HIS BLUES FRIENDSに参加、オリジナル2曲収録。

2010年 - テレビ東京系アニメ『しまじろう ヘソカ』のエンディングテーマ及び大塚製薬「カロリーメイト」CMソングを担当。

2011年 - 坪倉唯子、増崎孝司、宇徳敬子とB.B.クィーンズ再始動。

引用元:近藤房之助 - Wikipedia










B.B.クィーンズ - Wikipedia



2023年12月3日日曜日

イルカ (フォーク歌手)



12月3日は、フォークシンガーのイルカの誕生日です。

イルカ(1950年12月3日 - )は、日本のフォークシンガー、絵本作家。本名は神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓は保坂(ほさか)。

東京都中野区出身。中野区立谷戸小学校、東京文化中学校、東京文化高等学校、女子美術大学卒業。芸名の由来は、女子美術大学のフォークソング同好会に在籍していた当時、皆がギターケースを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」と言ったのがきっかけで、周囲からイルカと呼ばれるようになった。

小学校では音楽部鼓笛隊に所属しベルリラを担当。小学校の同級生には作曲家・編曲家の船山基紀がいる。

1970年、シュリークスのメンバーとしてデビュー。

1974年、「あの頃のぼくは」でソロデビュー。

1975年から1976年に掛けて、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」をカバーして大ヒットした。ほか1977年に「雨の物語」、1979年に「海岸通」(風・伊勢正三の作詞・作曲によるカバー)などもヒットした。

1977年から1980年にかけて、絵本『ちいさな空』全4巻を発表した。

1978年半ばから1979年初めに掛けて、長男(神部冬馬)産休の為に一時歌手活動を休業。

2004年より、国際自然保護連合の親善大使となった。また、テーマソングを提供している。

2010年、女子美術大学客員教授に就任。

2018年の大晦日に、第2回ももいろ歌合戦(BS日テレ・フジテレビNEXT・ニッポン放送など)へ出場。

夫の神部和夫(1972年に結婚)はシュリークスのメンバーだったが、イルカのソロデビューに伴い、彼女の音楽プロデューサーおよびマネージャー業に専念するようになった。1986年にパーキンソン病を患い、2007年3月21日に急性腎不全のため北海道旭川市の病院で逝去。59歳。

漫画家さくらももこおよびさくらが原作を手掛けるアニメ『ちびまる子ちゃん』でさくらももこの声を担当するTARAKOと声がそっくりである。それが縁で同作のエンディングテーマ『針切じいさんのロケン・ロール』(歌・植木等)でさくら・TARAKOと共にコーラス担当した。

引用元:イルカ (歌手) - Wikipedia










シュリークス - Wikipedia



2022年12月12日月曜日

美山加恋



12月12日は、女優・声優の美山加恋の誕生日です。

美山 加恋(みやま かれん、1996年12月12日 - )は、日本の女優、声優。東京都東村山市出身。ホリプロ所属。

2002年に行われた舞台『てるてる坊主の照子さん』で、子役としてデビューを果たす。

2004年、草彅剛主演の『僕と彼女と彼女の生きる道』(関西テレビ)で小柳凛役を演じ、一躍「天才子役」として注目を集め、第40回ザテレビジョンドラマアカデミー賞にて助演女優賞と新人賞をダブル受賞。

その後も2006年度前期のNHK連続テレビ小説『純情きらり』で宮﨑あおい演じるヒロインの幼少期を演じたほか、同年の実写ドラマ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビジョン)で穂波たまえ役を演じるなど数々のテレビドラマ、映画、舞台に出演。2012年に行われた舞台『神様の観覧車』にて、舞台初主演を務める、2016年の『「終わりのセラフ」The Musical』でミュージカル初出演。

一方でアニメ作品や声を用いた芝居への強い関心から声優業を目指し、2016年の日本テレビ系『エンドライド』にて、アリシア役でTVアニメに声優として初出演を果たす、「エンドライド」プロジェクトの生放送番組『美山加恋のエンドライブ!!』(AbemaTV)にて初MCにも挑戦する。

2017年には『キラキラ☆プリキュアアラモード』(宇佐美いちか/キュアホイップ役)で、テレビアニメ初主演を果たす。2018年4月からは『アイカツフレンズ!』(蝶乃舞花役)に出演すると同時に、同作出演声優による音楽ユニット「BEST FRIENDS!」のメンバーとしても活動する。

「声優と女優はこれからもずっと、2本の柱として続けていきたい」としている。

成人後は、種類を問わず「何でも飲む」と豪語する酒豪であり、周囲からは「ザル」を通り越して「(ザル部分を外した)枠だ」と呼ばれているという。

引用元:美山加恋 - Wikipedia









2022年8月15日月曜日

さくらももこ



8月15日は、漫画家・エッセイストのさくらももこの命日です。2018年8月15日没。53歳。

さくら ももこ(1965年〈昭和40年〉5月8日 - 2018年〈平成30年〉8月15日)は、日本の漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。

静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。身長159cm。血液型A型。二男の母。

代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録。「平成の清少納言」と称されたこともある。愛称は「ももちゃん」。エッセイの販促用の帯などでは、『ちびまる子ちゃん』の「まる子」と同一人物として扱われることもある。

2018年8月15日20時29分、乳がんのため死去。53歳没。通夜・告別式は遺族の意向により親族・近親者のみで執り行われ、同年8月27日に死去が公表された。2018年8月27日にフジテレビで放送されたアニメちびまる子ちゃんでは、エンディング直後に「さくらももこ先生のご冥福をお祈りします」と追悼メッセージがナレーション込みで放送された。11月16日には著名人・関係者を対象としたお別れ会「さくらももこさん ありがとうの会」が青山葬儀所にて営まれた。一般向けには、「さくらももこ ありがとうの会」と銘打った追悼個展が2019年1月から4月にかけて静岡県のエスパルスドリームプラザで行われた。

引用元:さくらももこ - Wikipedia







2022年4月13日水曜日

西城秀樹



4月13日は、歌手・俳優の西城秀樹の誕生日です。2018年5月16日没。63歳。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、1955年〈昭和30年〉4月13日 - 2018年〈平成30年〉5月16日)は、日本の男性歌手・俳優。新御三家の1人。 本名:木本 龍雄(きもと たつお)。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。

西城は「新御三家」の一人として、今日に繋がる男性アイドルの原型を作り上げ、「歌謡曲の新時代」を築いた人物の一人で、日本のエンターテイメントを切り拓いたパイオニアである。

日本の男性アイドルの「新御三家」として売り出された際、郷ひろみは「可愛い美少年」、野口五郎は「歌が上手い」とされ、西城は大きいだけであまり特長がないと見なされた。そこでスタッフは、彼らと差別化を図り、西城の個性を活かすため、「情熱的でセクシーな、男性的魅力」をコンセプトとして打ち出していこうと決めた。そのコンセプトに沿って、楽曲やダンスの振り付け、衣装が創作されていった。プロデューサーも西城の音楽的バックボーンを理解し、海外のサウンドと日本のメロディをドッキングさせるロック/ポップス寄りの楽曲作りが行われた。意図的に激しいロック調の曲を作り、女性ファンがより興奮しやすくなるようなストレートなフレーズを歌詞に散りばめた。派手でセクシーなアクションと長身かつ、長い脚が映えるビラビラ衣装がそのイメージを決定づけた。初期にはエルヴィス・プレスリーを意識した衣装など、アメリカナイズした雰囲気を衣装に取り入れた。

1973年9月にリリースされた6枚目のシングル「ちぎれた愛」は、曲中「僕の気持ちを信じて、君をはなすもんか、好きだ、好きだよ、好きなんだよー!」とインパクト絶大な台詞が挿入された最初の作品で、喉の奥底からハスキーな歌声をしぼり出すように歌い上げ、初めてオリコン1位を獲得。180cmを超える長身から発する歌声は圧倒的で、その歌唱法は「絶唱型」、のちに「絶叫型」といわれた。長身をくねらせ、長い髪を振り乱して、全身全霊を込めた喉が張り裂ける様な歌唱法は、激しいアクションとともに、それまでのアイドルに見られなかったもので、次作品の「愛の十字架」、1974年の「傷だらけのローラ」、1975年の「至上の愛」へと受け継がれて徐々にエスカレートしていき、女性ファンを熱狂させた。「傷だらけのローラ」では、新人賞も紅白も出場できなかった前年の悔しさが募り、「早く自分のスタイルを確立したい」と焦り、アメリカで流行っていたシャウト唱法を加えたい」と意見した。

西城の歌唱力は今日評価が高く、所属事務所「芸映」後輩でもあった岩崎宏美は西城の特徴的な歌声について「誰にもまねできないでしょうね」と評した。松任谷由実は「西城秀樹っていう人は圧倒的にスターだったと思う」と述べ、スター性の根源には「声の素晴らしさがある」と話し「歌手は声がその運命を100%以上決める」と持論を述べ、「斜のかかった強い少年声というのか..大好きな声です」と話している。ミッツ・マングローブは「ヒデキは私にとって最初の"ヒーロー"でした。自分の本質とは真逆の、快活で社交的な男子性の塊みたいなヒデキに対し、それでも無抵抗に心躍ることができたのは、やはりその歌声と健やかな大衆性が圧倒的だったからに他なりません」と述べている。三原じゅん子は西城を「アイドルを超えた歌唱力の持ち主」、黒柳徹子は「『ザ・ベストテン』の出演者のなかで、ダントツに歌がうまかった」、鴨下信一は「歌唱力は同時代の誰よりもあった」と評している。

引用元:西城秀樹 - Wikipedia









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