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2025年2月21日金曜日

弓あきら (小泉あきら)



2月21日は、ファッションモデル・女優の弓あきら(ゆみ あきら)の誕生日です。旧芸名は小泉あきら。1980年に「電子戦隊デンジマン」で桃井あきら/デンジピンク役で活躍、ドラマ出演はこの1本のみでその後はモデルとして活動している。

弓 あきら(ゆみ あきら、1960年2月21日 - )は、日本のファッションモデル。本名、秋野 昇(あきの あきら)。旧名、小泉 あきら(こいずみ あきら)。マドモアゼル所属。

静岡県出身。静岡県立静岡東高等学校、日本大学芸術学部卒業。

日本大学芸術学部ピアノ科在学中の1979年、ミス日本に出場してファイナリストになったことがきっかけで芸能界入り。しかし、所属していたプロダクションが3か月で倒産してしまう。

夏休みの前に、以前のマネージャーから連絡をもらい、東映の吉川進と竹本弘一の面接を受け『電子戦隊デンジマン』の桃井あきら(デンジピンク)役に決定する。「小泉 あきら」の芸名は、前述の吉川と竹本から命名された。現場では竹本にはほとんど怒られた記憶はないそうで、いつも褒められてばかりであったと語っている。また『デンジマン』で一番怖かった監督は小林義明であったとも後年洩らしている。

『電子戦隊デンジマン』が唯一の女優として出演した作品であり、当時は劇団NLTに所属していた。その後は、モデルとして各社のCMやファッション雑誌などで活動している。

特技は、ピアノ。小学生のころの将来の夢はピアノの先生。弟がいる。趣味は英会話、ジャズ鑑賞。

引用元:弓あきら - Wikipedia




















電子戦隊デンジマン - Wikipedia





2024年10月22日火曜日

成田賢



10月22日は、歌手・ミュージシャンの成田賢(なりた けん)の誕生日です。1967年にグループサウンズ「ザ・ビーバーズ」でボーカリストとしてメジャーデビュー。後にシンガーソングライターとして活動。1979年にはアニメ「サイボーグ009」の「誰がために」を唄い、1980年には「電子戦隊デンジマン」の主題歌を唄うなどの活動をする。2018年11月13日、肺炎のため死去。73歳没。

成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018年11月13日)は、日本の音楽家、歌手。本名は成田 慶一。

満州国大連生まれ。

1967年、アウトロウズが「ザ・ビーバーズ」と改名しキングレコードよりメジャーデビュー。成田はリードボーカルとハーモニカを担当し、1969年の解散まで在籍。

ビーバーズの解散後、平井正之とともにバンド「エモーション」を結成し活動していたが、過労による肺結核を患い長期入院することとなる。この入院中に山内テツからの誘いを受け、退院後まもなくセッションアルバム「フレンズ」に参加。

1971年11月、ミッキー・カーチスによるプロデュースで初のソロアルバム「眠りからさめて」を発表。シンガーソングライターとして活動する傍ら、スタジオシンガーとしてコマーシャルソングも手掛けるようになり、東ハト「キャラメルコーン」のCMを皮切りに230曲ほどコマーシャルソングを歌唱。

1979年には日本コロムビア関係者からオファーを受け、テレビアニメ『サイボーグ009』のオープニングテーマ「誰がために」を歌唱。翌年には特撮テレビドラマ『電子戦隊デンジマン』の主題歌を担当するなど、テレビ主題歌の依頼が増えてきた矢先にオートバイ事故で負傷し、その後遺症のため1981年に一度歌手を引退。

それ以降は長らく表舞台から遠ざかっていたが、2007年1月7日に開催されたイベント「ANIME JAPAN FES 2007 "冬の陣"」で歌手活動を再開。同年、特撮テレビドラマ『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の挿入歌で26年ぶりの新曲を発表した。

2012年、映画『009 RE:CYBORG』のために『サイボーグ009』のオープニングテーマ「誰がために」の再録を発表。

2018年11月13日7時過ぎ、肺炎のため死去73歳没。

引用元:成田賢 - Wikipedia























2023年3月18日土曜日

曽我町子



3月18日は、女優・声優・歌手の曽我町子の誕生日です。数々の特撮番組の悪の女王・魔女役を演じた事で有名。2006年5月7日没。68歳。

曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。

あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。

『チロリン村とくるみの木』のリップちゃん役で声優としてデビュー。声優としては『オバケのQ太郎』のQ太郎が著名な役の一つ。1961年、アメリカ映画『青い目の蝶々さん』が映画デビュー作となる。1962年の時点では東京俳優生活協同組合に所属し、1963年の時点ではフリーランスで活動。1965年の時点ではエマノン事務所に所属。

舞台、テレビドラマでも活躍。『レインボーマン』のゴッド・イグアナ役をはじめ、スーパー戦隊シリーズ(テレビ朝日系)では『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』でヘドリアン女王、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で魔女バンドーラを演じた。その他『魔法戦隊マジレンジャー』など数々の特撮番組に出演、悪の女王・魔女役を数多く演じた。

『ジュウレンジャー』は後にアメリカでも『パワーレンジャー』シリーズとして放送されて大ヒットとなった。

1983年に俳優業の傍ら、東京・原宿に趣味の古美術品収集を生かしたアンティークショップ「ステラ」を開業(後に国立市の自宅を改装して店舗を移転)、アクセサリー・オリジナル香水のデザインなど商品開発も手がけていたほか、休店日などにはファンとの交流会なども同店内で催していた。

2006年5月7日、自宅のあるマンションで亡くなっているところを、訪れた知人によって発見された(死因は膵臓癌)。68歳没。生涯独身だった。

引用元:曽我町子 - Wikipedia












「謎の女B」は1969年に映画『華やかな女豹』(日活)の挿入歌となった。平岡精二によるセルフカバーをはじめ、EGO-WRAPPIN'やキノコホテル、渚ようこらにカバーされている。後年、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(TOKYO FM)の1コーナー「うさんくさいPOPS」でも取り上げられた。



2021年2月5日金曜日

大葉健二



2月5日は、俳優の大葉健二の誕生日です。「宇宙刑事ギャバン」「電子戦隊デンジマン」「バトルフィーバーJ」などの主演・出演でお馴染みのアクションヒーローでもある。

大葉 健二(おおば けんじ、1955年2月5日 - )は日本の俳優、演出家、イベント運営会社『LUCK JET』代表取締役社長。本名および旧芸名は高橋 健二。初期は本名で活動し、現在でも演劇を演出する時は本名の名義で行っている。

愛媛県松山市出身。身長170cm、血液型はA型。

1972年から1973年にかけて放送された特撮テレビドラマ『人造人間キカイダー』で、トランポリンスタントを担当。同作品の第31話で初めて顔出し出演を果たした。

当初は本名の高橋 健二名義で活動していたが、1979年から1980年にかけて放送された『バトルフィーバーJ』で曙四郎(バトルケニア)役として初めてレギュラー出演が決まり、師である千葉真一から「葉」の字をもらって大葉 健二の芸名での活動を開始した。同作品ではバトルケニアのスーツアクターを兼任し、変身前と変身後を吹き替えなしで演じた。1980年から1981年にかけて放送された『電子戦隊デンジマン』では青梅大五郎/デンジブルー(声)役でレギュラー出演し、こちらでもデンジブルーのスーツアクターを兼任した。1982年から1983年にかけて放送されたメタルヒーローシリーズの第1作『宇宙刑事ギャバン』の主人公、一条寺烈(ギャバン)役で初主演を果たす。

1987年、母親の看病のため、JACに名誉会員として籍を残したまま郷里の松山に帰郷。地元のイベント製作会社の会社員となり、多忙な会社員生活の合間に俳優業を行うというスタンスとなる。俳優業のかたわら、自ら設立したイベント製作会社「LUCK JET」の代表取締役社長も勤め、後進の育成にも力を注いでいる。これらの活動では、本名の高橋 健二名義で舞台演出も行っている。

2007年、ラックJETとの業務提携という形でジャパンアクションエンタープライズに再び籍を置く。

2018年5月初旬に自宅で倒れて入院し、療養・リハビリ中。

引用元:大葉健二 - Wikipedia







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