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2026年3月17日火曜日

船越英二



3月17日は、俳優の船越英二(ふなこし えいじ)の誕生日です。1947年に大映第2期ニューフェイス募集に合格する。「和製マルチェロ・マストロヤンニ」とも謳われ、1971年の大映倒産まで映画で活躍した。その後は学園ドラマ・現代劇・時代劇を問わず活躍し、いずれにも代表作を残した。長男に俳優の船越英一郎がいる。2007年3月15日に自宅で突然倒れ16日夜に容態が急変し3月17日、脳梗塞のため死去した。84歳没。

船越 英二(ふなこし えいじ、1923年〈大正12年〉3月17日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、日本の俳優。東京都出身。専修大学経済学部卒業。

俳優の三島謙は兄(本名:船越榮太郎)、女優の長谷川裕見子は妻、長男に俳優の船越英一郎がいる。本名:船越 榮二郎(ふなこし えいじろう)。

1947年(昭和22年)、船越の兄の友人が冷やかし半分で大映第2期ニューフェイス募集に応募書類を送り、合格する。同年3月、大映東京撮影所演技研究所に通い、4月には大映と専属契約を結ぶと『第二の抱擁』で折原啓子の恋人役としてデビューする。本人は乗り気ではなかったが、地元の新宿商店街に後援会まで発足したため引っ込みがつかなくなったまま俳優業に臨んでいた。当時を知る映画関係者によると船越はあまり印象に残らない俳優だったという。役柄も真面目青年しか与えられなかったが1952年(昭和27年)には『安宅家の人々』や『秘密』での演技が好評を呼んだ。

それ以降も船越は二枚目俳優として大映のプログラムピクチャーに出演し、もっぱら主演女優の引き立て役が多かったが1956年(昭和31年)に『日本橋』、『四十八歳の抵抗』、翌年の『満員電車』、『夜の蝶』で演技派俳優として開花し、それまでの単なる二枚目俳優から飄逸(ひょういつ)さと人間的なたくましさを併せ持つ性格俳優となった。なかでも1959年(昭和34年)の大岡昇平原作、市川崑監督の『野火』に主演した際には、極限状況における敗残兵を演じきり、演技は絶賛を経て各映画賞を総なめにした。その後、大映に欠かせないスターとして美男のルックスと個性を活かしたさまざまな作品で役柄をこなす手堅い演技派として活躍し、菅原謙次や根上淳ら同年代の大映現代劇の男優たちよりも息の長い活躍を見せた。

船越は「和製マルチェロ・マストロヤンニ」とも謳われ、1971年(昭和46年)の大映倒産まで映画で活躍した。その後は学園ドラマ・現代劇・時代劇を問わず活躍し、いずれにも代表作を残した。

私生活では1958年(昭和33年)10月10日に女優の長谷川裕見子と結婚、1960年(昭和35年)には長男の英一郎が誕生した。2年後には英一郎の妹が誕生し、その後、次男も誕生。1965年(昭和40年)からは俳優業の傍ら神奈川県足柄下郡湯河原町に会員制旅館を創業し、娘とともに経営にあたっていた。

1989年(平成元年)には紫綬褒章、1995年(平成7年)には勲四等旭日小綬章を受章。2001年(平成13年)のフジテレビ系テレビドラマ『旗本退屈男』への出演を最後に俳優業から引退、その後は旅館に近い自宅で妻や娘夫婦と共に余生を過ごしていた。しかし2007年(平成19年)3月15日に自宅で突然倒れ、すぐに静岡県内の病院へ搬送された。その時点では意識もわずかにあったものの、16日夜に容態が急変し3月17日午後10時57分、脳梗塞のため死去した。84歳没。生没同日であった。

引用元:船越英二 - Wikipedia























2022年7月14日木曜日

水谷豊



7月14日は、俳優・歌手の水谷豊の誕生日です。

水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年〈昭和27年〉7月14日 -)は、 日本の俳優、歌手、映画監督。

北海道芦別市出身。トライサム所属。妻は伊藤蘭。長女は趣里。

身長168cm、体重60kg、血液型はA型。

演じるキャラクターには庶民的な設定が多く、近年は比較的おとなしめの役(『相棒』が顕著)が多いが、『熱中時代』に出演するまでは、『傷だらけの天使』、『青春の殺人者』、『男たちの旅路』などで演じた、棘や影のある青年やチンピラなどの役で出演する事が多かった。

『刑事貴族』や『ハロー!グッバイ』、『探偵事務所』シリーズでは、シュールでスピード感のある破天荒かつ調子のいい二枚目半的な役も演じていた。また、記者役においては地方が舞台などの形が多く、刑事役においては、ロンドン在住経験やイギリス車を重用、さらにはロンドン警視庁での研修勤務経験があることなど、何らかの形でイギリスと関わりのある設定が多い。コーヒー派であるが、『相棒』での演技をきっかけに紅茶を嗜むようにもなった。

俳優人生において、初の刑事役は1975年、『夜明けの刑事』での山本刑事役。

師としている人物の一人である岸田森と同じく、「あの役は地でやっているのですか?」と聞かれることが一番の褒め言葉だという。

『相棒』では完成した役柄として毎回紅茶を飲んでいるが、ティーポットのお茶を肩の高さから手元のカップに注ぐ優雅な仕草は、実際の撮影ではしばしば飛び散る紅茶による火傷を我慢しているという。また、右京役で紅茶を飲むようになって、紅茶のおいしさに目覚めたと語っている。撮影中に飲んでいるのは、アールグレイやダージリン・ティーが基本で、たまにフレーバーティーを飲んでいる。

『熱中時代・刑事編』(1979年)で共演したミッキー・マッケンジーと1982年に結婚。結婚半年後より東京とロサンゼルスでの別居状態となって不仲説が報じられるようになり、1986年5月に離婚が成立した。

一方で、『あんちゃん』(1982年)の共演で意気投合し、『事件記者チャボ!』(1983年)で自らの指名により再び共演した伊藤蘭との熱愛が報じられるようになり、1986年5月の離婚成立後より半同棲に近い生活を開始。1988年11月にプロポーズし、翌1989年1月にハワイにて挙式を行い、結婚。同月24日に同地のホテルで記者会見を開いた。再婚時、インタビューで「奥さんの事を何と呼んでますか?」との質問に恥ずかしがりながらも「ランちゃんさん」と答えて笑いを誘った。翌1990年に長女の趣里が誕生。その後も変わらず妻のことを自宅でも「蘭さん」と呼んでいるそうで、「死ぬまでに1度はちゃん呼びしたいと思っている」と語っていた。

引用元:水谷豊 - Wikipedia









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