2023年8月3日木曜日

大原麗子



8月3日は、女優の大原麗子の命日です。2009年8月3日没。62歳。

大原 麗子(おおはら れいこ、1946年〈昭和21年〉11月13日 - 2009年〈平成21年〉8月3日)は、日本の女優。本名:飯塚 麗子(いいづか れいこ)。身長157cm、B80cm、W56cm、H83cm(1975年5月)。

六本木野獣会に属し、大野伴睦の長男で東京放映の社長である大野直にスカウトされ、芸能界入り。中尾ミエ主演の東宝映画『夢で逢いましょ』(1962年)にも端役で出演していたが、1964年(昭和39年)、テレビドラマ『幸福試験』(NHK)の出演でデビューし、翌年、東映へ入社。佐久間良子主演の『孤独の賭け』で初めて本格的な映画に出演。

1971年に東映との契約切れを機に渡辺プロダクションに移籍。

以降テレビドラマを中心に一転して「しっとりとした日本的美人像」を演じ、映画『おはん』の魔性の女などさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮した。

その演技力を買われて主演した橋田壽賀子脚本の『春日局』では大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)を叩きだした。

映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。

テレビCMへの出演も多く、とりわけ、和服姿でぷっと頬を膨らませ、かすれた声で甘えるように「すこし愛して、ながーく愛して」という台詞で知られる、サントリーレッドのCMは、その言葉どおり多くの人に長く愛され、1980年(昭和55年)から1990年(平成2年)まで放送された。

1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症。1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止した。

2008年11月には足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負った。

さかのぼって47歳の時には乳がん手術を受けた。

1999年に左目の二重まぶたの整形手術をしたが手術は失敗し、まぶたが腫れ上がってしまったため、主演が決まっていた映画『天城越え』(第2作)を降板した。

2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見された。62歳だった。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。

引用元:大原麗子 - Wikipedia















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