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2026年2月27日金曜日

石坂智子



2月27日は、元歌手の石坂智子(いしざか ともこ)の誕生日です。1980年代に活動したアイドル歌手。1979年に行われた第1回東芝タレントスカウトキャラバンで優勝、1980年6月にシングル「ありがとう」でデビューしたが、1981年12月31日をもって満18歳で芸能界を引退した。

石坂 智子(いしざか ともこ、1963年2月27日 - )は、日本の元歌手、1980年代のアイドル歌手。本名、小林 智子(こばやし さとこ)。当時の所属はNPミュージックプロモーション。石川県金沢市出身、堀越高等学校卒業。

1979年(昭和54年)に行われた第1回東芝タレントスカウトキャラバンで優勝、1980年(昭和55年)6月にシングル『ありがとう』でデビューした。この曲はたのきんトリオが主演したドラマ『ただいま放課後』の主題歌でオリコン最高40位という自身最大のヒット曲となった。また、同年の日本テレビ音楽祭の最優秀新人賞最終候補に、同期デビューした田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ(現・柏原芳恵)、岩崎良美、鹿取洋子というメンバーとともにノミネートされた。

シングル『ふたりの恋はABC』は、UCC上島珈琲「UCC缶コーヒー〈オリジナル〉」(後のUCCミルクコーヒー)のCMに使用され、「♪ふたりの夢はUCC~」という歌詞で流れた。前曲の『デジタル・ナイト・ララバイ』から一転し、王道的なアイドルポップスへの原点回帰を図る。

1981年(昭和56年)8月21日発売の『北国へ』を最後のシングル、並びに同年12月1日発売の『ベスト・アルバム』を最後のアルバムとして同年12月31日を以ってデビュー以来約1年7ヶ月、満18歳で芸能界を引退した。前年の日本テレビ音楽祭では新人賞に残ったが、同年夏のデビュー2年目歌手対象の「金の鳩賞」には、鹿取洋子とともに落選、前年次点の甲斐智枝美が代わってノミネートされた。同じプロダクションであったことから野口五郎がレギュラー出演するテレビ番組に出る場合がほとんどだった。

活動当時のプロフィールで紹介された趣味は、ピアノ、タロット占い。得意なスポーツはバスケットボール、アイススケート、好きなアーティストは山下達郎、尾崎亜美、ドナ・サマー、と記されている。

引用元:石坂智子 - Wikipedia





























2024年7月19日金曜日

近藤真彦



7月19日は、歌手・俳優・レーサーの近藤真彦(こんどう まさひこ)の誕生日です。

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年〈昭和39年〉7月19日 - )は、日本の歌手、俳優、実業家、レーサー、タレント。KONDO Racing Team監督、エムケイカンパニー(同チームの管理会社)代表取締役社長。2023年4月より、スーパーフォーミュラ等を運営する日本レースプロモーション(JRP)取締役会長を務める。かつてジャニーズ事務所に所属していた。愛称はマッチ(MATCHY、名付け親はジャニーズ事務所時代の先輩・松原秀樹)。

神奈川県大和市出身。所属レコード会社はSony Records。血液型O型。身長174cm。既婚。

1979年10月、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。

その後、1980年12月12日に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、1982年には『ゴールデンアイドル賞』を受賞。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した。代表曲として『スニーカーぶる~す』、『ギンギラギンにさりげなく』、『愚か者』などがある。

ドライバーとして1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(フレッシュマンレースとして異例の35,400人の観客を動員)したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。

1994年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースにポルシェ・962Cで初参戦を果たした。またこの年、全日本GT選手権(JGTC)のGT1クラスにも962Cでアンソニー・レイドとのコンビで参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。この勝利は962Cがビッグレースで記録した最後の勝利でもあった。1995年にもポルシェ・911を駆りGT1クラスで優勝し、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の入賞を獲得した。

以降も全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポンなどの全日本格式の最高峰カテゴリーに参加し、入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。特に完走率の高さには定評があり、1995年ル・マンでは雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1やフェラーリ・F40等が跋扈する同じGT1クラスに日産・GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。

2023年4月、中嶋悟の後任として、日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長に就任。

引用元:近藤真彦 - Wikipedia





















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