2026年4月19日日曜日

堀口綾子 (堀口綾・みるく)



4月19日は、日本のアイドルである、堀口綾子(ほりぐち あやこ)の命日です。星野貴代子とともに、染谷有紀子がリーダーを務めるイエローキャブに所属する女性3人グループ「みるく」の一員で、「スーパージョッキー」にアシスタントとしてレギュラー出演。1995年3月を以て「スーパージョッキー」を降板、グループは解散し仕事の方向性に関して事務所と衝突もあり、同年4月19日、自宅で首吊り自殺を図り命を絶ってしまう。22歳没。

堀口 綾子(ほりぐち あやこ、1973年2月17日 - 1995年4月19日)は、日本のアイドルである。埼玉県出身。1993年当時の身長は161cm。

音楽活動に憧れて芸能界に入ったものの、初めは「堀口綾」(ほりぐち あや)の名前で、雑誌『熱烈投稿』(少年出版社)や、『スーパー写真塾』(コアマガジン)などのグラビアページや表紙などでモデルを務めていた。その後、星野貴代子とともに、染谷有紀子がリーダーを務める女性3人グループ、「みるく」の一員となって芸能活動を行った。

同グループは、芸能事務所・イエローキャブに所属するセクシー・グループで、テレビのバラエティー番組『スーパージョッキー』(日本テレビ)に、アシスタントとしてレギュラー出演するとともに、1994年(平成6年)にはCDを発売し、歌手としても活動した。

しかし、同グループは1995年(平成7年)3月を以って『スーパージョッキー』を降板、ほどなくして解散となった。関係のあった音楽家との協業や海外での音楽活動の継続の方向を探っていたが、仕事の方向性に関して事務所と衝突もあり、同年4月19日、自宅で首吊り自殺を図り命を絶った。22歳没。

サブカル系の音楽を好み、小西康陽・電気グルーヴ・大槻ケンヂ・森若香織らに提供された曲を歌っていた細川ふみえを尊敬していたため、グラビア活動が好きでなかったにもかかわらずイエローキャブに入った。音楽活動は生きがいで、死の前にも「ロンドンでバンドをやる」夢を語っていたが、降板から解散まであまりに急激に進み、事務所の移籍を望んだものの上手く行かなかったなど芸能活動の行き詰まりが死を選んだ理由であると言われている。

引用元:堀口綾子 - Wikipedia








左から星野貴代子、染谷有紀子、右が堀口綾子。





















2026年4月18日土曜日

水谷絵津子



4月18日は、元アイドル歌手だった、水谷絵津子(みずたに えつこ)の誕生日です。スター誕生!第39回グランドチャンピオンを経て芸能界入り、1982年5月21日にシングル「キラリ・涙」でデビューしたが、デビュー当初からレコードのセールスが非常に不振だったため、結果的に1983年3月末を以って芸能界を引退している。以降復帰もなし。

水谷絵津子(みずたに えつこ、本名:関谷 靖子、1967年4月18日 - )は、日本の元アイドル。

血液型:A。公表されていたサイズは身長162cm、B80cm、W56cm、H81cm(1982年当時)。

大分県大分市出身。大分市立大東中学出身。在学中は軟式テニス部。他には陸上競技も特技だった。

スター誕生!第39回グランドチャンピオン。

1982年5月21日にシングル「キラリ・涙」でデビュー。

当時の所属事務所はプロダクションオーロラ、レコード会社は日本コロムビア。

デビュー当初からレコードのセールスが非常に不振だったため、結果的に1983年3月末を以って芸能界を引退した。

引用元:水谷絵津子 - Wikipedia

























2026年4月17日金曜日

立川俊之 (大事MANブラザーズバンド・大事MANブラザーズオーケストラ)



4月17日は、歌手・シンガーソングライターの立川俊之(たちかわ としゆき)の誕生日です。シングル「それが大事」の大ヒットでお馴染みな「大事MANブラザーズバンド」や「大事MANブラザーズオーケストラ」のリードボーカルとして有名。現在もソロとして活動を続ける。

立川 俊之(たちかわ としゆき、1966年〈昭和41年〉4月17日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。埼玉県草加市出身。元大事MANブラザーズバンド、大事MANブラザーズオーケストラのボーカル。血液型はA型。

1982年、バンド“Around Midnights”を戸村公彦や田岡広宣と結成。1988年、山田哲生が加入し“大事マンブラザーズバンド”に改名して活動を続ける。

1990年、“大事MANブラザーズバンド”に改名。

1991年1月25日、ファンハウスからメジャーデビュー。3枚目のシングル「それが大事」が大ヒットし1992年3月、日本ゴールドディスク大賞 部門賞のベストVニューアーティスト賞を受賞する。実売数は180万枚を超え、1992年度年間第4位。

1994年9月21日、初のソロアルバム『Theatrical Songs』をリリース。

ラジオでは、TBSラジオ他の『パックインミュージック21』や静岡放送 (SBS) ラジオ『ラジカルモンスター』(1996年4月 - 1997年3月)のパーソナリティとしても活躍。

大事MANブラザーズバンド解散後の1996年、小牟田聡と共に「TT.Charlie」を結成。翌年NHK教育テレビ「天才てれびくん」の1997年度オープニングテーマ『パリは恋の街』を発表。

2002年、バンド「T.T ORCHESTRA」を結成し、2004年にアテネパラリンピックの日本選手応援歌『最大のピンチは絶好のチャンス』を発表。

2007年、ソロ活動を開始。Acoustic Live等を行った。同年12月7日、ソロアルバム『DAY BY DAY』をリリース。

2009年1月、公式HPにて「大事MANブラザーズオーケストラ」の結成を発表。

2021年6月25日、「それが大事」30周年に伴い『それが大事 30th Anniversary』を配信にてリリース。

引用元:立川俊之 - Wikipedia





















2026年4月16日木曜日

BONNIE PINK



4月16日は、日本の女性シンガーソングライターである、BONNIE PINK(ボニー・ピンク)の誕生日です。本名は浅田香織(あさだ かおり)。カーディガンズをプロデュースしたトーレ・ヨハンソンや、シェリル・クロウやエルヴィス・コステロ等を手掛けたミッチェル・フルームら海外のプロデューサーを迎えたアルバムを制作した。歌詞が英語では売れないという日本の音楽業界の常識を覆し、新たな女性シンガーソングライター像を確立した。

BONNIE PINK(ボニー・ピンク、1973年4月16日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名は浅田 香織(あさだ かおり)。京都市上京区の西陣地区出身。所属マネージメント事務所はタイスケ。所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。公式ファンクラブ名は「Bonnie Link」。身長は160cm。

「BONNIE PINK」という芸名は、それぞれの単語の響きと保守的でない印象の色の「Pink」から考案された。もともとはBonnie Pinkという表記だったが、2001年某日から姓名判断により全て大文字のBONNIE PINKへと変更した。

カーディガンズをプロデュースし日本にスウェディッシュ・ポップを流行させたトーレ・ヨハンソン、シェリル・クロウやエルヴィス・コステロ等を手掛けたミッチェル・フルームら海外のプロデューサーを迎えたアルバムを制作。ほとんど英語詞のシングル「Heaven's Kitchen」を30万枚以上売り上げるなど、歌詞が英語では売れないという日本の音楽業界の常識を覆し、新たな女性シンガーソングライター像を確立した。近年は大ヒットしたシングル「A Perfect Sky」に関わったスウェーデンのBurning Chicken、ツアーでもバンマスを務める鈴木正人らの複数の音楽的ブレーンを曲ごとに起用し、多彩な彼女ならではのサウンドを深化させ続けている。

引用元:BONNIE PINK - Wikipedia























2026年4月15日水曜日

酒井和歌子



4月15日は、女優の酒井和歌子(さかい わかこ)の誕生日です。昭和を代表する青春スターのひとりで、1961年より主に映画やテレビドラマなどで活動する。愛称は「ワコちゃん」。

酒井 和歌子(さかい わかこ、1949年〈昭和24年〉4月15日 - )は、日本の女優。血液型はB型。兄1人。 スタッフ・アップ プロモーション所属。愛称は「ワコちゃん」。

東京都出身(栃木県生まれ)。目白学園高等学校卒業、目白学園女子短大国文学科中退。

栃木県で生まれ、生後間もなく東京都板橋区に移り住む。小学校に入学して劇団若草へ入団する。

1961年の『あいつと私』やテレビドラマに出演する傍ら、『女学生の友』などの少女雑誌のモデルとして活躍した。

1964年、『今日もわれ大空にあり』のオーディションに合格し、東宝に入社した。内藤洋子と共に「青春スター」と呼ばれた。また、吉永小百合や栗原小巻らとともに、酒井和歌子の名前があがることも多かった。夏木陽介主演の『これが青春だ!』『でっかい太陽』での清純な女子高生役が爽やかな印象を残して注目を得ることに成功。

1968年には、『めぐりあい』で初主演。同作品の成功で看板女優として認められ、「ワコちゃん」と呼ばれた。続いて『若大将シリーズ』でのヒロイン・節子役や『日本の青春』などの話題作でも顔が知られるようになった。

1974年にはドラマ『ちょっとしあわせ』で郷ひろみ、高沢順子らと共演した。表裏のないテレビ画面の通りの人柄の良さで知られ、共演した芹明香は、酒井和歌子の人柄について「本当に善い人。すごく好きだった」と証言している。 長らく清純派女優のイメージを引き継いだ役柄が多かったが、1973年(完成は1972年)の『グアム珍道中』で、主人公を翻弄する辣腕のビジネスウーマンを演じて転機を示し、1976年の『妻と女の間』では、一時の愛に溺れる平凡な人妻役をこなした。同年、東宝を退職し、フリーとなり、活動の場をテレビドラマに移した。

1970年代以降は『火曜サスペンス劇場』や『土曜ワイド劇場』、『東芝日曜劇場』といったテレビドラマの常連として活躍し、良妻賢母から愛欲に溺れる悪女、主人公の母、姑まで多岐にわたる「女の人生」を演じ切った。

引用元:酒井和歌子 - Wikipedia





























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