2026年8月17日月曜日

岡村有希子 (岡村佳枝・渡辺かえ)



8月17日は、日本の元アイドル歌手であった岡村有希子(おかむら ゆきこ)の誕生日です。1981年に福岡音楽祭に出場し特別賞受賞。同年、長崎歌謡祭の決戦大会に出場し第2位、そこでレコード会社のディレクターにスカウトされ、デビューのきっかけを得る。1984年1月25日に「哀しみのレイン・トリー」で歌手デビュー。歌手の「岡田有希子」と一文字違う。アイドル歌手としては一年余りと短命だったがその後は「岡村佳枝」に改名してアニメソングなどで活動を継続、歌手は引退したが現在は「渡辺かえ」名義で地元・下関のコミュニティFM放送局でパーソナリティーとして活動をしている。

岡村 有希子(おかむら ゆきこ、1967年8月17日 - )は、日本の元アイドル。本名、渡辺佳枝(わたなべ かえ、旧姓:岡村)。現芸名は渡辺かえ。血液型:A型。所属:青山芸術企画。山口県下関市出身。堀越高等学校卒業。兄がいる。

小学4年生の時に福岡のテレビ局が開催したのど自慢大会で優勝。小学5年生の頃から平尾昌晃ミュージックスクール福岡校に通っていた。そこで一緒にレッスンを受けていた桑田靖子とは当時からの仲良し。1981年に福岡音楽祭に出場し、特別賞受賞。同年、長崎歌謡祭の決戦大会に出場し第2位(グランプリ受賞は松本伊代)。そこでレコード会社のディレクターにスカウトされ、デビューのきっかけを得る。1983年、中学卒業と共に上京。同年中に歌手デビュー予定で、当初本人は演歌歌手志望だったが、まだ早いという周囲の判断によりアイドル歌手としてデビューすることになる。

1984年1月25日にユピテルレコードよりフレンチ・ポップス路線の曲「哀しみのレイン・トリー」で歌手デビュー。当時の愛称は「ユーリン」(タモリが名付けた。有希子と、自身の憧れの松任谷由実の愛称「ユーミン」が由来)。 同級生の岡田有希子と名前を間違えられる事があった。自分のキャンペーンやミニライブの会場に岡田のファンが間違えて来て「違~う!」と叫ばれたこともあったという。

その後所属していたユピテルレコードが倒産したため、日本コロムビアに移籍し、岡村佳枝に改名してアニメソングなどで活動を継続するも、1990年に23歳で結婚を機に引退。翌年1991年に故郷の下関に戻る。故郷に戻った後は主に結婚式やパーティーなどの司会の仕事を務め、地元出身の安倍晋三のパーティーの司会も務めたことがあった。

シングルをリリースした期間は1984年~1985年だが、1989年までアニメソングオムニバスCDなどに参加、歌手活動を行なっていた。

歌手を引退後、結婚・離婚・再婚を経て、渡辺かえ名義で地元・下関のコミュニティFM放送局であるカモンFMのラジオパーソナリティとして活動。ラジオパーソナリティの他に、結婚式の司会なども務めている。

引用元:岡村有希子 - Wikipedia



















元アイドル「岡村有希子さん」 わずか1字違いの芸名だった同期との忘れられない思い出/サブカル系/芸能/デイリースポーツ online





2026年8月16日日曜日

大沢あかね



8月16日は、日本のタレントである、大沢あかね(おおさわ あかね)の誕生日です。祖父は元プロ野球選手で日本ハムファイターズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)元監督の大沢啓二。夫はお笑いタレントの劇団ひとり。13歳の時に、NHKの子供番組「天才てれびくんワイド」にて「てれび戦士」として1年間レギュラー出演し、注目を集める。

大沢 あかね(おおさわ あかね、1985年〈昭和60年〉8月16日 - )は、日本のタレント。大阪府大阪市大正区出身。テンカラット所属。本名は川島 茜(かわしま あかね)。 夫はお笑いタレントの劇団ひとり。

祖父は元プロ野球選手で、日本ハムファイターズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)元監督の大沢啓二)。同じく元プロ野球選手の大沢清と大沢紀三男は大伯父(啓二の兄)にあたる。啓二は母方の祖父であり、大沢姓は母の旧姓からとられた芸名である。

1993年、子役モデルとして芸能界デビュー。2001年以降、学習研究社発行の雑誌(2004年5月まで『ピチレモン』、以後『Fapri』)にて専属モデルを務めていたが、現在はモデルとしての活動はほとんど行っていない。

2009年2月4日、自叙伝『母ひとり、娘(こ)ひとり』を幻冬舎から出版する。同年2月16日、劇団ひとりとの結婚を発表。2月17日、婚姻届を提出。2010年3月2日、妊娠を発表、9月8日に第1子となる女児を出産。2016年2月10日、第2子妊娠を発表。同年7月13日、第2子男児を出産。2018年10月9日、第3子妊娠を発表。2019年3月5日、第3子女児の出産を報告。

13歳の時に、NHKの子供番組『天才てれびくんワイド』にて「てれび戦士」として1年間レギュラー出演し、注目を集める。

引用元:大沢あかね - Wikipedia





























2026年8月15日土曜日

トミー・アルドリッジ (ドラマー)



8月15日は、アメリカ出身のドラマーであるトミー・アルドリッジ(Tommy Aldridge)の誕生日です。1970年にブラック・オーク・アーカンソーに加入、1978年からパット・トラヴァースのバンドに加入し、オジー・オズボーンにスカウトされ、彼のバンドに加入。1987年にはホワイトスネイクのメンバーとなる。その後も様々なプロジェクトやバンドに加入しながら70歳を超えてもパワフルなドラミングを聴かせてくれている。

トミー・アルドリッジ(Tommy Aldridge、1950年8月15日 - 、ミシシッピ州ジャクソン生まれ)は、アメリカ出身のHR/HMドラマー。

サザン・ロック・バンドのブラック・オーク・アーカンソー、パット・トラヴァース、オジー・オズボーン、ホワイトスネイク、ゲイリー・ムーア、テッド・ニュージェント、シン・リジィほか、数多くのHR/HMミュージシャンと共演している。

ビートルズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリンなどに感化され、ジョー・モレロ、ジョン・ボーナムといったドラマーに影響を受けた。ヘヴィメタル界におけるツーバス奏者のパイオニアの1人でもある。

「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において44位。

膨大な数のレコーディングやライヴのほか、ドラム・クリニックの主宰や様々なイベントでの演奏にも意欲的で、1980年代前半から多忙なツアー、レコーディングの合間を縫って多くの仕事を手掛けている。

趣味は自身のトレーニングを兼ねたサイクリング。

当初はソナー製のドラムセットを使用していたが、後にヤマハへ切り替え40年以上に渡り愛用している。シンバルは、かつてジルジャンを使用していたが、現在はパイステ製のシンバルを愛用。

スティックはPRO MARKから発売されている自身のモデルを使用し、マッチドグリップで演奏する。演奏中の「スティック回し」は彼のトレードマークの一つともなっている。

引用元:トミー・アルドリッジ - Wikipedia





















2026年8月14日金曜日

井上純一 (俳優)



8月14日は、俳優の井上純一(いのうえ じゅんいち)の誕生日です。かつてジャニーズ事務所に所属しジャニーズJr.になる。一時期は「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」のメンバーにも選ばれたが、すぐに脱退。1975年に「恋人ならば」でソロレコードデビュー。テレビドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」や「池中玄太80キロ」などに出演し主に俳優で活動した。

井上 純一(いのうえ じゅんいち、1958年〈昭和33年〉8月14日 - )は、日本の俳優、声優。また、かつてジャニーズ事務所に所属し、男性アイドルグループ・ジュニア・スペシャルの元メンバー。

東京都世田谷区松原出身。NLT 所属。早稲田大学高等学院卒業。早稲田大学第一文学部中退。アイドル時代の愛称は「ジュン」。元妻は女優・声優の戸田恵子。

早稲田大学高等学院1年生在学中の1974年にジャニーズ事務所へ入所し、ジャニーズJr.になる。一時期は「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」のメンバーにも選ばれたが、すぐに脱退した。1975年にコロムビアレコードから『恋人ならば』でソロレコードデビューしたが、高校の校則が厳しかったため、デビューは夏休み中の同年8月1日となった。当時のキャッチフレーズは「ポストひろみ」、「クリーン・エイジの白い恋人」。同年にはニッポン放送主催の『銀座音楽祭』にも出場したほか、レコードデビューと同時に草刈正雄との共演映画『俺たちの恋人』の撮影もクランクイン(後にお蔵入り)。さらには、映画『はつ恋』にて主演も果たすなど、ふんわりした独特のパーマヘアと爽やかなキャラクターで人気を博した。その後も、テレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』や『池中玄太80キロ』などに出演し、歌手活動よりは俳優活動の方が目立っていた。

アイドル歌手としての華々しい活動は少なかったが、数々の人気ドラマへのレギュラー出演もあり、若手俳優としての認知度および知名度は高かった。川崎麻世と共に、1970年代後期からたのきんトリオ出現前のジャニーズ事務所低迷期を支え、たびたび雑誌グラビアを飾り、プロマイドの売れ行きも好調だった。

テレビドラマで長らく恋人役を演じてきた藤谷美和子との交際もあったが、後に舞台『踊れ艦隊のレディたち』で共演した女優・声優の戸田恵子と1990年に結婚。戸田とは都内に画廊をオープンしたりもしたが、2006年12月に離婚。離婚についてはほとんど公表されておらず、2007年7月頃の週刊誌にて初めて発覚した。なお、戸田とは離婚後も仲が良いとの噂があったが、離婚後は井上の親の葬儀以外では会っていないという。

引用元:井上純一 (俳優) - Wikipedia

























2026年8月13日木曜日

太田貴子



8月13日は、日本の歌手・声優である太田貴子(おおた たかこ)の誕生日です。1983年にアイドル歌手デビュー、アニメ「魔法の天使クリィミーマミ」で主役の森沢優/クリィミーマミ役で声優を務めたことでも有名。1994年に一旦引退したが1998年以降は主婦業のかたわらで芸能活動再開している。

太田 貴子(おおた たかこ、1967年8月13日 - )は、日本の歌手、声優。東京都新宿区出身。

1982年、日本テレビ『スター誕生!』第45回に出演し、決戦大会で徳間音楽工業 と東宝映画からスカウトの札が上がり、1年間演技の勉強をしてからデビューする東宝よりもすぐに歌手デビューできると聞いた徳間を選び、1983年にアイドル歌手デビュー。デビュー曲の「デリケートに好きして」は、自身が主演声優を務めた『魔法の天使クリィミーマミ』の主題歌にもなった。この曲の楽曲制作はビーイングが行っている。

その後1984年にNHK総合テレビ『レッツゴーヤング』のレギュラーメンバー「サンデーズ」の一員として参加。その後1989年にNECアベニュー(日本電気の関連レコード会社、現・インデックスミュージック)に移籍した。

1985年頃には、新宿ルイード(現・新宿RUIDO K4)でライブを行うなど、アイドル系のポップス歌手としては異例の活動を行った。その後、音楽面でも徐々にロック色が強くなっていった。

1994年に一旦引退、1996年に結婚。3人の子供にも恵まれる。

1998年7月に行われたスタジオぴえろ20周年記念ファン感謝祭にゲスト出演した際、芸能界への復帰宣言を行い、以後は主婦業のかたわらで芸能活動再開。

『クリィミーマミ』への出演は、当時徳間書店の尾形英夫に挨拶に行った際、尾形から同番組への出演を打診され、魔法アニメが好きだった太田が二つ返事で承諾したことによる。『クリィミーマミ』を制作していたぴえろの布川ゆうじは太田の当てた声を最初に聴いた時に「あちゃー」と思ったということだったが、同番組で共演した水島裕は、「(太田の演技は)既製品でない、言い換えれば良い意味で教科書に載っていない演技。その個性的でチャーミングな演技とキャラクターの魅力が見事に合わさっていた」と評している。なお、水島は太田のことを「おたこ」と呼んでいた。

引用元:太田貴子 - Wikipedia





























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