2026年3月28日土曜日

伊武雅刀 (伊武雅之・伊武正巳・伊武専)



3月28日は、俳優・声優・ナレーターである、伊武雅刀(いぶ まさとう)の誕生日です。声優として「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統役や「スネークマンショー」への出演などでお馴染み。俳優としてもバイプレイヤーとして活動。

伊武 雅刀(いぶ まさとう、1949年〈昭和24年〉3月28日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。東京都中野区野方出身。

映画スターに憧れ、新聞で目にしたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマ『高校生時代』(後の『中学生日記』)のオーディションを受け、同ドラマの1967(昭和42)年度放送分に森本レオと共に出演した。森本もこのドラマで俳優デビューしており、親交が深い。これが転機となり、本格的に俳優を志すため同校を中退して東京へ戻り、現代演劇協会付属現代演劇研究所「劇団雲」に入団。

しかし1年で同劇団を“ドロップアウト”し、今度は俳優小劇場の養成所に入るも、ここも半年で辞めてしまう。この当時、「君は声はいいけれど、声だけだな」と評価されるなど、声の魅力は弱冠20歳にして認められるものがあった。

プロダクションエム・スリーでの先輩にあたる堀勝之祐から勧められたことをきっかけに、1970年代は意欲的に声優の仕事にも取り組む。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズのデスラー総統役が当たり役、かつ出世作となったほか、多数の洋画吹き替えにも出演したが、あくまでも声優業を行う理由は「稼ぐため」で、俳優への志は強く、当時の伊武にとって声優活動は本意ではなかったという。

1976年(昭和51年)末頃、ラジオの仕事で知り合った小林克也からラジオ番組への出演を持ちかけられる。これがラジオ大阪の桑原茂一プロデュースの番組「スネークマンショー」で、この中での小林との掛け合いによる、当時のタブーギリギリの過激な内容のコントがリスナーや放送業界内でも評判となった。この番組は後にTBSラジオほかJRN系列で全国ネットとなり、さらにYMOによってコントがレコードに収録されるに及び、音楽業界にまで一気に知名度が高まった。

2002年(平成14年)10月 - 2009年(平成21年)3月にはラジオ番組『JET STREAM』の機長(パーソナリティ)を務め、初代パーソナリティ城達也のスタイルを踏襲した語り口で好評を博した。

引用元:伊武雅刀 - Wikipedia

























2026年3月27日金曜日

高中正義



3月27日は、ギタリスト・音楽プロデューサー・作曲家である、高中正義(たかなか まさよし)の誕生日です。「ストロベリー・パス」や「フライド・エッグ」でベーシストとしてプロデビュー、後に「サディスティック・ミカ・バンド」にギタリストとして参加。「サディスティックス」解散後はソロ・アーティストとしてフュージョン・ブームの一翼を担った。

高中 正義(たかなか まさよし、出生名:劉 正義(りゅう まさよし)、1953年3月27日 - )は、日本のギタリスト、音楽プロデューサー、作曲家である。東京都北区赤羽生まれ、品川区大井育ち。

1971年に高校生でデビューして以来、日本のロック界、フュージョン界を代表するギタリストの一人である。

使用するギターは本人の特注色であるラグーンブルーのヤマハのSGが代表的であったが、昨今はサディスティック・ミカ・バンド在籍時から所有しているフェンダー社製のストラトキャスターモデルもおもに用いる。

高校3年生のときに、エイプリル・フールのコンサート中に酔っ払ったメンバーの「誰かギターを代わりに弾いてくれ」という呼びかけに応じて、客席から学生服のままステージに上がり演奏したことがプロ・デビューのきっかけとなる。

柳田ヒログループの一員として、1971年7月日比谷野音で開催された岡林信康の「岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き」でバッキングを務める。次いで8月に成毛滋とつのだ☆ひろのストロベリー・パスのサポートとしてロックイベント「箱根アフロディーテ」に出演し、1か月後に正規メンバーに迎えられてフライド・エッグと改称した。このプロデビュー時は本人の意に反してベースを担当させられる。

フライド・エッグ解散後、加藤和彦が結成したサディスティック・ミカ・バンドに参加し、ここからプロ・ギタリストとして活動する。スタジオ・ミュージシャンの仕事も徐々にギタリストへ移行する。

サディスティックス解散後はソロ・アーティストとして活動した。

フュージョン・ブームが頂点を指した1979年、代表曲となる「BLUE LAGOON」が収録されたアルバム『JOLLY JIVE』を発表し、さらにその直後には日本武道館で井上陽水とのジョイントコンサートを行って話題となり、ここで人気が爆発した。

1992年発表のアルバム『Fade to blue』からダンス・ミュージック路線を抑えて、以前のようなギター・インストゥルメンタルによるフュージョン色が濃い路線へ回帰した。

2000年代に個人レーベルの「Lagoon Records」を設立し、年一枚のペースで出していたオリジナル・アルバムの発表は鈍くなるも、毎年のライブDVDの制作と発表に注力する。

引用元:高中正義 - Wikipedia



























2026年3月26日木曜日

渡辺麻友 (元 AKB48)



3月26日は、元アイドル歌手・女優で女性アイドルグループ「AKB48」の元メンバーであった、渡辺麻友(わたなべ まゆ)の誕生日です。2007年4月8日にAKB48劇場でデビュー、2017年12月に卒業するまでAKB48の中心メンバーとして活動をする。2020年5月31日をもって契約を終了し芸能界を引退した。

渡辺 麻友(わたなべ まゆ、1994年〈平成6年〉3月26日 - )は、日本の元アイドル、元女優、元歌手。女性アイドルグループAKB48の元メンバーである。埼玉県さいたま市出身。デビューの2007年(平成19年)から2008年(平成20年)までoffice48およびAKSに所属(グループメンバーとしてグループ卒業の2017年まで所属)し、2008年から2020年(令和2年)5月31日に芸能界を引退するまでプロダクション尾木(2019年より引退まで、業務提携:Mama&Son)に所属していた。

愛称は、まゆゆ。「麻友」という名前は祖母が付けたもので「麻の木のようにスクスク育ち、友達をたくさん作る子になってほしい」という願いが込められている。

チャームポイントはパッチリとした眼である。小学6年生の時に『銀魂』の猿飛あやめを意識して赤いフレームのメガネを買った。

自己紹介のキャッチフレーズは、デビュー当初は「ハートフルに、ピースフルに、ビューティフルに、フルパワーで頑張ります」、その後「み〜んなの目線を、いただきまゆゆ〜。まゆゆこと渡辺麻友です」になった。愛称「まゆゆ」の名付け親は、同じ3期生で同じチームBだった米沢瑠美である。

プロデューサーの毛利忍によると『AKBINGO!』が始まった当初は何も喋らずただ座っており、整った顔立ちから「渡辺麻友はCGだ」「2.5次元」と言われたことがある。本人もこのことを何度かネタにしており、第2回AKB48選抜総選挙のポスターには「起こしてみせます! CGレボリューション!!」というキャッチコピーが使われた。「アイドルサイボーグ」と紹介されたこともある。

秋元康は「正統派アイドルの美少女」、「天性のアイドルです。アイドルになるために生まれてきたような子です」と評している。『ミュージックフェア』で「愛について」をセッションしたスガシカオからも高評価を受けた。

引用元:渡辺麻友 - Wikipedia































2026年3月25日水曜日

下川辰平



3月25日は、俳優の下川辰平(しもかわ たっぺい)の命日です。1954年から俳優活動を開始、主に1972年より「太陽にほえろ!」で通称「長さん」こと野崎刑事役でレギュラー出演したのが最も有名。他に「長七郎江戸日記」での長七郎の忠臣である三宅宅兵衛役や「スクール☆ウォーズ」での山城晋平校長役も有名。2004年3月25日、敗血症のため死去。75歳没。

下川 辰平(しもかわ たっぺい、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。本名:下川 辰典(しもかわ ときふみ)。

福岡県福岡市出身。武蔵野美術大学中退。前田プロに所属していた。

1945年、陸軍士官学校に合格したが敗戦、画家を志し、武蔵野美術大学に入学するが、中退して帰郷する。 絵ごころあって福岡の電機ホールで舞台装置を手伝っているうちに、1954年、ラジオ九州(現在のRKB毎日放送)の放送劇団に2期生として入団し俳優活動をスタート。福岡市民劇場の座長を務めた。ワンマンで地元では一番高い出演料をもらっていたという。

1964年、杉村春子にめぐりあい、再び上京して文学座附属演劇研究所に入り、研究生を経て1968年に文学座座員に昇格。『飢餓海峡』(1972年)、『天守物語』(1974年)ほか多くの舞台に立ち、1977年の舞台『天守物語』を最後に退座する。

1972年、『太陽にほえろ!』シリーズでの通称「長さん」こと野崎刑事役でレギュラー出演し、一躍有名となる。以降、叩き上げの刑事役はハマり役といわれた。

『太陽にほえろ!』で五代刑事役を演じていた山下真司とは1984年に『スクール☆ウォーズ』で再共演し、自身は山城晋平校長で出演した。

黒澤明からは『どですかでん』への出演で気に入られており、その後も別の作品の出演依頼を受けていたが、スケジュールの都合で叶わなかった。

晩年は病気のため地元に帰郷していた。

2004年3月25日、敗血症のため福岡市内の病院で死去。75歳没。

引用元:下川辰平 - Wikipedia





















2026年3月24日火曜日

三ツ矢歌子



3月24日は、女優の三ツ矢歌子(みつや うたこ)の命日です。1950年代後期より池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれた。テレビドラマへと活動の場を移すと、出演した昼ドラマが必ず2桁の視聴率を獲得したことから「昼メロの女王」と呼ばれた。2004年3月24日、間質性肺炎のため死去、67歳没。

三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 2004年3月24日)は、日本の女優。

大阪府堺市東区出身。プール学院高等学校卒業。血液型A型。本名は小野田 宇汰子。 夫は小野田嘉幹。平田昭彦は義弟(夫の実弟)、音羽美子は義妹(夫の妹)、久我美子は義妹(義弟の妻)、野平ゆきは義子(息子の妻)。

学生時代の同級生には坂本スミ子がいた。

1955年、学生時代の女友達が内緒で新東宝の新人募集に応募書類を送ったところ、合格。第4期スターレットとして入社(同期は北沢典子、原知佐子、万里昌代、朝倉彩子など)。

1956年の『君ひとすじに』で銀幕デビューを果たし、池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれ、1961年の倒産まで出演を続けた。

1960年に小野田と結婚(後年、「新東宝が潰れそうだったので結婚に踏み切りました」と語っていた)。二男をもうける。

テレビドラマへと活動の場を移すと、出演した昼ドラマが必ず2桁の視聴率を獲得したことから「昼メロの女王」と呼ばれた。

2004年3月24日、間質性肺炎のため都内の病院で死去。67歳没。同期の原は三ツ矢の訃報を受けてのインタビューで「歌子ちゃんはスターに成るべく新東宝に入社して来た人だった」と語っていた。

引用元:三ツ矢歌子 - Wikipedia























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