2023年3月27日月曜日

坂口良子



3月27日は、女優・歌手の坂口良子の命日です。2013年3月27日没。57歳。

坂口 良子(さかぐち りょうこ、1955年〈昭和30年〉10月23日 - 2013年〈平成25年〉3月27日)は、日本の女優。北海道余市郡余市町出身。

1971年、15歳で出場したミス・セブンティーンコンテストで優勝し芸能界入りする。1972年、シングル「あこがれ」で歌手デビュー。同年フジテレビのドラマ『アイちゃんが行く!』で主演に抜擢され、女優デビューも果たした。

以降次々とドラマに出演するようになり、ドラマ『サインはV』(1973年版)では主役・江川ゆかを演じ、主題歌も担当。他にも1975年の『前略おふくろ様』、1980年の『池中玄太80キロ』などの作品が当たり、特に1970年代はアイドル的扱いをされていた。石井ふく子からも重宝され、「石井組」の一員と見なされていた。

1970年代後半には、市川崑作品を中心に映画出演も多くこなし、市川作品では計4本に出演した。映画評論家の田山力哉は『日本映画俳優全史. 女優編』(社会思想社)で「テレビの小さな画面よりも大きな銀幕の方が遥かに魅力的というのは何と素晴らしいことだろうか」と激賞した。助演が多いが、『帰って来た若大将』は女優一番手にあたる準主演である。

晩年は娘の杏里との共演が多く、共に出演した2012年11月20日収録の「雨上がり食楽部」が生前最後のテレビ出演となった(12月22日放送)。

2013年3月12日発売の「週刊女性」が坂口の重病説を報道。これに対して坂口は自身のブログで、体調を少し崩しており静養中であると説明した。しかし同月27日午前3時40分、横行結腸癌および肺炎のため死去。57歳没(享年58歳)。

引用元:坂口良子 - Wikipedia













2023年3月26日日曜日

いしだあゆみ



3月26日は、女優・歌手のいしだあゆみの誕生日です。

いしだ あゆみ(1948年3月26日 - )は、日本の女優、歌手。イザワオフィス所属。身長163cm。本名・別名義:石田 良子(いしだ よしこ)。大阪府池田市出身。

1961年、梅田コマ劇場で初舞台を踏む。

1962年、14歳中学生で上京していずみたくに師事。同年4月20日、ソノブックス社よりソノシートで『夢みる恋(原題:Walkin' Back To Happiness)』を石田 良子でリリースし、その後も本名名義でソノシートを何枚かリリースした。

1964年4月にいしだ あゆみに改名し、日本ビクターから『ネェ、聞いてよママ』でアイドル歌手としてデビューした。同年から翌1965年にかけては『七人の孫』に森繁久彌の孫役で出演するなど、劇団出身の演技力を活かして歌手と女優の二足のわらじで芸能活動を開始した。

1968年6月に日本コロムビアへ移籍。同年12月に発売したシングル『ブルー・ライト・ヨコハマ』が翌1969年初頭から大ヒットし、同年2月10日にはオリコンチャート週間1位にランクイン。累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなった。同年の年間チャート第3位にもランクインし、歌手としてのいしだのイメージを確立した。いしだは同年末の『第20回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌唱。紅白歌合戦では他にも1973年の第24回、1993年の第44回と、合計3回歌唱している。

1970年の『あなたならどうする』がオリコン最高2位、1971年の『砂漠のような東京で』がオリコン最高3位にランクインするなどヒットを飛ばし、紅白歌合戦には通算10回出場している。

1973年公開の映画『日本沈没』(原作:小松左京)で演技力が高く評価され、1977年には『青春の門 自立編』で報知映画賞助演女優賞を受賞。1981年の映画『駅 STATION』では高倉健の妻を演じた。1982年の『野獣刑事』ではヌードが話題となり、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』との両作品で第6回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞した。1986年の『火宅の人』では報知映画賞とブルーリボン賞、第10回日本アカデミー賞主演女優賞などを受賞。同年の映画『時計 Adieu l'Hiver』では経験を活かしてフィギュアスケートのコーチを演じた。

たびたび倉本聰脚本作品に起用され、石井ふく子プロデュース作品の常連でもあった。

引用元:いしだあゆみ - Wikipedia













2023年3月25日土曜日

エルトン・ジョン



3月25日は、イギリスのミュージシャン・シンガーソングライターのエルトン・ジョンの誕生日です。

サー・エルトン・ハーキュリーズ・ジョン(Sir Elton Hercules John、CH CBE, 1947年3月25日 - )は、イギリスのミュージシャン、シンガー・ソングライター。出生時の名前は、レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。アメリカのビリー・ジョエルと共に、20世紀後半〜21世紀前半、ピアノ・ロックというジャンルを確立した。

1969年にソロ・デビュー。1970年の「僕の歌は君の歌」のヒット以降コンスタントに活動を続け、現在までに全世界で3億枚以上のレコード・セールスを記録した、世界で最も成功した男性ソロ・アーティストの一人である。作曲は彼自身によるものだが、作詞は1968年のデビュー以降その多くを盟友バーニー・トーピンが手がけている。

1970年代前半に、人気は全盛期を迎えた。シングルでは「ホンキー・キャット」「ロケット・マン」「クロコダイル・ロック」「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」「土曜の夜は僕の生きがい」「ベニーとジェッツ」ほか多数のヒット作を発表。1972年の『ホンキー・シャトー』以降、『ピアニストを撃つな!』(1973年)、『黄昏のレンガ路』(1973年)、『カリブ』(1974年)、『グレイテスト・ヒッツ』(1974年)、『キャプテン・ファンタスティック』(1975年)、『ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ』(1975年)が7作連続全米首位を記録し、1975年には『キャプテン・ファンタスティック』で全米ビルボードのアルバムチャート史上初の初登場1位を記録するなど、この時期に彼は数多くの成果をあげた。

活動休止期間を経て、トーピンと一時期決別してからは不遇の時代が続いたが、一方で1986年にはディオンヌ・ワーウィックらとのデュエット曲「愛のハーモニー」で初のグラミー賞を受賞している。1980年代後半から1990年代前半にかけては、喉の病気やアルコール、薬物依存症などに苦しみながらも、音楽活動と並行してチャリティーにも精力的に取り組むようになる。1990年代前半からは依存症を克服し、映画『ライオン・キング』のサントラなど数多くの仕事で成功した。1997年には、旧作の詞の一部を差し替え、事故死したダイアナ妃に捧げたシングル「キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997/ユー・ルック・トゥナイト」が、全世界で3,700万枚以上を売り上げるシングル史上最大のヒット曲となる。この記録は、2015年現在も破られていない。1998年2月24日には長年の功績を称えられ、ポピュラー音楽の音楽家としては3人目となるナイトに叙勲された。

引用元:エルトン・ジョン - Wikipedia













2023年3月24日金曜日

竜星涼



3月24日は、俳優の竜星涼(りゅうせい りょう)の誕生日です。2013年にスーパー戦隊シリーズ「獣電戦隊キョウリュウジャー」にて主役・桐生ダイゴ/キョウリュウレッド役でテレビドラマ初主演した。

竜星 涼(りゅうせい りょう、1993年〈平成5年〉3月24日 - )は、日本の俳優。東京都出身。研音所属。

両親は山形県の出身で、自身も生まれは山形県新庄市である。2009年夏に原宿の竹下通りで美容院に行く途中でスカウトされ、2010年1月に研音に正式に所属。同年4月期のテレビドラマ『素直になれなくて』(フジテレビ)で、上野樹里扮する水野月子の教え子役で俳優デビュー。2012年2月にスタジオライフの公演『OZ』で、初出演となる舞台で初主演をつとめる。同年3月、『ライアーゲーム -再生-』で映画初出演。

2013年2月から2014年2月に放送されたスーパー戦隊シリーズ『獣電戦隊キョウリュウジャー』の桐生ダイゴ / キョウリュウレッド役でテレビドラマ初主演。同作で岩泉猛志ノ介役(ノンクレジット)も務めた。2013年8月に公開された、『劇場版 獣電戦隊キョウリュウジャー ガブリンチョ・オブ・ミュージック』で映画初主演。2014年6月14日に開催された、MTV VMAJ 2014に授賞式のプレゼンターであるゲストセレブリティーとして出演。研音の若手俳優によるステージ『MEN ON STYLE』に初回から参加している。

2016年1月、『Yohji Yamamoto HOMME 2016-2017AW Paris Collection』に出演し、パリ・コレクションにデビュー。翌2017年に『Y-3 Fall/Winter 2017-2018コレクション』で2度目のパリ・コレクション出演となる。

2017年、連続テレビ小説『ひよっこ』に出演。同作や『小さな巨人』への出演で注目され、以後、『アンナチュラル』・『昭和元禄落語心中』・『メゾン・ド・ポリス』などに出演して、2018年に配信ドラマ『紺田照の合法レシピ』、2019年にテレビドラマ『都立水商! 〜令和〜』で主演をつとめた。同年7月公開のディズニーアニメーション映画『トイ・ストーリー4』では、先割れスプーンから生まれた手作りおもちゃの男の子・フォーキーの声を担当した。

『キョウリュウジャー』では危険なアクションシーンでも様々な経験ができることが楽しかったと述べており、監督からスタントを使わずに竜星で撮ると言われると嬉しかったという。唯一辛かった撮影として、冬に水面に倒れているシーンを挙げている。

引用元:竜星涼 - Wikipedia











2023年3月23日木曜日

潮健児 (泉正夫・潮建志・潮建磁)



3月23日は、俳優の潮健児(うしお けんじ)の誕生日です。1993年9月19日没。68歳。数々の現代劇から時代劇、特撮物に出演した名バイプレーヤーだが、その存在感を示したのは「仮面ライダー」における「地獄大使」だろう。

潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993年9月19日)は、日本の俳優。本名:益戸 正雄(ますど まさお)。別名義:潮 健志・潮 健磁・泉 正夫。

東京府荏原郡出身。オノプロに所属していた。

旧制 専修大学予科在学中に応召し、陸軍飛行学校に入る。太平洋戦争終結後の1945年に友人の紹介で古川ロッパの一座に入団するも、1947年に退団し、専修大学専門部経済学科に通いながら、小劇団を転々とする。

1949年、太泉映画と契約し、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビュー。以来、太泉映画の後身である東映において長きに渡り、脇役として活動。千葉真一主演の『ファンキーハットの快男児シリーズ』でのコミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ(若山富三郎主演)。『網走番外地』シリーズ(高倉健主演、石井輝男監督)などの任侠映画や、今井正監督作品などに欠かせない個性的な名バイプレーヤーとして活躍した。特撮番組の『悪魔くん』のメフィスト弟(吉田義夫の代役)、『仮面ライダー』シリーズの地獄大使と暗闇大使を演じた。

『千葉真一とザ・サタンズ』のドラマーとして、九州巡業や東京のジャズ喫茶でライブを行い、その際には司会も兼務していた。千葉はデビューしてから、潮に相談相手になってもらってもいた。

1993年の『第32回日本SF大会 DAICON6』にゲストとして招待されたが、出演する企画の前夜にホテルの部屋で倒れた。付き添いの唐沢俊一は止めるよう勧めたが、体調不良を隠して出演。暗黒星雲賞ゲスト部門を受賞した。本人も喜んでいたが、これが実質上「地獄大使の最後のステージ」となった。

1993年9月19日 午前0時28分。肝硬変のため、神奈川県川崎市高津区の虎の門病院分院にて死去。68歳没。生涯独身だった。亡くなる2日前に、自伝『星を喰った男』の出版記念パーティーの会場にて車椅子姿で出席したのが最後の活動となった。

従兄弟に安藤三男。鈴村展弘は、平山亨の紹介で一時期、潮の運転手を務めていた。

引用元:潮健児 - Wikipedia













人気の投稿(過去7日間)