2026年8月4日火曜日

津川雅彦



8月4日は、俳優・映画監督・芸能プロモーター・時事評論家の津川雅彦(つがわ まさひこ)の命日です。1956年の映画「狂った果実」が本格デビューであり、1959年に木下恵介監督の「惜春鳥」、1960年には大島渚監督の「太陽の墓場」など多くの話題作に出演。1980年代以降は「マルサの女」や「スーパーの女」など伊丹十三監督作品に多数出演し存在感を示した。実兄に長門裕之。妻は朝丘雪路。2018年8月4日、心不全のため死去。78歳没。

津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2日 - 2018年〈平成30年〉8月4日)は、日本の俳優・映画監督・芸能プロモーター・時事評論家。

芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務めた。位階は従五位。

俳優としては1956年の映画『狂った果実』が本格デビューであり、1959年に木下恵介監督の『惜春鳥』、1960年には大島渚監督の『太陽の墓場』など多くの話題作に出演。1980年代以降は『マルサの女』や『スーパーの女』など伊丹十三監督作品に多数出演し存在感を示した。1999年には『プライド・運命の瞬間』で東條英機役を演じ日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。2000年にはNHK大河ドラマ『葵 徳川三代』で主役の徳川家康を演じた。映画監督としてはマキノ 雅彦(マキノ まさひこ)を名乗り、3本の作品を監督した。

俳優業のかたわら、おもちゃの「グランパパ」の経営を行ったり、スコットランドの古城「ロックハート城」を解体し日本へ移築することを試みるなど、経営者や事業家としての一面もあった。また、保守的思想の持ち主としても知られ、ブログなどで持論を展開したり、同様の思想・信条の政治家・政治評論家との交流を行い、様々な団体の発起人になっている。

2018年4月27日、妻の朝丘雪路と死別。同年5月20日に妻の死を受けて会見を開いた。この時、前年秋に肺炎を患った影響で酸素吸入器のチューブを鼻につけた状態で会見に臨んだが、これが公の場に出た最後の姿となった。

2018年8月4日午後5時45分、心不全のため東京都内の病院で死去した。78歳没。叙従五位。

引用元:津川雅彦 - Wikipedia

























2026年8月3日月曜日

湯浅実 (俳優)



8月3日は、日本の俳優である、湯浅実(ゆあさ まこと)の命日です。1975年から1982年までNHK「中学生日記」で風間先生を演じたのがいちばん有名。他にNHK「大河ドラマ」に出演歴あり。テレビ朝日「こんにちは2時」の初代メイン司会者(1982年から1986年)でもあった。2019年8月3日、誤嚥性肺炎のため逝去。84歳没。

湯浅 実(ゆあさ まこと、本名・湯浅 實(読みは同じ)、1934年12月21日 - 2019年8月3日)は、日本の俳優。満洲国生まれ。身長168cm、体重70kg。東京都立大学中退。

NHK俳優養成所を卒業後、演劇集団「三十人会」を結成。

1969年、劇団青年座に入団。

1975年から1982年まで『中学生日記』で風間先生を演じた。

近藤芳正とは師弟関係にある。

2000年、紀伊國屋演劇賞受賞。

病気療養していたが、2019年8月3日2時3分(JST)、誤嚥性肺炎のため入院先の東京都内の病院で逝去。84歳没。

引用元:湯浅実 - Wikipedia

















2026年8月2日日曜日

轟二郎 (三浦康一)



8月2日は、日本のコメディアン・タレント・殺陣師であった、轟二郎(とどろき じろう)の命日です。「金曜10時!うわさのチャンネル!!」「びっくり日本新記録(本名・三浦康一としてチャレンジボーイとして毎週レギュラー出演)」「翔んだカップル」に出演したことで知名度を上げる。2020年8月2日、大腸がんのため死去。65歳没。

轟 二郎(とどろき じろう、本名:三浦 康一(みうら こういち)、1954年〈昭和29年〉8月19日 - 2020年〈令和2年〉8月2日)は、日本のコメディアン、タレント、殺陣師。

1973年に若駒プロに入り、殺陣師(居合道三段)兼スタントマンから芸能活動を開始。

『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)に出演したことでお茶の間の人気者となる。芸名は、この『うわさのチャンネル!!』の会議中に同番組のスタッフの一人がふと「轟」とつぶやいたことから決まっていったという。一方、『びっくり日本新記録』(読売テレビ)には本名でレギュラー出演し、“チャレンジボーイ”として毎週出演して活躍していたこともあり、自身の知名度も上がった。

バラエティー番組にも出演する傍ら俳優としても活躍し、『翔んだカップル』(フジテレビ)でレギュラー出演し、劇中で用いた「ボキ(僕)はね」という新語を使い流行させた。

1980年、水島びんとコンビを組み「コント百連発」を結成。お笑いスター誕生で銀賞を獲得する活躍ぶりだったが、このコンビも長くは続かず、翌年解散した。

その後は結婚式の司会から地方の番組のMCまで幅広く活躍していたが、脳梗塞を患い、静岡県に帰郷。治療と療養に専念した時期もある。

2014年より エフエムぬまづの朝の生放送「モーニングスプラッシュ」の木・金曜日を担当。2016年1月より静岡新聞にてコラムを執筆(同年3月まで)した。晩年までラジオ番組などでも活躍し、自身のオフィシャルブログに日頃の活動を掲載していたほか、総合情報ポータルサイト Niiiche にて、毎週水曜日の連載コラム執筆を担当していた。

2020年8月2日7時15分、大腸がんのため、神奈川県内の病院で死去。65歳没。死去する1年半前から闘病生活を続けており、同年2月に東京・新井薬師で行われた節分会への参加が最後の公の場になった。

引用元:轟二郎 - Wikipedia





















2026年8月1日土曜日

市田ひろみ



8月1日は、日本の美容師・服飾評論家・エッセイスト・女優・タレントであった、市田ひろみ(いちだ ひろみ)の命日です。主に服飾関連での活動が有名だが、元は映画女優としてデビューしている。1993年にサントリーの緑茶飲料「京番茶」のCMに出演し、そのコミカルなキャラクターが注目された。2022年8月1日、急性呼吸不全のため死去した。90歳没。

市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。

大学卒業後は技術部長の秘書としてヤンマーディーゼルに就職、秘書業務のほか、自社の耕運機の宣伝カタログでモデルをつとめるなどした。その後、稽古事として習っていた茶道(裏千家)・華道(未生流)の師匠長岡宗美に推薦され、映画会社の大映に所属。

退職を考え出した頃、吉村公三郎の監督映画『夜の蝶』で現代劇(東京・多摩川撮影所)に転籍となり、翌1958年(昭和33年)の『手錠』(阿部毅監督)で実質的なデビューを果たした。新聞の映画評で「和製ソフィア・ローレン」、「久々のヴァンプ女優」などと取り上げられ、これ以降映画ではおもに悪女役を演じた。3年目に演技力の限界を感じ、2年の契約を残して京都へ帰ったが、五社協定に縛られていたため、1963年(昭和38年)まで京都と東京の間を往復しながら契約本数を消化した。

女優生活を終え、母の仕事を手伝っていた昭和38、9年ごろ、室町の呉服問屋から声を掛けられ、デパートの呉服売り場で着付けを実演する「きもの教室」の講師を手探りで始めた。女性の新しい仕事として新聞・雑誌がこれを紹介するなか、全国の百貨店を周って実演するうちに、名前が売れ、人が集まるようになった。1967年(昭和42年)全国ネットの生番組『ハイ!土曜日です』(関西テレビ)で「市田ひろみ きものコーナー」を担当。その後はNHK教育の番組「婦人百科」(のち「おしゃれ工房」)にも出演し、以後30年にわたり着物の回を担当した。メディア出演の一方で講演などの依頼が増え、専門的な知識の必要を感じたため、文様・染織・生地のほか服飾史や通過儀礼などの勉強を独学で始め、その後の自身の得意分野とした。

1968年、京都西陣の織屋から民族衣装など外来の文様を取り入れた着物や帯をデザインしてほしいとの依頼を受け、衣装を収集するためヨーロッパ11か国を旅行したことをきっかけに、世界の民族衣装を収集するようになった。

1993年にサントリーの緑茶飲料「京番茶」のCMに出演。CMで演じた「京女」役のコミカルなキャラクターが注目された。

2001年11月には、平成13年度「現代の名工」に選ばれた。

2022年8月1日午後5時50分、急性呼吸不全のため、京都市上京区の病院で死去した。90歳没。生涯独身だった。市田ひろみ美容室は、ひろみ没後も姪が社長となり引き続き営業している。

引用元:市田ひろみ - Wikipedia























2026年7月31日金曜日

RaMu



7月31日は、日本のグラビアアイドル・タレント・YouTuberである、RaMu(らむ)の誕生日です。埼玉県に生まれ、本名は蘭夢(らむ)、苗字は非公開。漫画「うる星やつら」のヒロイン・ラムとは無関係。「らむ」という名前を持つことにより、アニソンを歌ってみろなどといじられることもあるが、ラムのことは嫌いではない。グラビアアイドルやYouTuberとして話題となる。

RaMu(らむ、1997年7月31日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、YouTuber、ギタリスト。埼玉県出身。マグニファイエンタテインメント所属。

趣味は旅行、映画鑑賞、TVゲーム全般、野球、爬虫類の飼育。特技は動画編集、口クラッカー。番組で知り合った男色ディーノとの出会いからプロレスにも興味を持ち、2018年に発売したイメージビデオでは唐突にプロレスシーンを盛り込んでいる。また、将来的にはプロレスもやってみたいという。

にんにくが大好きで、過去には2日に1回くらいの頻度で丸々1個食べていた。苦手なものはパクチー、スイカ、メロン(ウリ科についてアレルギーあり)、マネキン、幽霊、蜘蛛。蜘蛛が苦手なのは幼少期の体験が遠因であろうと本人は分析している。

目がとても悪く、コンタクトレンズをしている。

デビューした頃はGカップだったが、2016年にHカップに成長。これについて、この年に豆乳にハマってよく飲んでいたからとも話している。2017年、「おっぱい国勢調査」で、初めてブラジャーを付けたのは13歳のときと回答。母親に「胸の下に人さし指を置いて、胸が指に乗っかったらブラジャーをつけなさい」と言われていた。当時はBかCカップ。また、何を食べたら巨乳になったと思うとの質問には「小さい頃からよく飲んでいるのはカルピス」と回答。Eカップだった頃が一番生活しやすかったので、生まれ変わったらEカップが理想。

趣味は「爬虫類ショップに行くこと、爬虫類と触れ合うこと、その他、家庭用ゲーム全般」と答えたことがある。飼っているペットは、レオパードゲッコー(名前:イブリン、オス)、フトアゴヒゲトカゲ(名前:リオレイア、メス)、フクロモモンガ2匹(メスのビビとオスのジジ)。過去にはマダガスカルオオゴキブリも飼っていた。

2017年頃から髪を伸ばして、人生で初めてロングヘアになった時期があったが、ショートカットの方が好きだったという意見が多かったこともあり、2019年3月に髪をバッサリ切った。以後はショートカットのイメージが定着しており、髪型を真似している人も多い。

2021年8月より、ミーアキャット(名前:メロ、オス)を飼い始めた。2025年8月、ペットのミーアキャットに手をかまれて感染症の「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」を発症したことを報告した。

引用元:RaMu - Wikipedia































人気の投稿(過去7日間)