2024年4月22日月曜日

萩原流行



4月22日は、俳優・タレントの萩原流行(はぎわら ながれ)の命日です。舞台、テレビドラマを中心に、俳優として活躍したが、2015年4月22日に交通事故で死亡した。62歳没。

萩原 流行(はぎわら ながれ、1953年〈昭和28年〉4月8日 - 2015年〈平成27年〉4月22日)は、日本の俳優、タレント、ダンサー。東京都世田谷区出身。身長173cm、血液型O型。妻は舞台女優の萩原まゆ美。

世田谷高等学校卒業。

舞台、テレビドラマを中心に、俳優として活躍した。

所属事務所は、劇団ザ・スーパーカムパニイ、玉川高島屋ソニー販売店での売り子のアルバイト、つかこうへい事務所、オーケープロダクションを経て、最終所属は個人事務所。

1986年に『蒲田行進曲』で映画デビュー。2000年代以降は役者活動だけでなく、バラエティ番組などにも出演していた。

2008年12月、自身の俳優としてのDNAを継承すべき場として萩原流行アクターズスタジオを開設。

2015年4月22日午後6時頃、東京都杉並区高円寺南の青梅街道において、転倒したバイクのそばに倒れているところを発見され、病院に搬送されたが、約1時間半後に死亡が確認された。62歳没。

引用元:萩原流行 - Wikipedia













2024年4月21日日曜日

畑中葉子



4月21日は、歌手・女優の畑中葉子(はたなか ようこ)の誕生日です。平尾昌晃とのデュエット曲「カナダからの手紙」でデビュー、大ヒットしたことで知られ、ソロになった後ににっかつロマンポルノに出演したことでもよく知られている。現在も歌手として活動している。

畑中 葉子(はたなか ようこ、1959年4月21日 - )は、日本の歌手、女優。

東京都八丈島出身。日本大学櫻丘高等学校卒業。平尾昌晃の主宰する「平尾昌晃音楽学校」(現・平尾昌晃ミュージックスクール)に通いレッスンを続け、平尾に見出される。

1978年1月10日に平尾とのデュエット曲『カナダからの手紙』で歌手デビュー。この曲は大ヒットとなり、一躍トップアイドルとなる。同年の「第29回NHK紅白歌合戦」に白組から出場。さらに、カナダへの日本人旅行者が急増したことにより、カナダ政府から表彰された。

1979年に『ロミオ&ジュリエット’79』でソロデビュー。同年音楽ディレクターの檀雄二と結婚するも、8ヵ月で離婚した。その後のプレイボーイセミヌードグラビアが話題となり、1980年『後から前から』を発売。にっかつロマンポルノに出演し女優としてもデビュー。清純派歌手である畑中のポルノ出演は世間に大きな衝撃を与え、初出演の『愛の白昼夢』、続く『後から前から』は、空前のヒットとなった。主演映画で自らが歌ったシングル『後から前から』も大ヒットした。『もっと動いて』なども話題作とし名を残す。

1991年1月に一般男性と再婚、同年10月に女児を出産、1993年に男児を出産。

2009年カラオケサークルを開設したが歌手復帰のため閉会。

2011年4月から太田プロダクション所属のタレントとして芸能活動を再開したが、2012年7月28日にフジテレビで放送された「ガチ桜」にて「ニュース時事能力検定2級を合格できなかったら事務所から解雇」という課題が課せられた。結果は不合格で解雇が決定、事務所プロフィールからも削除。その後「ニュース時事能力検定」を再受検し再び不合格となったが、2012年12月5日より太田プロに再所属。その後歌手活動に専念するため2014年6月1日よりビクターミュージックアーツに移籍。2015年からフリーで活動。2019年1月1日よりラフィーネプロモーション所属となる。

引用元:畑中葉子 - Wikipedia





























2024年4月20日土曜日

倉沢淳美



4月20日は、女優・タレント・歌手の倉沢淳美(くらさわ あつみ)の誕生日です。女性3人組ユニット(後に2人組)「わらべ」の「かなえ」役で有名。

倉沢 淳美(くらさわ あつみ、1967年4月20日 - )は、日本の女優、タレント、歌手。神奈川県相模原市出身。堀越高等学校→日本女子体育短期大学保育科卒業。

中学生の時に歌手のものまねが得意になり、中学1年生の時にTBS『欽也のそっくりベスト10』に予選を通過して出場、松田聖子の曲『夏の扉』を歌って79点で合格。この時に最初に所属する事務所の社長が観ていたことでスカウトされて芸能事務所に所属となり、芸能界入りする。1982年、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS)のオーディションに合格するが、同番組出演者の佐藤B作・小西博之らとのバランスを考えた上で萩本欽一の判断によりテレビ朝日の番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』へ異動。同番組で、『萩本家3人娘』が成長していったのをきっかけに登場するユニットわらべの「かなえ」役で芸能界にデビュー。その後、ソロのアイドル歌手として『プロフィール』、『ある愛の詩』、『卒業』、『六月の花嫁』ほか計10枚のシングルをリリースした。『卒業』は、1985年に倉沢の他に尾崎豊・斉藤由貴・菊池桃子の計4人が同名異曲をシングルリリースし、大きな話題を呼んだ。卒業式シーズンになると、いわゆる“卒業ソング”が、毎年発売されるきっかけとなった。

デビュー曲『プロフィール』は、その名の通り倉沢の生年月日・身長・性格・身体的特徴などを歌詞に盛り込んでおり、16歳という年齢を盛り込んだ松本伊代のデビュー曲『センチメンタル・ジャーニー』と同様、歌手のプライバシーが盛り込まれた曲として一部で話題になった。その為NHKでは『センチメンタル〜』同様自己宣伝になるという理由で歌う事が出来ずB面の楽曲を歌った事もあった。

ソロデビュー直後の1984年4月8日午後3時45分頃、札幌市において開催されたサイン会の会場で、サイン会終了後に会場玄関にてファンの見送りと握手をしているところに、サイン会に参加していた男から突然、刃物で斬り付けられ右手首を約6cm切る傷を負った。犯人は26歳の会社員で警察の取調べに対し「『のぞみの分まで頑張る』とか言って生意気だから切った」と供述した。

萩本欽一の教えもあり、学業優先で大学に進学したが、合格記者会見時に「芸能界の仕事がだめでも食べるのに困らないように進学した」と述べて物議を醸した。

学研発行の学習雑誌で、料理コーナーの連載を持っていたことがある。

オーストラリア人のジェームス・ラングと結婚して渡豪。専業主婦のかたわら、時折わらべの再結成でテレビ出演している。2男1女(長男・長女・次男)の母でもある。 2011年8月よりドバイのパーム・アイランドに在住し、その生活ぶりが2013年6月18日『世界の日本人妻は見た!』内で放送された。2017年9月にカナダのトロント大学へ入学し、環境科学と都市計画を学ぶ長女・ケイナ(KAYNA)は、インフルエンサーとして活動。2018年8月27日発売の「週刊プレイボーイ」37号でグラビアデビューをした。現在は倉沢と同じ事務所「リバティーハウス」に所属し、今後日本でのタレント活動も活発になるという。

引用元:倉沢淳美 - Wikipedia
















わらべ - Wikipedia 高部知子・倉沢淳美・高橋真美



2024年4月19日金曜日

坂下千里子



4月19日は、タレント・女優の坂下千里子(さかした ちりこ)の誕生日です。

坂下 千里子(さかした ちりこ、旧姓名: 坂下 恭子 〈さかした きょうこ〉、1976年4月19日 - )は、日本のタレント、コメンテーター、女優である。ボックスコーポレーション所属。

1994年、『第2回 アルペンTVCMイメージガール・オーディション』でグランプリとなり、スポーツ用品店チェーン「アルペン」のCMへの出演で芸能界デビューした。芸能事務所は、当時アルペンと親交深かった株式会社ボックスコーポレーションに所属することとなった。その後はグラビアページに出演するなどしたが芽が出ず、普通に女子大生としての日々を送った。

しかし1997年、テレビ番組 『王様のブランチ』に「ブランチリポーター(ブラン娘)」として出演するや人気者になり、その後はさらに、エステティックサロン 「スリムビューティハウス」のCMで披露した美脚が、「バッチリ、チリ脚」のキャッチフレーズとともに話題となってブレイクした。坂下は幼少時にバレエを習っており、その脚力を活かした。以来、タレントとして、バラエティ番組を中心に多数の出演をしており、2001年から6年に亘ってレギュラー出演したテレビ番組、『笑っていいとも!』では、時にお笑い芸人顔負けのリアクションでウケを取ることもあった。

2009年10月9日からは、『おもいッきりDON!』第一部「おもいッきりPON!」の金曜日コメンテーターとしてレギュラー出演。後番組『PON!』にも2014年まで継続して出演していた。

2015年4月から2021年3月まで『これでわかった! 世界のいま』でレギュラーゲストを務めた。

2019年10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」のNHK特番に出演して話題になった。

「千里子」という芸名は、所属事務所の社長が「千里を探して見つけた子」と昔から温めていたもので、イメージに十二分に合う新人として命名したものである。

引用元:坂下千里子 - Wikipedia

















2024年4月18日木曜日

つボイノリオ



4月18日は、ラジオパーソナリティー・シンガーソングライターのつボイノリオの誕生日です。現在は主に東海地方でラジオパーソナリティーをしている。

つボイ ノリオ(本名:坪井 令夫(読み同じ)、1949年〈昭和24年〉4月18日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、シンガーソングライター、有限会社坪井令夫商店代表取締役。

デビュー当時は「坪井のりお」の芸名で活動していたが四柱推命マニアのリスナーから「その名前では大成功を収めるが、真っ逆さまに転落してしまう」とのハガキが届く、そのリスナーが提案した芸名が「つボイノリオ」で「この名前では、絶対に成功しないが、長続きする」と書いてあったという。この際、「太く短く」と「細く長く」のどちらを選ぶか迷ったが、CBCの中島公司アナウンサーから「人気は逃げるけど、実力は逃げないよ」と言われ、自身も一過性の人気よりも長年DJとしてやっていく実力をつけたいと考えて「つボイノリオ」を選択したという。

『プリンプリン物語』では本名の「坪井令夫」名義で活動した(物語後半あたりからは「つボイノリオ」名義になっている)。

現在は東海地方限定のような形で芸能活動を展開しているが、1970年代後半 - 1990年代初頭にかけては、パーソナリティとしての高い才能が買われ、東海地方のみならず関東(ニッポン放送など)、関西(KBS京都など)でもレギュラー番組を獲得し、それら担当番組も軒並み高い聴取率を得ていた。そのため少なくとも2020年代において50代以降の年代には全国的にもつボイの名は広く知れ渡っており、東海地区のみならず全国規模においてもラジオ界の大御所として位置づけられる人物である。ラジオの月刊誌などでは頻繁に永六輔、吉田照美、大沢悠里ら東京キー局で人気ラジオ番組を長年受け持っている大御所と並んでつボイの紹介記事が掲載されている。また、CBCテレビ製作のTBS系全国ネットアニメにもゲスト声優として出演したことがある。

『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でDJとしての能力が高く評価された大槻ケンヂや西川貴教らも、つボイが担当していた『オールナイト』や『ハイヤングKYOTO』(KBS京都)を学生時代に欠かさず聞いており、彼らのラジオ番組での話術の特徴であるサブカルチャーに対する造詣の深さや下ネタを巧みに織り込んだ話し口は、少年期に聞いたつボイの話術が大きく影響してのものである。そのため、彼らは「ラジオ界における師匠のような存在」としてつボイに敬意を払っており、名古屋に仕事で来る時には真っ先にCBCに赴き、つボイのところまで挨拶をしに来るというのが慣例となっている。

ラジオパーソナリティとしては、自らの芸風からFM局に対する対抗意識が強く、「FMなんてお洒落さを看板にして気取っているだけ」と発言している。しかし、自らも過去にはFM愛知で「つボイノリオのバックステージパス」と言う音楽番組を持っていた。

ラジオ番組内で骨髄バンクを取り上げることが多く、闘病中の患者やドナーからの投稿も多い。

代表作ともいうべき「金太の大冒険」は、多くのタレント・俳優・スポーツ選手たちが愛唱歌としてカラオケなどでも歌っていると伝えられている(稲本潤一、天海祐希、森谷威夫ほか)。また山下達郎もこの曲を含めつボイの音楽作品を評価している人物であり、自身のラジオ番組で「変歌特集」なる特集を組む際には必ずつボイの歌を番組の「トリ」として流すのが慣例化している。山下曰く「つボイさんは実際に会うと、とてつもなく腰が低くいい人だが、いざ歌となると狂気の世界に突入する」と語る。

引用元:つボイノリオ - Wikipedia












金太の大冒険 - Wikipedia



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