2022年9月25日日曜日

井上喜久子



9月25日は、声優・歌手の井上喜久子の誕生日です。

井上 喜久子(いのうえ きくこ、本名:熊谷 喜久子(くまがい きくこ)、旧姓:井之上、1964年9月25日 - )は、日本の女性声優、ナレーター、歌手。所属事務所はオフィスアネモネおよびベルベットオフィス(ナレーション部門のみ)。

特技:華道(池坊師範)。資格・免許:中学国語教員免許・学校図書館司書教諭免許。

長女は声優の井上ほの花。

もともと文学少女で、三島由紀夫や太宰治を好んで読んでいた。教員となるために、短期大学で中学校の教員免許(国語)を取得したが、教育実習先の中学校で、生徒に見くびられ放題だった事に愕然として、教師になることを挫折する。

就職活動中であっただけに友人たちが仕事が決まる中で自分は挫折したことから将来に悩んでいたが、その時期に『アタックNo.1』の再放送を見て、その放送回が非常に感動できるエピソードであり、大人の自分をこんなに感動させたことに感銘を受け、声優を志す。

1989年に放送を開始した『らんま1/2』の天道かすみ役でブレイク。デビューしてから数年間は「穏やかなお姉さん」「優しいお母さん」役、『ああっ女神さまっ』のベルダンディーのような清楚な女性役が多かったが、1990年代後半頃からは少年役や、強い女性、気性の荒い悪役などもこなすなど、役幅が広がっている。

1994年「優美なおさかな」でソロデビュー以降、オリジナルアルバム7枚、シングル2枚、ベストアルバム3枚をポニーキャニオンから発売している。また、1996年から「月刊お姉ちゃんといっしょ」を同レーベルより毎月発売するなど、個人名義でのトークCDの発売も多い。

自らを「(永遠の)17歳」と称しており、周囲に「おいおい!」とツッコミを入れさせることまでがパターンとして定着している。「井上喜久子、17歳です」という自己紹介を真似て「永遠の17歳」を宣言する声優たちが現れたことから、「17歳教」なるものまでが誕生した。17歳教に入信する1つの目安として『ドモホルンリンクルが気になる頃』と挙げている。「17歳教」は2008年の新語辞典「現代用語の基礎知識2008」(自由国民社)に収録された。これが、女性声優を“生年非公開”(=夢の国の住人)とさせることに繋がっている。また、収録帰りの電車で偶然一緒になった若本規夫から、健康管理についての助言を受けたことがきっかけで、鍛えることの大切さを知り、17歳の声を維持するために、発声練習や腹筋運動をあさイチの日課としている。

引用元:井上喜久子 - Wikipedia








井上喜久子:初のエッセー「井上喜久子17才です『おいおい!』」 堀江由衣との“17才”対談 コスプレグラビアも - MANTANWEB(まんたんウェブ)






2022年9月24日土曜日

川島なお美



9月24日は、女優・タレント・歌手の川島なお美の命日です。2015年9月24日没。54歳。

川島 なお美(かわしま なおみ、1960年11月10日 - 2015年9月24日)は、日本の女優、タレント、歌手。本名、鎧塚 なお美(よろいづか なおみ)。旧姓、川島。血液型はAB型。二人姉妹の長女。

愛知県守山市(現・名古屋市守山区)出身。最終所属は太田プロダクション。夫はパティシエの鎧塚俊彦。

大学在学中に芸能界にデビュー、女子大生タレントの先駆けとなる。

文化放送が『セイ!ヤング』の後番組として、1981年10月からスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の火曜日担当パーソナリティに抜擢され、深夜の顔となる。当時は大学在学中であり、女子大生DJと呼ばれた。この当時は自身も「ミスDJでは一人の女子大生としておしゃべりしている」と話していたことがある。

1982年、中京テレビ制作『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの画力と、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの知名度と人気を獲得した。

女子大生タレントのイメージがいつまでも抜けず、出演番組は限られるなど不遇な時代が長く、広い世代に知名度が高まるまでにかなりの時間を要した。しかし、『失楽園(TVドラマ版)』への出演をきっかけに、女優として知られるようになった。以降、ベッドシーンでは「子宮が呼吸できない気がする」との理由で撮影中に前張りを取ることを『週刊ポスト』(1997年11月3日号)のインタビューで告白したり、1993年、30代にしてヘアヌード写真集『WOMAN』を発表するなど、有名女優のヘアヌード発表が相次いだ1990年代において宮崎萬純らとともに日本におけるセックスシンボルの代表格のように認知された。この方向転換は、判事だった父の立場を考慮し、父が退官するのを待ってから行なった。もっとも2000年代に入り「淑やかな女優」を看板にした戦略に方向転換し、露出を前提とした女優活動は減少していく。

2013年8月に健康診断で腫瘍が見つかり、即手術を勧められるも拒否。代替策としての抗がん剤治療も拒否した。腫瘍は肝内胆管癌であることが判明。「この人になら命を預けられる」と思える医師との出会いを果たして、翌年1月末に手術を受けた。川島の望みどおり、全て腹腔鏡下で行われた手術は12時間にも及んだという。

2015年9月17日、出演中のミュージカル『パルレ〜洗濯〜』を、体調不良を理由に途中降板。9月20日、11月から12月に出演が予定されていたミュージカル『クリスマス・キャロル』(劇団スイセイ・ミュージカル)についても降板が決まった。

2015年9月23日には自宅療養中であることが公表され、同年11月5日開催予定のソロライブでの復帰を目指していた。しかし翌24日19時55分、胆管癌のため永眠。54歳だった。

引用元:川島なお美 - Wikipedia









2022年9月23日金曜日

ブルース・スプリングスティーン



9月23日は、アメリカ出身のシンガーソングライター、ブルース・スプリングスティーンの誕生日です。

ブルース・フレデリック・ジョセフ・スプリングスティーン(Bruce Frederick Joseph Springsteen, 1949年9月23日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のシンガーソングライターである。

ニックネームは「The Boss」。米国のロック界を代表する重鎮として世界的な知名度を誇り、アメリカで6400万枚、全世界で1億3500万枚以上のレコードセールスを記録している。初期の作品においては、青春群像の描写に才能を示したが、やがて社会的なテーマを作品に織り込む事によって、アメリカの労働者や若者の声を代弁する存在となった。彼のロックはボブ・シーガーやトム・ペティらとともに「ハートランド・ロック」とも呼ばれる。ハートランドはアメリカ中西部から南部の一部も含む広大な地域で、労働者や農民も多い地域である。支持政党はアメリカ民主党。

父はオランダ系とアイルランド系のアメリカ人のダグラス(1924〜98)、母はイタリア系アメリカ人のアデル(1925〜)。妻はシンガーソングライターのパティ・スキャルファ(1953〜)。

自らが目指す音楽について、「ボブ・ディランのような歌詞を、フィル・スペクターのようなサウンドに乗せて、ロイ・オービソンのように歌いたかった」と述べている。

1999年、『ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第23位。同「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第36位。同「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」第96位。「Q誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第62位。

引用元:ブルース・スプリングスティーン - Wikipedia









2022年9月22日木曜日

デイヴィッド・カヴァデール (ホワイトスネイク)



9月22日は、イングランド出身、アメリカ合衆国籍のロックミュージシャン、デイヴィッド・カヴァデールの誕生日です。ハードロックバンド「ホワイトスネイク」のボーカルとして知られる他、「ディープ・パープル」の第3期ボーカリストとしても知られる。

デイヴィッド・カヴァデール(David Coverdale、1951年9月22日 - )は、イングランド出身、アメリカ合衆国籍(2007年3月帰化)のロックミュージシャン、シンガーソングライター。身長179cm。

ハードロックバンド『ディープ・パープル』の3代目ボーカリストとして活動。脱退後にHR/HMバンド『ホワイトスネイク』を結成し、長年にわたり主宰を務めている。

1973年、たまたま見た「ディープ・パープル」のボーカリスト募集の広告に応募し、オーディションを受ける。オーディションではビートルズの「イエスタデイ」を歌い、リッチー・ブラックモア等に気に入られ合格、ディープ・パープル3代目のボーカリストとしてデビューを果たした。

1976年、ディープ・パープルの状況に絶望を感じて脱退し、1977年に「ホワイトスネイク」を結成。翌年には、キーボーディストとして元ディープ・パープルのジョン・ロードもグループに参加。そして1980年には、同じく元ディープ・パープルのイアン・ペイスもドラマーとして加入し、バンドのパワーを向上させた。ホワイトスネイクは、まず本国イギリスと日本で火が付いた。そして1987年に発表されたアルバム「ホワイトスネイク」がアメリカで大ヒットし、名実ともにスーパーグループとなった。

1993年には元レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジと共に「カヴァデール・ペイジ」としてアルバムを発表、大きな話題を呼んだ。

2000年9月、22年ぶりのソロ・アルバム『イントゥ・ザ・ライト』を発表。2002年12月に、ホワイトスネイク再結成として、欧米ツアーを行った。

2015年4月、ディープ・パープル在籍時代の曲をセルフカバーしたアルバム『ザ・パープル・アルバム』を、ホワイトスネイク名義で発表。

1980年代の半ばより金髪に染髪しており、現在では彼の頭髪といえば金髪を想像するほど定着しているが、ディープ・パープルやホワイトスネイク初期の彼を見ればわかる通り、本来は黒髪である。

なお、2007年3月1日にアメリカ合衆国ネバダ州リノにてアメリカ国籍を取得し帰化した。

引用元:デイヴィッド・カヴァデール - Wikipedia






カヴァデール・ペイジ


1977



2022年9月21日水曜日

アイラミツキ (Aira Mitsuki)



9月21日は、歌手のアイラミツキ(旧芸名・Aira Mitsuki)の誕生日です。所謂「テクノポップ」シンガーである。

アイラ ミツキ(1988年9月21日 - )は、日本の歌手。本名非公開。埼玉県出身。

2007年、Aira Mitsuki名義で歌手デビュー。2013年に一度活動を停止したが、2015年にアイラミツキ名義で活動再開した。サウンドプロデューサーにアイズマック(NUXX)を迎え、2015年9月21日に配信シングル「LIGHTSAVER -Single-」をリリース。カップリングは、「I'LL AGAIN..」iTunes Store, Amazon Music, Google Play Musicにてダウンロード販売する。

2007年、2007年最大級とうたわれた一大オーディションで6325人の中からグランプリを受賞。デビュー当時のキャッチコピーは「未来で生まれたテクノポップアイコン」。ジャンルはテクノポップで、「テクノポップ第二世代」を標榜する。

2007年8月8日、大西輝門プロデュースの下、シングル『カラフル・トーキョーサウンズ・NO.9』でFARM RECORDSよりインディーズデビュー。

2008年3月5日、シングル『チャイナ・ディスコティカ』でメジャーデビュー。

2008年9月3日、1stALBUM『COPY』をリリース。TOWER RECORDSとのオフィシャルコラボキャンペーン「COPY大作戦」などを行い、NO MUSIC NO LIFEダブルネームのTシャツを発売した。

2008年10月29日、2ndSingle『ロボットハニー』をリリース。ジャケットやPVでは素顔を明かさないプロモーションを行ってきたが、素顔を解禁した。

2009年1月21日、3rdSingle『サヨナラ TECHNOPOLiS』をリリース。記念に、月面の土地を購入した。

2009年7月22日、2ndAlbum『PLASTIC』をリリース。AYUSE KOZUE、Shigeo(SBK/the samos)、□□□がゲストボーカルとして参加。さらに初回限定盤に付属する特典CDには80kidz、斉藤祐樹(髭 (HiGE))ほか計8組のアーティストによるリミックス音源が収録される。

2010年6月2日、Aira Mitsukiの2nd Seasonを告げるmini Album『6 FORCE』をリリース。ゲストプロデューサーに新進インストバンド「Sawagi」を迎えることが発表された。

2010年11月17日、3rd Album『???(スリークエスチョン)』を新レーベルD-TOPIA UNIVERSEよりリリース。

2013年8月20日、ラストアルバム「I'LL BE BACK」をリリース。2013年9月29日、この日のワンマンライブをもって活動休止。

2015年9月21日、アイラミツキ名義での復帰作第一弾シングル「LIGHTSAVER」をデジタル配信リリース。

引用元:アイラミツキ - Wikipedia







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