2026年10月4日日曜日

東海林太郎



10月4日は、秋田県出身の歌手で戦前から戦後にかけて活躍した東海林太郎(しょうじ たろう)の命日です。1898年(明治31年)12月11日生まれ。「赤城の子守唄」「むらさき小唄」「名月赤城山」「麦と兵隊」「旅笠道中」「野崎小唄」「すみだ川」「湖底の故郷」などのヒット歌謡を次々に世へ送り出した。ロイド眼鏡をかけて燕尾服を着用して直立不動の姿勢で歌う特徴があった。1972年10月4日、脳内出血によって死去。73歳没。

東海林 太郎(しょうじ たろう、1898年(明治31年)12月11日 - 1972年(昭和47年)10月4日)は、秋田県秋田市出身の流行歌手。位階は正五位。

戦前から戦後にかけて活躍し、ロイド眼鏡をかけて燕尾服を着用して直立不動の姿勢で歌う特徴があった。

歌手の基礎となる声楽を下八川圭祐に師事し、時事新報社主催の「第2回音楽コンクール」の声楽部門で「我恨まず」(ロベルト・シューマン)、仮面舞踏会からのアリア「レナートの詠唱」を独唱して入賞を果たす。 その後は流行歌手へ転向し、ニットーレコードでの「宇治茶摘唄」の吹き込みが流行歌のレコードとして最初のものとなった。1933年(昭和8年)にプロとして大日本雄辯會講談社レコード部と専属契約を結び、「河原月夜」「山は夕焼け」などを吹き込んだほか放送オペラにも出演して「椿姫」ではロイド眼鏡をかけている風貌から医師の役を演じた。

その後も東海林の勢いは留まることを知らず、日本ポリドール蓄音機株式会社で吹き込んだ「赤城の子守唄」が1934年(昭和9年)2月に新譜で発売されると空前の大ヒットとなり、さらに同年には「国境の町」もヒットするなど、東海林は流行歌手としての地位を不動のものとした。そのままポリドールと専属契約を結んでからは、澄んだバリトンを活かして「むらさき小唄」「名月赤城山」「麦と兵隊」「旅笠道中」「野崎小唄」「すみだ川」「湖底の故郷」などのヒット歌謡を次々に世へ送り出して戦前の歌謡界を席巻、東海林太郎時代を到来させた。また東海林は、「谷間のともしび」などの外国民謡においても豊かな歌唱力を示した。第二次世界大戦開戦後はテイチクへ移籍するが依然として勢いが衰えることは無く、「贅沢は敵だ」という日本国内のスローガンを掲げて戦時色が濃くなっていく中でも「あゝ草枕幾度ぞ」「琵琶湖哀歌」「戦友の遺骨を抱いて」などのヒット曲を吹き込んでいる。

東海林の歌唱スタイルは燕尾服を着用して直立不動の状態であるが、このスタイルは剣豪・宮本武蔵を彷彿させるとしている。「一唱民楽」という言葉の如く「歌は民のため」という信念を持っており、常に真剣勝負という気持ちで歌唱する東海林の魂は激動の昭和を生き抜いた精神を表している。 東海林は宮本武蔵の「一剣護民」という言葉を愛し、武蔵の剣を彼にとっての歌に例えて、「一唱民樂」という造語を使用している。 また、彼は生前、「マイク1本、四方が私の道場です。大劇場であろうとキャバレーの舞台であろうと、変わりありません」と述べていた。

1972年(昭和47年)9月26日14時30分頃、東京・立川市内の知人宅に滞在していた際に調子の悪そうな歩き方を見せる東海林を心配したマネージャーから「調子が悪いのではないか」と問われ、「自分の身体は自分が一番よく知っている。眠たいだけだよ」と返答して横になるが、そのまま意識不明の重体に陥った。翌日には立川中央病院に緊急入院し、次男と妹の手を握りながら数人のファンに見守られ、同年10月4日8時50分、脳内出血によって死去した。73歳没。没日付で正五位に叙せられ、勲三等瑞宝章を授与された。葬儀は史上初めての「音楽葬」だった。

引用元:東海林太郎 - Wikipedia





















2026年10月3日土曜日

ハーマン・リ (李 康敏・ドラゴンフォース・ギタリスト)



10月3日は、香港出身のミュージシャン・ギタリストで、イングランドのパワーメタルバンド「ドラゴンフォース」のリードギタリストであるハーマン・リ(Herman Li、漢字表記:李 康敏〈リ・カンミン/Li Kang Min〉)の誕生日です。腰にまで達する長髪が特徴。「ドラゴンフォース」では相方であるサム・トットマンと同様、速弾きを得意とする。

ハーマン・リ(Herman Li、漢字表記:李 康敏〈リ・カンミン/Li Kang Min〉、1976年10月3日 - )は、香港出身のミュージシャン。パワーメタルバンド・ドラゴンフォースのリードギタリスト。腰にまで達する長髪が特徴。

香港の実業家の両親の元に出生。11歳でフランスに1年間留学し、その後一家でイギリスに移住した。広東語、英語、フランス語を話せる。ゲームが好きで、少年時代はPCエンジンを好んでプレイしていた。

フランスにいた11歳の頃、ロックミュージックを初めて耳にし、中でもギターソロに魅了された。最初に弾いたのはギターではなく、幼い頃に両親がハイチで買ってきた木製のギターもどきだった。4本ほど弦が張られたもので、それでしばらく遊んでいた。本物のギターを手に入れたのは16歳の誕生日の翌月の11月で、赤いスクワイアだった。1年後にギター店にて、スクワイアとアイバニーズEX360を交換してもらった。EX360はプロになった後も保管していて、若い頃、大勢の著名ギタリストに書いてもらったサインが残っている。

本来は左利きだが、ギターを始める際レフティーモデルが手に入らなかったため、通常の右利き用ギターを使用することになった。

2025年、PRSからシグネチャーモデルを発表。彼の特徴的なアーム奏法を再現するためにブリッジにはフロイド・ローズを搭載し、ボディは極端に薄い構造が採用されている。

PRS以前に使用していたアイバニーズのシグネチャーモデルはSシリーズがベースとなっており、彼の理想のトーンを得るために開発されたディマジオのピックアップを搭載するほか、彼のパフォーマンスの一つとなっているギターを持ち上げるアクションのため、ボディの一部にホーン部分を指の跡形に削り込んだ「カンフー・グリップ」を搭載するなど、ユニークな特徴を持つものであった。

演奏の特徴として、トレモロアームやエフェクターなどを駆使して、奇抜な効果音を出す。最近では、手の動きにあわせてエフェクトがかかるSource Audio社製のワイヤレスエフェクター、Hot Hand3を使用している。「象の鳴き声」「パックマン」「深海ノイズ」などの擬音奏法はステージでも披露する。また、ドラゴンフォースの相方であるサム・トットマンと同様、速弾きを得意とする。

引用元:ハーマン・リ - Wikipedia


















ドラゴンフォース (バンド) - Wikipedia



2026年10月2日金曜日

杉咲花 (梶浦花)



10月2日は、日本の女優である杉咲花(すぎさき はな)の誕生日です。子役から活動し、2016年「とと姉ちゃん」でヒロインの妹・美子を演じる。2020年度後期のNHK連続テレビ小説「おちょやん」では浪花千栄子をモデルにしたヒロイン・竹井千代役を演じる。父親はギタリストの木暮武彦(元レベッカ、現RED WARRIORS・シャケ)、母親は歌手のチエ・カジウラだが杉咲の幼少期に離婚している。

杉咲 花(すぎさき はな、1997年〈平成9年〉10月2日 - )は、日本の女優。東京都出身。研音所属。

子役時代は、「梶浦花」の芸名でスターダストプロモーション芸能4部に所属。

2014年、『日経トレンディ』(日経BP)主催の「2015年の顔」に選出された。

2016年、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(総合・BSプレミアム)でヒロインの妹美子を演じる。映画『湯を沸かすほどの熱い愛』では銭湯を営む一家の娘役を演じ、日本アカデミー賞ほか各映画賞の助演女優賞を受賞した。

2018年4月より放送のドラマ『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』(TBS)で、連続ドラマ初主演。 同年10月公開の『パーフェクトワールド 君といる奇跡』で映画初主演。

2018年9月、念願であった初のレギュラーラジオパーソナリティを務める『杉咲花のFlower TOKYO』(TOKYO FM)の放送が開始。初回放送を受けて、600通以上のメッセージが届くという反響があった。

2019年の『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(総合・BSプレミアム・BS4K)で、NHK大河ドラマ初出演。

2020年度後期のNHK連続テレビ小説『おちょやん』(総合・BSプレミアム・BS4K)で、浪花千栄子をモデルにしたヒロイン・竹井千代役を演じる。杉咲はオーディションではなく直接のオファーで選ばれているが、後にヒロインオーディションを3度受けていたことを明らかにしている。

父親はギタリストの木暮武彦、母親は歌手のチエ・カジウラだが杉咲の幼少期に離婚している。

引用元:杉咲花 - Wikipedia





























2026年10月1日木曜日

鹿取洋子 (鹿取容子・神取容子・神取洋子)



10月1日は、日本の実業家・歌手・女優である鹿取洋子(かとり ようこ)の誕生日です。1980年に歌手としてシングル「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」でデビュー。1982年に芸名を「鹿取容子」に改名、その後「神取容子」「神取洋子」に変えながら現在は元の「鹿取洋子」に戻っている。2010年まで女優として活動。2026年9月23日銀座タクトでのライブから活動再開した。

鹿取 洋子(かとり ようこ、1961年10月1日 - )は、日本の実業家、歌手、女優。本名は安井久恵。旧芸名は鹿取容子、神取容子、神取洋子。愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)出身。身長167cm。血液型はO型。

1980年に歌手としてポリドールK.K.(現:ユニバーサルミュージックLLC)から「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」でデビューする。同期に松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、三原じゅん子、柏原芳恵、田原俊彦らがいる。

1980年9月、山本寛斎の虎の絵入りの衣装で、2枚目のシングル「オリエンタル・スピリット」を出し、日本有線大賞新人賞にノミネートされる。その後は映画、テレビドラマ、舞台に出演する。

1982年4月に芸名を「洋子」から「容子」に改名。これは鹿取洋子という名前が画数が良くないということで占い師に診てもらった上で変えたということで、本人は「容子の容の字は容器の容なので、ファンが来たら容器のように閉じ込めて離さないという意味」だということを話していたことがある。その後芸名は「神取容子」、「神取洋子」を経て元の鹿取洋子に戻っている。

1991年、主に化粧品・アクセサリー・雑貨の輸入及び卸しを業務とする有限会社プリティープラムを設立し、代表取締役に就任。

2026年9月23日銀座タクトでのライブから活動再開。

引用元:鹿取洋子 - Wikipedia



























2026年9月30日水曜日

石橋エータロー (元 ハナ肇とクレージーキャッツ)



9月30日は「ハナ肇とクレージーキャッツ」の元メンバー(ピアニスト)で、料理研究家であった石橋エータロー(いしばし エータロー)の誕生日です。1956年3月にピアニストとして「ハナ肇とクレージーキャッツ」に参加。1961年8月に復帰後は桜井センリと共にピアノを演奏する。1970年12月31日に脱退後は料理研究家として活動する。1994年6月22日、胃癌が原因の心不全のため死去。66歳没。

石橋 エータロー(いしばし エータロー、1927年(昭和2年)9月30日 - 1994年(平成6年)6月22日)は、元・ハナ肇とクレージーキャッツメンバー(ピアニスト)で料理研究家。

本名は石橋 英市(通称・瑛市)。石橋 暎太郎と表記していた時期もある。愛称はエーちゃん。

「植木等とニュー・サウンズ・トリオ」での活動を経て、1956年3月、ピアニストとして「ハナ肇とクレージーキャッツ」に参加する。

1960年6月、結核で肋骨を6本整形する手術を受けたために一度芸能活動を中断するも1961年8月には復帰、以降は彼の代役としてメンバーに加わっていた桜井センリと共にピアノを演奏することとなる。

1970年12月31日、心臓病が原因でクレージーキャッツを脱退。「クレージーをやめて、また芸能界の仕事をすれば、なにか不満があったのだろうと言われますから。それだけはいやだった」と理由で芸能界を引退した。

同年から料理研究家として活動するとともに、1967年より東京都渋谷区桜丘町で酒と肴の店「三漁洞」を経営(元々は父・蘭童が経営していた店を引き継いだ)。

1994年、胃癌が原因の心不全のため昭和大学病院で死去、66歳没。墓所は世田谷区九品仏浄真寺。

酒豪で知られ、賭けに乗って一升瓶を飲み干したこともあるという。

引用元:石橋エータロー - Wikipedia













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