2026年3月23日月曜日

犬塚弘 (ハナ肇とクレージーキャッツ)



3月23日は、俳優・ベーシストでコミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーであった、犬塚弘(いぬづか ひろし)の誕生日です。「ハナ肇とクレージーキャッツ」で最後まで存命だった人物。お笑いやベーシストとしてのみならず、俳優としても活動をしていた。2023年10月27日、94歳で亡くなった。

犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。

コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。

引用元:犬塚弘 - Wikipedia





















2026年3月22日日曜日

スコット・ウォーカー (ウォーカー・ブラザーズ)



3月22日は、アメリカ合衆国の歌手・作曲家である、スコット・ウォーカー(Scott Walker)の命日です。1960年代に活躍した「ウォーカー・ブラザーズ」の中心メンバーとしてお馴染み。数々のヒット曲を出し、ソロとしても成功した。2019年3月22日、76歳で死去。

スコット・ウォーカー(Scott Walker、本名:ノエル・スコット・エンゲル、1943年1月9日 - 2019年3月22日)は、アメリカ合衆国の歌手、作曲家。オハイオ州ハミルトン生まれ。

「『Q』誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第39位。

ゲイリー・リーズ(後のゲイリー・ウォーカー)やジョン・ウォーカーと共に、ウォーカー・ブラザーズを結成。その後、イギリスへ向かいフィリップス・レコードと契約し、1965年2月にシングル「Pretty Girls Everywhere」でデビュー。2ndシングル「Love Her」は全英チャート20位を記録。3rdシングル「涙でさようなら」は全英チャート1位のヒットを記録した。以降、「太陽はもう輝かない」(全英チャート1位、全米チャート13位)、「孤独の太陽」、「ダンス天国」等のヒットを放ち、イギリスのみならず日本、ヨーロッパ、オセアニア諸国で高い人気を得た。

ウォーカー・ブラザーズの解散後もイギリスに活動拠点を置き、1967年にソロ・アルバム『スコット』を発表。ベルギーのシャンソン歌手ジャック・ブレルの「ジャッキー」をカバーした同名のデビューシングルをリリースし、全英チャート22位を記録。1968年、キャリア最大のヒットとなるシングル「ジョアンナ」が全英チャート7位。アルバム『スコット2』は全英チャート1位を記録した。1969年にリリースされたアルバム『スコット3』も全英チャート3位を記録するヒットとなった。

オランダ・アムステルダムへ居住していた1970年には、映画『恋(ジュリー・クリスティ主演)』でミシェル・ルグラン作曲の主題歌を担当した。

1975年に、ウォーカー・ブラザーズを再結成し1977年まで活動した。1976年にリリースされたシングル「No Reglets」は全英チャート7位を記録するヒットとなった。1999年には映画『ポーラX』の音楽を手掛ける。2000年のメルトダウン・フェスティバルではキュレーターを務め、レディオヘッド、ブラーらを招いている。2007年、ドキュメンタリー映画『スコット・ウォーカー 30世紀の男』が全英公開された。

2019年3月22日、76歳で死去した。

引用元:スコット・ウォーカー - Wikipedia

























2026年3月21日土曜日

大森玲子 (相原玲・Ray)



3月21日は、タレント・歌手である大森玲子(おおもり れいこ)の誕生日です。アニメ「魔法のステージファンシーララ」のヒロイン役で声優を務め、主題歌で歌手デビューした。一時芸能活動を休止していたが2001年8月20日復帰。2018年11月28日、会社経営者と結婚。

大森 玲子(おおもり れいこ、本名同じ、1984年3月21日 - )は、日本のタレント、歌手である。当初は本名で活動していたが、Eldie Media Worksに事務所移籍した際に「相原玲」(あいはられい)に改名。その後大森玲子名義に戻している。

北海道函館市出身、一時期東京暮らしを経て千葉県船橋市育ち。

ホリプロ時代の芸名は本名の大森玲子(おおもり れいこ)。Eldie Media Works所属時代の芸名は相原玲。ホリプロ時代は休業期間を除きHiPメンバー。また、HiP内で「EARTH(Eri Ayana Reiko True Horizon)」という内部ユニットにも所属。当時の愛称は「れーこ」(本人は“れ→こ”という表記を好んでいた)。

テレビアニメ『魔法のステージファンシーララ』(テレビ大阪ほか)のヒロイン役で声優を務め、同時に特徴的なアニメ声を生かして主題歌で歌手デビュー。また、この年は「EARTH(アース)」として写真集、DVD&ビデオも発売し、NTV『スーパージョッキー』で宣伝するなど当時流行のジュニアアイドルブームにおいてU-15タレントとして多忙を極め、“ポスト優香”と目されていた。

2000年4月、高校進学を機に学業優先を理由として芸能活動を休止。2001年8月20日復帰、HiPを主体に活動再開。

2018年11月28日、会社経営者と結婚。

引用元:大森玲子 - Wikipedia























2026年3月20日金曜日

竹内まりや



3月20日は、シンガーソングライター・歌手・プロデューサーの竹内まりや(たけうち まりや)の誕生日です。1978年11月、シングル「戻っておいで・私の時間」アルバム「BEGINNING」で音楽界デビューを果たした。1979年8月に3枚目のシングル「SEPTEMBER」を発売。1980年2月「不思議なピーチパイ」1987年11月シングル「AFTER YEARS/駅」1989年9月「シングル・アゲイン」1994年5月「純愛ラプソディ」1998年11月「カムフラージュ」などヒット曲多数。他アイドルや歌手などの提供曲多数。山下達郎とは1982年4月に結婚、以降公私にわたる活動をしている。

竹内 まりや(たけうち まりや、1955年〈昭和30年〉3月20日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。出生名同じ。結婚後の本名、山下 まりや。島根県簸川郡大社町杵築南(現・島根県出雲市大社町杵築南)出身。

生家・実家は出雲大社・二の鳥居近くに在る1877年(明治10年)創業の老舗旅館「竹野屋旅館」。父親は4代目竹内繁蔵(旅館経営者。のちには大社町町長も務めた)。夫は山下達郎(シンガーソングライター、ミュージシャン)。山下との間に一女がいる。

スマイルカンパニーおよび夫と共同経営する(著作権管理用)個人事務所のテンダベリー&ハーヴェスト所属。レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。

引用元:竹内まりや - Wikipedia





























2026年3月19日木曜日

ランディ・ローズ (オジー・オズボーン、クワイエット・ライオット)



3月19日は、アメリカ合衆国出身のロック・ギタリストである、ランディ・ローズ(Randy Rhoads)の命日です。クワイエット・ライオット及びオジー・オズボーンのバンドの初代ギタリストであったことで知られる。1982年3月19日、オジー・オズボーン・バンドの全米ツアー(Diary of a madman tour)中に遊覧飛行で乗った軽飛行機の墜落事故により即死。25歳没。

ランディ・ローズ(Randy Rhoads、本名:ランドール・ウィリアム・ローズ、男性、1956年12月6日 - 1982年3月19日)は、アメリカ合衆国出身のロック・ギタリスト。身長170cm。

クワイエット・ライオットおよびオジー・オズボーンのバンドの初代ギタリストであったことで知られる。

1982年3月19日、オジー・オズボーン・バンドの全米ツアー(Diary of a madman tour)中に遊覧飛行で乗った軽飛行機の墜落事故により、25歳で生涯を終えた。

ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」第85位、2011年の改訂版では第36位。2021年「ロックの殿堂」入り。

1975年、ランディを中心にクワイエット・ライオットが結成される。

1978年3月、CBSソニーより『静かなる暴動(QUIET RIOT)』で日本デビューを飾る。

12月には、セカンド・アルバム『暴動に明日はない(QUIET RIOT II)』をリリースするも、このアルバムも日本のみのリリースで、全米で発売されることはなかった。

1979年9月、オジーバンドに加入に伴い、クワイエット・ライオットは自然消滅。日本デビューはしたものの、日本公演を行うことはなかった。そしてランディは、正式に活動の場をオジー・オズボーンの元へ移し渡英する。11月にはアルバム制作に取り組み、1980年3月にボブ・デイズリー(ベース)、リー・カースレイク(ドラム)らと共にロンドンのリッジ・ファーム・スタジオでレコーディングが開始される。

1980年8月、ファースト・シングルとして「Crazy Train」をリリース。9月には、アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説 (BLIZZARD OF OZZ)』をリリースと同時に全英ツアーを開始。アルバムは発売直後、全英チャート15位を記録、ランディは新たなギターヒーローとして注目を集めることとなった。

1981年にはセカンド・アルバムの制作及びレコーディングを開始、4月にはファースト・アルバム『BLIZZARD OF OZZ』が全米でリリースされ、同時期に全米ツアーを開始。10月には、セカンド・アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(DIARY OF A MADMAN)』をリリース。12月にはプラチナムディスクに輝き、アメリカでも大規模なアリーナツアーを展開する。

全てが順風満帆に進むと思われた矢先の翌年1982年3月19日、ランディを乗せた小型飛行機がフロリダ州リースバーグにて墜落し、飲酒から酔っていた操縦士とシャロン・オズボーンの古い友人であるメイクアップ・アーティストを含む3人がオジーの目前で即死。若きギターヒーローが才能を開花させようとしていた矢先の出来事であった。享年25。

1970年代から80年代初期にかけてのロック・ギターの進化の一端を担った人物とされる。

引用元:ランディ・ローズ - Wikipedia























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