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2025年6月13日金曜日

宮脇康之 (宮脇健)



6月13日は、俳優・元子役の宮脇康之(みやわき やすゆき)の誕生日です。現在は宮脇健(みやわき けん)を名乗る。テレビドラマ「チャコちゃんシリーズ」「ケンちゃんシリーズ」に「ケンちゃん」として10年間出演し国民的人気子役となった。一時期芸能界から干される状態にあったが、現在では還元水生成器ビジネスで成功を収め、その後はバッテリーのリサイクル事業も行ないながら講演活動で全国をまわる傍ら、芸能活動と並行して活躍している。

宮脇 健(みやわき けん、1961年6月13日 - )は、日本の俳優。旧芸名および本名は宮脇 康之(みやわき やすゆき)。子役時代は劇団日本児童に所属し、「ケンちゃん」としてお茶の間の人気者だった。

東京都出身。元所属事務所は、劇団日本児童、劇団若草、麗タレントプロモーション芸能部、元氣プロジェクト。堀越高等学校卒業。

自叙伝で宮脇は次のように述べている。

「ドラマの中では、宮脇康之でいることは許されなかった。ケンちゃんにならなければならず、必ず半ズボンを穿いていなければならなかった。6年生にもなったら、半ズボンがたまらなく嫌になり、やめさせてくれなければ役を下りるとプロデューサーに申し入れたら、聞き入れてくれたが、その代わりケンちゃん役からは下ろされ、たまに登場するだけの中学生のお兄さん役に回された。」

実際『ケンにいちゃん』以降の作品では、主人公の「ケンちゃん」が宮脇演じる「ケンイチ」ではなく岡浩也演じる「ケンジ」であり、「ケンイチ」は「ケンにいちゃん」となり、脇役的な役回りになっている。ただし、これは宮脇自身の理由によるものではなく「小学生をターゲットとした同番組の主人公として宮脇が成長し過ぎて、小学生の感情移入対象では無理な年齢になったための措置である」と番組関係者は語っている(朝日放送『驚きももの木20世紀』堕ちた天使 子役のそれから… ケンちゃんの三十七年)。

『ケンちゃんの101回信じてよかった』では、自身が大人の俳優となれなかった主因を、高校生のとき俳優になるための勉強を怠り大金を使って遊んでいたためと、自らの責任としている。しかし、一方では1980年代におけるTBSなどの扱いに関する不満(1982年以降、テレビ局に行っても仕事の話をしようともしなかったこと)も述べている。

ケンちゃん役を降板した後3年ほどは大いに仕事があったが、その後は仕事はほとんどなくなった。原因の一つは三原じゅん子との熱愛疑惑とされる(自叙伝『ケンちゃんの101回信じてよかった』より)。

引用元:宮脇健 - Wikipedia





























2022年6月10日金曜日

木之内みどり



6月10日は、元アイドル歌手・女優の木之内みどりの誕生日です。70年代に人気を博したアイドル歌手で女優だった。

木之内 みどり(きのうち みどり、1957年6月10日 - )は、北海道小樽市出身の日本の元アイドル歌手、元女優である。1976年時点の公称サイズは、身長163cm、体重42kg、B78cm・W57cm・H84cm。血液型O型。

北海道小樽市に生まれる。9人兄妹の末っ子。15歳中学3年生のときに、日本テレビの「ミス・ティーン・コンテスト」に応募するが準優勝、望みは叶わず。

「家を建てたい」と16歳の8月、小樽から上京する、歌謡番組のマスコットガールで芸能界入りのきっかけを掴んだ。

1974年5月10日、「めざめ」で歌手としてデビュー、キュートな顔立ちと愛らしい歌声で人気を集めた。本業の歌手としてはレコードの売り上げが伸びないのにもかかわらず、ブロマイドが飛ぶように売れる怪現象を起こした。

1976年(昭和51年)ヘアートリートメントのCMに出演し、お茶の間にも知名度を上げたが、歌手としてはなかなか成功できず、映画『野球狂の詩』(1977年)、テレビドラマ『刑事犬カール』(1977年 - 1978年)などに出演、女優として活躍した。またグラビアアイドルとしても人気が高く、篠山紀信撮影で知られる『GORO』(小学館)の表紙を6回も飾った。そのうち1978年には3回を占め、ラストは引退後の1978年10月12日号であった。

1977年10月25日発売の『刑事犬カール』の主題歌「走れ風のように」や1978年2月25日発売の「横浜いれぶん」がようやくヒットしたが、1978年1月19日に放送開始した『ザ・ベストテン』にはランクインせず、『夜のヒットスタジオ』にも出演を果たせなかった。

1978年9月、新曲「一匹狼 (ローン・ウルフ)」発表直後にベーシスト後藤次利との交際が発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中の後藤のもとに、すべてのスケジュールをキャンセルして逃避行した。後藤は当時、元シモンズの玉井タエと婚姻関係にあった。同年9月11日、帰国ともに記者会見を開き、木之内は21歳で引退した。「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。新曲は記者会見の10日後の発売であった。

引退後も、浅井企画と木之内との間が決裂したわけではなく、カメラマンへ転身していた木之内に、浅井企画所属タレントの宣材写真を依頼していたと、当時の担当マネージャーは語っている。

後藤とは5年後の1983年に結婚したが、その4年後の1987年に離婚した。1990年、俳優の竹中直人と再婚。竹中との間に1男1女がいる。

引用元:木之内みどり - Wikipedia









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