ラベル 渡哲也 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 渡哲也 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年12月21日日曜日

牧村三枝子



12月21日は、演歌歌手の牧村三枝子(まきむら みえこ)の誕生日です。1972年にシングル「少女は大人になりました」でデビュー。1978年10月に発売された「みちづれ」は渡哲也のシングルリリース曲のカバーシングル、1979年中をかけてロングヒットとなった。愛称は「ミーコ」。

牧村 三枝子(まきむら みえこ、本名:千葉 美恵子、1953年12月21日 - )は、日本の演歌歌手である。所属事務所はサンミュージックプロダクション。愛称は「ミーコ」。

北海道美唄市で炭鉱労働者の家庭で5人兄弟の末っ子として出生。中学校卒業後に上京、釣り具店に就職する傍ら、 1972年に入学したサンミュージック・タレントスクールを経て『少女は大人になりました』でRCAレコードよりデビュー。

1976年1月に放送開始のテレビドラマ「大都会-闘いの日々-」にレギュラー出演。3月、ポリドールへ移籍し同作挿入歌『赤堤灯の女』を発売。

1978年12月、所属レーベルで先輩歌手に当たる渡哲也のシングルリリース曲『みちづれ』を、牧村の強い希望によりカバー・シングルとして発売。その後同曲はオリコン週間シングルチャートで1979年4月30日付から1980年1月21日付まで38週連続で20位以内にチャートインするロングヒットとなった。

その後も『夫婦きどり』(1979年~1980年)、『あなたの妻と呼ばれたい』(1980年)、『友禅流し』(1989年~1990年)などのヒット曲がある。

「NHK紅白歌合戦」には1981年から1984年まで、4年連続で4回出場を果たした。1983年には両親のために静岡市内に自宅購入している。

1984年6月にトーラスレコードへ、2000年3月にはバップへ移籍する。

1997年、父の死が引き金となって酒量が増えたことなどから、2002年頃に肝硬変と食道静脈瘤を発病。約2年間の闘病生活を経て、2004年に歌手活動を再開している。

乳がん闘病を極秘にしていて10年前には両胸を全摘出したこと、2022年に終の棲家(ついのすみか)を求め自宅マンション売却や大量の着物などの衣装や荷物なども処分して、東京から兄や甥などの親族が住んでいる静岡市に移住したことを2023年5月15日の『徹子の部屋』出演時に明かす。

引用元:牧村三枝子 - Wikipedia



























2021年8月10日火曜日

渡哲也



8月10日は、俳優・歌手の渡哲也の命日です。2020年8月10日没。78歳。

渡 哲也(わたり てつや、本名:渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)、1941年〈昭和16年〉12月28日 - 2020年〈令和2年〉8月10日)は、日本の俳優・歌手。
兵庫県・淡路島 出身。株式会社石原プロモーション相談取締役。俳優の渡瀬恒彦は実弟。

1965年(昭和40年)3月『あばれ騎士道』で宍戸錠とのW主演でデビューし、この作品で、エランドール賞新人賞を受賞し、2作目の『青春の裁き』で単独主演しオープニングクレジット映像では空手の型・約束組手を披露し、本編での複数相手の乱闘シーンでは飛び蹴りや二段蹴りを連発し正拳突きで止めを刺すなど空手部キャプテンの実績を生かした作品になっている。

1965年(昭和40年)12月『赤い谷間の決斗』で石原裕次郎と初共演。

渡は『東京流れ者』や『無頼シリーズ』などで、一躍日活ニューアクション時代のスターとなったが、1971年、日活のロマンポルノ路線への転換にともない、1971年(昭和46年)7月封切の『関東破門状』を最後に日活を退社した。

その後、東映など映画会社数社から渡の引き合いがあるものの、石原への尊敬の念などから、渡は1971年(昭和46年)、借金で倒産寸前の石原プロモーションへ入社。

石原プロは会社再建と経営安定のため、テレビドラマへ本格進出。渡にとって復帰第1作及び主演ドラマ『大都会 闘いの日々』は『大都会 PARTII』『大都会 PARTIII』とシリーズ化、続いて主演した『西部警察』もシリーズ化され、5年間放映された。

これら刑事ドラマでの「角刈りにサングラス」というスタイルは渡のトレードマークとなった。

2020年(令和2年)8月10日午後6時30分、肺炎のため死去。78歳没。渡の遺志により直後の発表はされず、石原プロ関係者には8月12日に死去が知らされ、一般への公表は家族葬が終了した8月14日に行われた。お別れの会なども、渡の遺志により行われなかった。

引用元:渡哲也 - Wikipedia









人気の投稿(過去7日間)