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2026年5月2日土曜日

井上堯之 (元 ザ・スパイダース、PYG、井上堯之バンド、ソン・フィルトル)



5月2日は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサーである、井上堯之(いのうえ たかゆき)の命日です。「ザ・スパイダース」のギタリストで一世を風靡し、後に「PYG」を結成、1972年以降は井上堯之バンドを率いて沢田研二のバックバンドとしての活動の他、「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」「寺内貫太郎一家」などの音楽を担当している。1999年にはザ・スパイダースのメンバーだった堺正章とかまやつひろしの2人で「ソン・フィルトル」を結成している。2018年5月2日、敗血症のため死去。77歳没。

井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。

ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。

1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。1972年以降、井上堯之バンドを率いて沢田研二のバックバンドとしての活動の他、PYGボーカルの萩原健一が出演したテレビドラマ『太陽にほえろ!』(作曲:大野克夫)、『傷だらけの天使』、『前略おふくろ様』や、西城秀樹も出演した『寺内貫太郎一家』、沢田研二主演『悪魔のようなあいつ』の音楽を担当。

1993年、大人のロックを目指すべく宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を結成したが、1998年に活動休止。

1999年にはザ・スパイダースのメンバーだった堺正章とかまやつひろしの2人と音楽カルテット・ソン・フィルトルを結成し、CDリリースとライブ活動を皮切りに、年末にはオリジナル曲「Yei Yei」で第50回NHK紅白歌合戦に出場。

2009年1月6日、公式サイトにてミュージシャンとしての現役活動から引退することを表明した。

2018年5月2日、敗血症のため死去。享年77歳。最後に公の場に姿を現したのは奇しくも死去1年前の2017年5月2日に開かれた、ザ・スパイダース時代の同僚・かまやつひろしのお別れの会であった。

引用元:井上堯之 - Wikipedia

























2025年12月28日日曜日

岸田森



12月28日は、俳優・声優の岸田森(きしだ しん)の命日です。劇団出身でテレビドラマや映画、特撮作品までこなす独特な存在感を放つオールラウンダーな名バイプレイヤーだったが、1982年12月28日、食道ガンのため43歳で死去。劇作家、演出家の顔ももつ。1964年に女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚したが、1968年に悠木(樹木)と離婚。女優の岸田今日子とは従姉にあたる。

岸田 森(きしだ しん、1939年〈昭和14年〉10月17日 - 1982年〈昭和57年〉12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。

1960年(昭和35年)、21歳。文学座附属演劇研究所に研究生として入団。研究発表会のような内輪の演劇ばかりで、「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた」と語っている。

1962年(昭和37年)、23歳。『光明皇后』の延臣役が初舞台となる。

1964年(昭和39年)、25歳。同期である女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚。

1965年(昭和40年)、26歳。文学座座員に昇格。

1966年(昭和41年)、27歳。年頭に退団。悠木、村松克己、草野大悟らと劇団「六月劇場」を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。

同年の『氷点』(NET)が本格的なテレビ初出演と本人は語る。

1968年(昭和43年)、29歳。悠木(樹木)と離婚後、バーのマダムと再婚するがのちに離婚。その後は女優・三田和代と事実婚関係にあった。『怪奇大作戦』(TBS)が、円谷プロとの初仕事となる。この作品への出演が自身の芝居の一大転機になったと語り、以後「僕は円谷育ち」と公言している。

1971年(昭和46年)、32歳。東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズは代表作となった。『帰ってきたウルトラマン』では主人公の師で兄代わりでもある坂田健役を演じた。

1973年(昭和48年)、34歳。円谷プロのテレビ特撮『ファイヤーマン』(日本テレビ)に出演。脚本を手がけた第12話では、部分演出も行う。この年、天知茂主演のテレビ時代劇『無宿侍』(フジテレビ)第6話において兄弟役で共演。

1977年(昭和52年)、38歳。『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)に主演。カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。生涯唯一のトップクレジットで遇された大作映画である。ほかに、主演作としてはほぼ出ずっぱりの『黒薔薇昇天』が、大役としては三船敏郎、勝新太郎の向こうを張る剣豪を演じた『座頭市と用心棒』があり、名バイプレイヤーとしてのフィルモグラフィのなかで異彩を放っている。

1980年(昭和55年)、41歳。テレビCMの演出を手がける。「エスビー食品」など水谷豊の主演するCFについては、「演出補助」と肩書きされるが、本人は「あれはすべて僕が演出しました」とコメントしている。

1982年(昭和57年)12月28日、食道ガンのため、43歳で死去。墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。

引用元:岸田森 - Wikipedia























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