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2024年1月17日水曜日

坂本龍一



1月17日は、作曲家・編曲家・ピアニスト・俳優・音楽プロデューサーの坂本龍一(さかもと りゅういち)の誕生日です。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)や映画音楽、ピアニストなどで世界的に活躍。2023年3月28日没。71歳。

坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー。東京都出身。

音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている。愛称は「教授」。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた。インターネットなどの新技術にも興味を示し、ライブや作品に取り入れていた。

1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなった。同時に山下達郎や大貫妙子などの同世代の音楽家とも知り合い、共同作業を行った。

YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、晩年はアンビエントやエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを横断して多彩な作品を発表した。

自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。俳優として出演した大島渚の監督映画『戦場のメリークリスマス』で映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞 作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー』では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、同曲でゴールデングローブ賞 作曲賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。

1990年代後半はアコースティック作品を中心に制作し、その中でも1999年に三共『リゲインEB錠』のCM曲であった『energy flow』が癒し系楽曲として絶大な人気を得て、同曲を収録した『ウラBTTB』がミリオンセラーを達成した。

音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には俳優としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、ダウンタウンなどとお笑い番組やバラエティ番組に出演することもあった。

2023年3月28日、東京都内の病院で死去した。71歳没。訃報は同年4月1日午前、共同通信の配信記事で明らかになった。また、4月2日夜、本人の公式Twitterおよび所属事務所によるリリースで公表された。所属事務所によれば「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」としており、既に葬儀は近親者で執り行われている。

引用元:坂本龍一 - Wikipedia

















2021年7月9日金曜日

細野晴臣



7月9日は、ミュージシャン(主にベース)・シンガーソングライター・プロデューサーである、細野晴臣の誕生日です。

細野 晴臣(ほその はるおみ、1947年7月9日 - )は、日本のミュージシャン。

立教大学在学中にベースをはじめ、数多くのバンドを経た1969年、エイプリル・フールのベーシストとしてメジャーデビュー。その後、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成し、細野本人は当初、日本語でロックを歌うことに反対していたが、結果として日本語ロックの礎を築く。1973年のはっぴいえんど解散後、ソロ活動と並行して鈴木茂、林立夫、松任谷正隆とキャラメル・ママ(のちにティン・パン・アレーと改名)を結成。演奏・プロデュースチームとして多数のアーティストの楽曲に参加、荒井由実などのプロデュースも行う。

シンセサイザー・コンピュータを用いた音楽やディスコへの興味が高まっていった1978年、元サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏、当時スタジオ・ミュージシャンでもあった坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成。当初は細野主体の企画もののバンドと捉えられていたが、1980年にはその活動がブームを巻き起こす。Y.M.O.の成功をきっかけにメディアにも露出するようになり、アイドル・歌謡曲界への多数の楽曲提供、新人発掘のためのレーベル「YEN」の高橋との共同による立ち上げなど個人としても精力的に活動を行う。また、ヴィデオ・ゲーム「ゼビウス」の音源をダンス・ミュージックにアレンジした『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年)をプロデュース、ゲーム・ミュージックが音楽ジャンルとして確立するきっかけを作った。

Y.M.O.時代からの多忙と、日本のバブル崩壊以前の消費社会に対する疲弊に辟易とした後、1980年代後期にはワールド・ミュージック、1990年代にはアンビエント・ミュージックに深くアプローチし、大量消費に頼らない音楽を模索した。

引用元:細野晴臣 - Wikipedia





2021年6月6日日曜日

高橋幸宏



6月6日は、ミュージシャン・ドラマー・作詞家・作曲家・プロデューサーの高橋幸宏の誕生日です。

高橋幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年6月6日 - )は日本のミュージシャン。

シンガーソングライターであると同時に、ドラマー、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして活動している。また、ファッション・デザイナー、文筆家としての顔も持つ。立教中学校(現:立教池袋中学校)・立教高等学校(現:立教新座高等学校)卒業(高校の3年後輩に佐野元春がいる)。武蔵野美術大学中退。ソロ・デビューした1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)前半までは、「高橋ユキヒロ」とカタカナ表記の名前を名乗っていた。

高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動。サディスティック・ミカ・バンドやイエロー・マジック・オーケストラ (YMO) のメンバーとしての活動が有名。その他、鈴木慶一と共に結成した「ビートニクス」、細野晴臣とのユニット、スケッチ・ショウとしての活動を始め、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュースも手掛けている。山本耀司のパリ・コレ出展の際の音楽を担当したり、椎名誠監督の映画の音楽監督を務めたこともある。近年は自身の体調などの関係から、披露される機会が少なくなったが、本職はドラマーである。その厳格なまでに正確なリズムと少ない音数で多彩な表現を可能とする独特のタイトな演奏は、特にYMO世代のミュージシャン達から高くリスペクトされている。

引用元:高橋幸宏 - Wikipedia





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