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2023年10月29日日曜日

志穂美悦子



10月29日は、女優・歌手・フラワーアーティストの志穂美悦子の誕生日です。70年代から80年代にかけてジャパンアクションクラブ等を通じて活躍した。

志穂美 悦子(しほみ えつこ、1955年10月29日 - )は、日本の女優・歌手・フラワーアーティスト・タレント。

海外ではSue Shiomi の名で知られ、日本で初めて女優自らスタント・擬斗を演じ、1970年代から1980年代にかけて活躍した。ジャパンアクションクラブ(JAC)が初めて輩出した女優でもある。愛称は悦っちゃん。岡山県岡山市東区西大寺出身。

本名:長渕 悦子(ながぶち えつこ)。旧姓:塩見(しおみ)。

1968年から放映されていたテレビドラマ『キイハンター』を観て以来、千葉真一の熱狂的ファンとなり、感化された志穂美は高校生の時にスタント・パーソンになりたい夢を抱く。1972年8月、千葉が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)を受験して合格。

1973年、千葉真一主演映画『ボディガード牙』で、牙直人の妹であるマキ(渡辺やよい)の擬斗の吹き替えをし、本名の塩見 悦子でデビューを果たした。テレビドラマ『現代鬼婆考・殺愛』(1973年)で、主演・千葉(大庭しげ男)の妹・大庭しげみ役を経て、シリーズ化された映画『ボディガード牙 必殺三角飛び』(1973年)では、千葉の本名から「穂」を一字貰い受け、本作から芸名を志穂美 悦子にして活動し始める。

テレビドラマ『キカイダー01』の第30話『悪魔? 天使? ビジンダー出現!!』(1973年)から、マリ(ビジンダーの人間の姿)役でレギュラーになった。

1974年には千葉真一主演映画『激突! 殺人拳』に助演したあと、映画『女必殺拳』の主人公に選ばれる。

千葉主演のテレビドラマ『七色とんがらし』(1976年、NET)ではホームドラマにレギュラー出演し、スタントや擬斗を演じない初めての作品は芸域を拡げる転機になった。

1985年にはJAC (サニー千葉エンタープライズ)より独立し、個人事務所『ハンドレット』を設立。映画では角川春樹事務所創立10周年記念作品『二代目はクリスチャン』に主演した。

1987年8月29日に長渕と結婚。入籍のみで済ますつもりだった長渕だが、初婚である志穂美は「芸能人としてでなく、普通の人としてひっそり式を挙げたい」という希望から、9月17日に師匠・千葉真一が修行した寺の近くにある奈良県天川村の天河大弁財天社にて、双方の両親と親しい知人のみの参列を前に式を挙げた。

2011年11月20日、長渕が経営する自由が丘のカフェ『ROCK ON』の特別企画に賛同し、東日本大震災復興支援・チベット難民キャンプ支援としてフラワーアレンジメントの写真集『Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜』を自費出版で発売。それに伴い、約5年ぶりに公の場に姿を現し、握手会とサイン会を催した。なお、売上金は全額寄付されるという。

引用元:志穂美悦子 - Wikipedia








キカイダー01 - Wikipedia マリ/ビジンダー






長渕剛と志穂美悦子



2023年9月7日木曜日

長渕剛



9月7日は、シンガーソングライター・俳優・タレントの長渕剛の誕生日です。

長渕 剛(ながぶち つよし、本名:同じ、1956年〈昭和31年〉9月7日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、芸術家、作詞家、作曲家。デビュー時、一度だけ「ながぶち ごう」という読みが当てられたこともあった。血液型はA型。 Office REN(オフィス・レン)所属。

1977年、シングル『雨の嵐山』でビクター・レコードからシンガーソングライターとしてデビュー(一般的には1978年『巡恋歌』による東芝EMIからの再デビューが、本格デビューとして知られている)。「乾杯」「とんぼ」「しあわせになろうよ」など、多数のヒット曲があり、『家族ゲーム』『親子ゲーム』『とんぼ』『RUN』などのテレビドラマや『オルゴール』『ウォータームーン』『英二』などの映画に主演して、個性派俳優としても知られる。日本テレビ系列とテレビ東京系列のドラマ出演の実績は一切ない。また、時代劇の出演実績もない。

現在までに、ソロアーティストとしてアルバム初登場1位獲得数12作品、トータル売上げ2000万枚を突破したシンガーソングライターの一人である。

1981年8月、石野真子と結婚。結婚式はハワイの教会で、仲人は吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。1978年当時、福岡県北九州市のライブハウスに飛び入りで現れた際、ステージのMCで、「俺は将来、石野真子を嫁さんにする」と発言していたが、様々な見解の相違を表面化させ、長渕のDVや長渕の母との確執などが理由で1983年5月に離婚。

1987年8月29日に『親子ゲーム』(1986年)、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1987年)で共演した志穂美悦子と再婚。『親子ゲーム』の撮影中に志穂美が左手小指の付け根を骨折し、病院に向かう志穂美に長渕が付き添ったことが馴れ初めだった。入籍のみで済ますつもりだった長渕だが、初婚である志穂美は「芸能人としてでなく、普通の人としてひっそり式を挙げたい」という希望から、9月17日に志穂美の師匠・千葉真一が修行した寺の近くにある奈良県吉野郡天川村の天河大弁財天社にて、双方の両親と親しい知人のみ出席して挙式。志穂美は長渕の強い意向で芸能界を引退し、「クセのある男なので専業主婦したい」とこれ以降は芸能活動を行っていない。

結婚後、妊娠中の志穂美にもDVを振るっていたことが週刊誌に取り沙汰されたが、出産後は極真空手の経験者だった志穂美がある程度やり返すようになり、敵わないと悟った長渕は空手道を稽古するようになった。ちなみに志穂美の格闘技のキレは2023年で68歳になる年齢になっても「キレがある」「長渕よりも強そう」と言われたほどの凄さを持つ。なお、自身の息子(長男)も空手を嗜んでおり、ユースでは国内トップレベルの選手とのこと。

引用元:長渕剛 - Wikipedia













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