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2025年11月6日木曜日

森川千恵子 (真樹千恵子、カマフォード・千恵子)



11月6日は、元女優の森川千恵子(もりかわ ちえこ)の誕生日です。旧芸名は真樹千恵子(まき ちえこ)。1967年に芸能界デビュー、「セブンティーン」「女学生の友」などのグラビアモデルを務める。1971年に「仮面ライダー」で緑川ルリ子役で第13話まで出演したのが最も有名。「コートにかける青春」ではテニスに打ち込む姉妹の妹・東城真琴役を演じ、アイドル的地位を確立。1972年に「アイアンキング」に出演したが事故で途中降板している。1977年に結婚して芸能界を引退。以降「カマフォード・千恵子」としてエアロビックインストラクターへ転じたものの、「仮面ライダー」についてのインタビューをはじめ、その関連イベントなどには快く応じて出演している。

森川 千恵子(もりかわ ちえこ、1951年11月6日 - )は、日本の元女優。旧芸名は真樹 千恵子(まき ちえこ)。5歳の時に日本舞踊の西川流に入門し、西川沙織の舞台名も持つ。父は作家の森川哲郎。

東京都杉並区出身。宝仙学園高等学校を経て、立正大学英文科中退。

1967年、16歳の時に新宿でスカウトされ、芸能界デビュー。集英社の『セブンティーン』や小学館の『女学生の友』のグラビアモデルなどを務めるようになる。

1971年に日本テレビの『2丁目3番地』で俳優デビュー。また、同年の毎日放送の『仮面ライダー』に緑川ルリ子役で第13話まで出演する。その直後、フジテレビの『コートにかける青春』でテニスに打ち込む姉妹の妹・東城真琴役を演じ、アイドル的地位を確立する。この頃、芸名を本名の森川千恵子に改名した。

1972年には『アイアンキング』に高村ゆき子役で出演したが、弾着を着けて着火される撮影に挑んだ際に火が服や髪へ燃え移る事故が発生。火傷とその精神的ショックもあり、降板。

1974年には『京都清水五条坂』(関西テレビ)で人形屋の娘・美江役を演じ、新たな境地を開拓する。

1977年に結婚して芸能界を引退。1981年に外国人男性との娘を出産している。1998年放送の『藤岡弘、仮面ライダー復活秘話』に結婚後の氏名「カマフォード・千恵子」として出演した。以後、エアロビックインストラクターへ転じたものの、『仮面ライダー』についてのインタビューをはじめ、その関連イベントなどには快く応じて出演している。

『仮面ライダー』への出演は、東映プロデューサーの平山亨が真樹の出演していた「エメロンシャンプー」(ライオン)のCMを観て惚れ込んだことから起用された。

緑川ルリ子という役柄については育ちが良くて言葉も丁寧であるため、演じていて不自然で戸惑うと述べている。主演の藤岡弘、の負傷降板に伴う番組内容の一新により、第13話で真樹も降板した。真樹はこの時のことについて、突然東映生田スタジオへ行けなくなり悲しくなった旨を述べている。

藤岡は真樹について、険がなく天使のようで、会ってすぐに意気投合した旨を述べている。『仮面ライダー』でオートバイのスタントマンを務めた大橋春雄とは、後年も親交がある。

引用元:森川千恵子 - Wikipedia

























2025年7月2日水曜日

浅丘ルリ子



7月2日は、女優の浅丘ルリ子(あさおか ルリこ)の誕生日です。昭和を代表する女優の一人である。

浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名:浅井 信子(あさい のぶこ)、1940年〈昭和15年〉7月2日 - )は、日本の女優。血液型はA型。前夫は石坂浩二。カラント(舞プロモーション関連)所属。

読売新聞に連載されていた北条誠の小説(挿絵は中原淳一)『緑はるかに』を水の江瀧子プロデュース・井上梅次監督で映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に知り、両親賛成のもと応募。11月23日に面接が行われ約3,000人の中から中原淳一が浅丘のメイクを見て「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれ銀幕デビュー。芸名は、『緑はるかに』のヒロインのルリコと、本人の本名から「浅」の1字をとり、『緑はるかに』のイメージから「丘」という字をつけて、「浅丘ルリ子」となった。「ルリコカット」が当時の女性たちの間で大流行し、瞳の大きな美少女として脚光を浴びる。

日本映画全盛期の日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや、石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。

1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした。日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。現在までの映画出演本数は150本以上。

1966年には日活との専属契約を解消し、石原プロへ入社。1972年、石原プロが劇場用映画製作から撤退したことにより石原プロ退社。また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表、1969年のシングル『愛の化石』はヒットした。

その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部〜第三部』、『告白的女優論』、『鹿鳴館』、『博士の愛した数式』などの映画の話題作に出演した。特に、映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数えた。渥美清の最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。

1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、泉鏡花の作品などに出演している。

引用元:浅丘ルリ子 - Wikipedia



























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