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2025年7月25日金曜日

赤松愛 (元 オックス)



7月25日は、1960年代後半に一世を風靡したグループサウンズ「オックス」のオルガン奏者だった、赤松愛(あかまつ あい)の命日です。2022年7月25日に死去していた。71歳没。

赤松 愛(あかまつ あい、1951年 <昭和26年> 2月14日 - 2022年 <令和4年> 7月25日)は、かつて失神GSとして一世を風靡した元「オックス」のメンバー、日本のオルガン奏者。 本名:赤松義信。

兵庫県芦屋市出身。父親は会社社長で3人兄弟の末っ子として生まれる。幼い頃からピアノを習い、中学2年の頃、ジャズをやりたいと主張したが、母親にあんなものは不良の音楽と反対される。しかし結局、ハタリーズの一員に加わり、当時大阪にあったダンスホール「富士」などで、セミプロ的に活躍するようになっていった。その後、誘われてオックスへ加入。赤栗毛のおかっぱ頭のルックスが愛くるしく、野口ヒデトと並んでアイドルとして高い人気を得るようになった。しかし1969年5月5日に失踪、脱退する。オノ・ヨーコと旧知の画家である今井俊満を後見人として「ジョン・レノンに弟子入り」のため6月23日に渡英した。ロンドンに滞在しながらアップルのオフィスでブラブラする生活を送っていたが、父親が急病のため、9月28日に帰国する。その後、1970年6月3日〜26日まで新国劇主催の舞台劇『あしたのジョー』に石橋正次らと共に青山役として出演。暫しのブランクを経た1976年3月、東京と神戸にて復活コンサートを開催するもその直後に引退し、家業を継ぎ大阪で鉄工所の経営に専念していた。

引退後、懐メロ番組での散発的な再結成(赤松のボーカル曲は真木ひでとが、オルガンは外部からのサポートメンバーが代理)や、GS関連のイベントなどには一切出演することはなかった。

2022年7月25日に死去していたことが、親族や知人からの情報で明らかになった。71歳没。また、同年5月にはリーダーでベース担当をしていた福井利男も75歳で死去しており、立て続けにメンバーが鬼籍に入る形となってしまった。

引用元:赤松愛 - Wikipedia

























2022年1月27日木曜日

夏夕介 (田浦幸)



1月27日は、俳優の夏夕介の命日です。2010年1月27日没。59歳。

夏 夕介(なつ ゆうすけ、1950年10月30日 - 2010年1月27日)は、日本の俳優。本名、田浦 久幸(たうら ひさゆき)。身長175cm、体重76kg。血液型はO型。妻は元女優の伊藤めぐみ。長女は元宝塚歌劇団宙組の娘役・愛花ちさき。

出生地は熊本県荒尾市。千葉市立松ヶ丘小学校、高石市立高石中学校を経て、大阪府立泉大津高等学校卒業。

大阪のバンド「グランプリーズ」でオルガンを担当していた。1969年春に高校卒業後は、グランプリーズのヴォーカルとして活動していた和田アキ子のプロデビューをきっかけに上京。和田の所属事務所であるホリプロよりルックスの良さを買われ、同年5月に脱退した赤松愛の後を引き継ぐ形で、当時人気絶頂だったグループ・サウンズ「オックス」に「田浦 幸(たうら ゆき)」の芸名で参加。

1970年「オックス」在籍中に芸名を「夏夕介」に改め、ソロ歌手として「涙が燃えて」でデビュー、同時に俳優業に進出し『野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ』で映画デビュー。1971年、5月末をもってオックスが解散。テレビドラマ『美人はいかが?』などに出演する傍ら、劇団NLTの研修生となる。

1972年、10月から12月にわたり放送されたステージショー形式の異色のヒーロー番組『突撃! ヒューマン!!』(日本テレビ系)で主役・岩城淳一郎役に抜擢(ばってき)される。

1974年、『ラブラブライバル』(TBS系)では、脇に回り、コミカルな演技をこなす一方、梶原一騎原作の人気コミックのドラマ化作品『純愛山河・愛と誠』(東京12チャンネル - 現・テレビ東京)では主役・太賀誠役として、本作がデビュー作となった池上季実子の相手役を務め、一躍人気俳優となる。

1976年、『愛のなぎさ』(監督:根本順善、東宝)で映画初主演を果たす。同年『宇宙鉄人キョーダイン』(毎日放送 - TBS系)では再びヒーロー役を演じた。

『赤い絆』(TBS)、『人はそれをスキャンダルという』(TBS)などのテレビドラマ出演を経て、1980年より『特捜最前線』(テレビ朝日)に、叶旬一刑事役で出演。1987年まで7年間レギュラー出演した。

その後、ラムゼイ・ハント症候群を発病。顔面神経麻痺などの症状から、しばらく表舞台から姿を消していたものの、これを克服し「劇団シアタージャパン」の俳優代表として活躍した。

2010年1月27日、胃がんのため東京都内の病院で死去。59歳没。

引用元:夏夕介 - Wikipedia




オックス「ロザリオは永遠に/真夏のフラメンコ」(右から2番目が夏)


1973年発売シングル「君がそばにいるから / 絵里加」



2020年11月27日金曜日

真木ひでと



11月27日は、歌手の真木ひでとの誕生日です。グループサウンズ「オックス」のリードボーカルとして一世を風靡した。

真木 ひでと(まき ひでと、1950年11月27日 - )は、日本の歌手。本名は野内 正行(のうち まさゆき)。GSバンド、「オックス」のヴォーカルを務めた後、演歌を中心とした歌手として活動。福岡県田川市出身

1968年5月に「オックス」のヴォーカルとしてデビュー。芸名は野口英世にあやかって野口ヒデトと名乗る。「ガール・フレンド」「ダンシングセブンティーン」「スワンの涙」「僕は燃えてる」といったTOP10、TOP20ヒットを出した。「ガールフレンド」「スワンの涙」と、もう2曲は筒美京平の作曲だった。デビュー当初は赤松愛の人気が先行したが、2枚目のシングル「ダンシング・セブンティーン」を発売する頃には、人気投票では圧倒的に愛を引き離し、人気の中心は野口ヒデトに移った。GSブーム中期〜後期には、沢田研二・萩原健一・野口ヒデトの3人の対談も、雑誌等で数多く見られるようになった。
1971年5月31日にオックス解散。同年「仮面」でソロデビュー。以降は「他になにがある」「夜空の笛」等のシングルを発表し、本人自作の「笑いを忘れたピエロ」が収録されているアルバム「ひでとからあなたに」をリリースする。
1975年、YTV「全日本歌謡選手権」に引退を覚悟して挑戦、10週を勝ち抜いた。恩師山口洋子の命名により「真木ひでと」に改名し、「夢よもういちど」で演歌歌手として再デビュー。
1979年、8枚目のシングル「雨の東京」をリリース。「雨の東京」はカラオケ・有線で流れ、ロングセラー賞を受賞。
平成に入り「子供の頃からエースで4番」の歌詞で始まる歌「元気の星」が「雨の東京」以来のヒット曲になり、今も読売ジャイアンツの2軍の試合で演奏されている。
2017年、ナンバ一番でプロ歌手としてスタートして50年目。2018年にはオックスでのデビューから50周年を迎えた。

引用元:真木ひでと - Wikipedia







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