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2025年3月26日水曜日

後藤久美子 (女優・モデル・タレント)



3月26日は、女優・モデル・タレントの後藤久美子(ごとう くみこ)の誕生日です。歌手活動も短期間だが経験している。所謂美少女ブームである「ゴクミブーム」を巻き起こした。レーサーのジャン・アレジとは2022年現在も婚姻手続きはとっておらず「事実婚」の夫婦であるということだ。

後藤 久美子(ごとう くみこ、1974年〈昭和49年〉3月26日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。愛称はゴクミ。東京都杉並区出身。スイス・ジュネーブ在住。オスカープロモーション所属。

小学校5年生のときからモデルを始め、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビューする。第24回ゴールデンアロー賞 放送・新人賞を受賞。翌1987年、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』にドラマの主役・伊達政宗の妻・愛姫の少女時代役で12歳の子役として出演し、現在もNHK大河ドラマ史上最高視聴率である『独眼竜政宗』の「政宗ブーム」も後押しし、美少女ブームである「ゴクミブーム」が起きた。この成功をきっかけに所属芸能事務所オスカープロモーションは同1987年から美少女オーディションコンテストである「全日本国民的美少女コンテスト」の開催を開始し、同コンテストから米倉涼子などの人気女性芸能人多数が誕生し、オスカープロモーションの代名詞となった同コンテストは2017年まで30年間続いた。「ゴクミ」の流行語は、同1987年12月の『新語・流行語大賞』の流行語部門で銅賞に選ばれた。

映画出演作に『男はつらいよ』(松竹)、『ラブストーリーを君に』(東映)、『ガラスの中の少女』(東映)、『シティーハンター』(アメリカ・香港合作)などがある。『男はつらいよ』シリーズには、6回に渡り同役で出演し、実現しなかった第49作『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』にも出演が予定されていた。

1995年にフランス人F1レーサーのジャン・アレジと交際を始める。当時アレジには既に妻子があったが離婚調停中であった。その後、前妻との離婚が成立し、1996年に後藤は渡仏しアレジと同居を始める。2022年現在も婚姻手続きはとっておらず、「事実婚」の夫婦である。アレジは前妻との間に1人、後藤との間に3人の実子がいる。

渡仏後は妻としてまた母としての生活を重視し、年に1〜2本のCM出演や女性ファッション誌の表紙モデルなどを中心に活動。子供の教育のためにフランスからスイス・ジュネーヴに豪邸を建築して移住し、現在も在住しているが、パリやニューヨーク、モナコなどにも邸宅を所有している。

2018年10月31日、23年ぶりに女優復帰を発表。2019年12月公開のシリーズ50作目になる『男はつらいよ お帰り 寅さん』でスクリーン復帰。当初はこの映画のみの特別な女優復帰とされていたが、2024年1月3日放送の『顔』にも出演を発表。テレビドラマ復帰を果たした。

引用元:後藤久美子 - Wikipedia





























2024年10月1日火曜日

浜田光夫



10月1日は、俳優の浜田光夫(はまだ みつお)の誕生日です。映画ファンにとっては吉永小百合との数々の共演で日活の黄金期を支えた看板俳優の一人。特撮ファンにとっては「アイアンキング」で霧島五郎/アイアンキング役を演じた事で有名。

浜田 光夫(はまだ みつお、1943年〈昭和18年〉10月1日 - )は、日本の俳優。日活の黄金期を支えた看板俳優の一人。本名は浜田 斌(はまだ あきら)。

東京都牛込区(現・新宿区)白銀町出身。玉川学園小学部、中学部、高等部卒業、日本大学芸術学部中退。アートプロモーション所属。

玉川学園高等部在学中の1960年、若杉監督の勧めで『ガラスの中の少女』のオーディションを受け、吉永小百合と初共演玉川学園卒業後、高橋英樹と共に日本大学藝術学部へ進学。同年、日活に入社し本格デビュー。1961年に『この若さある限り』より、若杉監督から「光夫」の名前をもらい芸名を浜田光夫と改める。

その後、数多くの日活映画に出演。吉永小百合のほか、和泉雅子、田代みどり、松原智恵子、松尾嘉代、太田雅子(現・梶芽衣子)など若手女優陣らとも共演する。

1966年7月25日、名古屋市女子大小路のサパークラブで仕事終わりに葉山良二らと飲んでいると、酔った客が絡み出し、突然、電気スタンドで葉山を襲撃した。そして葉山の隣にいた浜田の右目に電気スタンドのガラスの破片が直撃し、右目が全く見えなくなってしまう。

黒目を0.3mm間隔で32鍼縫い上げる眼球縫合手術が行われ、失明の恐怖に耐えながら8時間、奇跡的に失明は免れた。

目の完治を諦めず4度もの手術を決行。暴行事件から7年、ついに目は完治した。

日活映画の主題歌、挿入歌を中心に、テイチクレコードから数多くのレコードを発売。中でも1963年に発売した三条江梨子とのデュエット「草笛を吹こうよ」がヒットした。1967年には東芝レコードから映画復帰作主題歌「君は恋人」を発売している。

日本映画の衰退とともに日活を退社し石原プロに移籍。またテレビドラマにも進出。1970年、テレビドラマ『お荷物小荷物』(朝日放送製作、TBS系)で、小言屋だが肝心な時には頼りない5人兄弟の次男・滝沢義を演じ、コミカルな演技で新境地を開拓した。

同作の脚本だった佐々木守と意気投合し、この後、岡崎友紀主演の“18歳シリーズ”や特撮ヒーロー番組『アイアンキング』など、1970年代前半に佐々木が執筆または関係したテレビドラマの常連的存在となっている。その後は悪役からバラエティ番組、情報番組のコメンテーターもこなすバイプレーヤーとして多くの舞台、テレビ、講演など幅広く活躍している。代表的な作品として1980年の映画『天平の甍』、2004年の映画『1リットルの涙』など。

引用元:浜田光夫 - Wikipedia



























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