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2026年6月24日水曜日

名古屋章



6月24日は、俳優・声優・ナレーターである、名古屋章(なごや あきら)の命日です。1949年にNHK東京放送劇団養成所入所し声優からキャリアはスタートする。俳優としても映画ではクセのある敵役や悪役を演じ、テレビドラマでは刑事役や大映テレビ制作の作品に常連出演するなど名脇役ぶりで親しまれ、特撮では「帰ってきたウルトラマン」のナレーターや「ウルトラマンタロウ」の朝日奈勇太郎隊長役を演じた。2003年6月24日、肺炎のため死去。72歳没。

名古屋 章(、1930年〈昭和5年〉12月8日 - 2003年〈平成15年〉6月24日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名同じ。

東京府東京市麹町区九段出身。身長170cm、体重78kg。旧制九段中学校卒業。

NHK東京放送劇団、文学座、劇団雲を経て、1975年(昭和50年)以降はフリー。1950年代から半世紀にわたり、数多くの舞台、映画、ドラマ、ラジオに出演、ナレーターとしても活躍した。

1949年(昭和24年)に旧制中学を卒業すると、東京放送劇団(NHK)養成所に3期生として入所。同期には後に声優として活躍する勝田久、高橋和枝らがいた。

1952年(昭和27年)にはラジオドラマ『ぼたもち』に主演し、同年の芸術祭賞を獲得。このほか、ラジオドラマには『一丁目一番地』などに出演した。

1959年(昭和34年)に文学座へ入団。1963年(昭和38年)に劇団雲の創立に参加、1975年(昭和50年)の劇団雲の解散以後はフリーで活動し、地人会、こまつ座などの舞台にも出演した演劇人でもあった。1971年(昭和46年)には『釘』で第6回紀伊国屋演劇賞個人賞を、1983年(昭和58年)に『雨』で芸術祭演劇部門大賞を受賞している。

ラジオドラマ時代は美声を生かして二枚目を担当し、数多の女性ファンを獲得した。映画ではクセのある敵役や悪役を演じ、テレビドラマでは刑事役や大映テレビ制作の作品に常連出演するなど、名脇役ぶりで親しまれた。特撮では『帰ってきたウルトラマン』のナレーターや、『ウルトラマンタロウ』の朝日奈勇太郎隊長役が代表作である。

1991年(平成3年)から2003年(平成15年)まで、藤村有弘(1982年死去)から引継ぐ形で『ひょっこりひょうたん島』の2代目ドン・ガバチョ役を務めた。

2003年(平成15年)6月24日午前8時35分、肺炎のため死去。72歳没。

引用元:名古屋章 - Wikipedia





















2026年5月30日土曜日

三ツ木清隆



5月30日は、俳優・歌手・タレントの三ツ木清隆(みつぎ きよたか)の誕生日です。1967年に「光速エスパー」の主役・東ヒカル役でデビュー。1973年には「白獅子仮面」で主演を務めた。以後テレビ、映画、舞台で活躍。旅番組のリポーターとしても活動している。歌手としても活動をしている。

三ツ木 清隆(みつぎ きよたか、1953年5月30日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント。本名同じ。千葉県市川市出身。和光学園高等学校卒業。たむらプロを経て、ケイ・エム・ティー所属。身長176cm。血液型O型。

1967年に『光速エスパー』の主役・東ヒカル役に1,200人の中から選ばれデビュー。撮影スタジオは自宅の近所であったため、自転車で通っていた。

1973年には、テレビドラマ『白獅子仮面』と映画『さえてるやつら』で主演を務めた。

『ウルトラマンタロウ』では主人公役の候補の一人だったが、ZATの西田次郎隊員としてレギュラー出演。だが同時に出演していた『白獅子仮面』とスケジュールがあわなくなり、『タロウ』は降板する。

以後もテレビ、映画、舞台で活躍、旅番組のリポーターとしても活動している。

1989年、本郷功次郎に勧められ、茨城県つくば市に居住。

2010年11月、作曲家の遠藤実、遺作シングルとして「季節の中で」(作詞・作曲:遠藤実)を発売、歌手としての活動も積極的に行っている。

2019年7月に、小倉一郎・江藤潤・仲雅美と、4人組音楽ユニットのフォネオリゾーンを結成してデビュー。

引用元:三ツ木清隆 - Wikipedia



























2024年11月14日木曜日

東野英心 (東野孝彦)



11月14日は、俳優・声優の東野英心(とうの えいしん)の命日です。俳優の東野英治郎の長男。「ウルトラマンタロウ」の荒垣修平副隊長役や「あばれはっちゃく」シリーズの主人公の少年・桜間長太郎の父親役、「中学生日記」の東教諭役などでお馴染みの役者。2000年11月14日に高血圧性脳出血が原因で急死した。58歳没。

東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 2000年11月14日)は、日本の俳優・声優。

東京市淀橋区大久保(現、東京都新宿区大久保)出身。成蹊高等学校卒業。

東野英治郎の長男。妻は服部マリ。長男は東野克(とうの かつ)。身長170cm、体重83kg。

旧芸名は東野孝彦。

高校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所(妻は養成所の1期後輩にあたる)。

1962年、『青べか物語』で映画初出演を果たす。

1965年から1976年までは東野孝彦の芸名で活動し、その後本名に戻す。

デビュー後、『ウルトラマンタロウ』で明るいキャラクターを活かして荒垣修平副隊長役を好演。

『花神』では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。

映画では実相寺昭雄作品に4回招かれており、特に『哥』では篠田三郎扮する弟をいじめ抜く陰険な次兄(長兄は岸田森が演じた)役で強い印象を残した。

1970年代末からは『あばれはっちゃく』シリーズに出演。主人公の少年・桜間長太郎の厳格な父親役を演じ、長太郎が何か問題を起こした際には制裁を加えて「この馬鹿野郎!!てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」と叱り飛ばす定番セリフが人気を得て、ドラマ内での名場面になっていた。

1980年代(1982年〜1989年)はNHKの『中学生日記』で、生徒に理解のある東教諭役を8年間に渡り演じている。

2000年11月13日の夜、都内のレストランでの会食中に突然倒れて荏原病院へ搬送される。高血圧が原因の高血圧性脳出血であった。病院に搬送された時は意識があったものの容態が悪化し、手当ての甲斐無く翌日14日午後4時22分に急逝。58歳没。

引用元:東野英心 - Wikipedia

















2024年1月1日月曜日

星光子 (堤光子)



1月1日は、女優の星光子(ほし みつこ)の誕生日です。1972年の「ウルトラマンA」で南夕子役で出演して一躍有名になる。

星 光子(ほし みつこ、旧芸名:堤 光子(本名)、神原桐子、1949年1月1日 - )は、東京都出身の女優。現在は舞台を中心に活躍。pboxx所属。

高校卒業後、劇団四季に入団。1972年に大和田伸也が率いる演劇グループ、プラス1に参加。

オーディションを経て、1972年、『ウルトラマンA』に南夕子役で主演する。

その後、『緊急指令10-4・10-10』、『アイアンキング』などの特撮番組に出演した後、「神原桐子」あるいは「堤光子」として、テレビなどに出演するが、結婚を機に女優業を引退。

2000年ごろ、ジャズダンサーの宮崎渥己、演出家の三田地理穂の影響を受け、ジャズダンスを始める。現在、舞台にて活躍。

特技はジャズダンス、日本舞踊。日本舞踊は藤間文彦の紹介により、藤間勘十郎(7世)に長く師事していた。藤間勘鷺を襲名。

娘の紫子には光子さんと呼ばせるようにしている。

星光子という芸名は円谷プロからの求めにより名付けられたとのことである。円谷プロ側の意向による『ウルトラマンA』の話題作りと役作りのため、山野愛子デザインのオカッパを伸ばしたような髪型(通称「夕子カット」)に変えた。

2014年において、降板は主役2人体制の制作の難しさからのもので、星には全くの非がなかったことが円谷プロからの返答でわかり、共演の西恵子と再会した。

引用元:星光子 - Wikipedia










ウルトラマンA - Wikipedia


ウルトラマンタロウ 第39話「ウルトラ父子餅つき大作戦!」 南夕子


電人ザボーガー 第39〜52話 1974年 - 1975年 王女メザ



2023年4月12日水曜日

ペギー葉山



4月12日は、歌手・タレントのペギー葉山の命日です。2017年4月12日没。83歳。

ペギー葉山( - はやま、本名:森 シゲ子(もり - こ)、旧姓:小鷹狩 シゲ子(こたかり - こ)、1933年11月9日 - 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。社団法人日本歌手協会7代目会長(後に名誉会長)。

東京都新宿区出身。青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)卒業。1952年にキングレコードよりレコードデビュー。

友人の紹介から進駐軍のキャンプで歌い始め、その歌声とセンスを見込んだティーブ・釜萢の口利きで、当時の一流ビッグバンドである渡辺弘とスター・ダスターズの三代目専属歌手として活躍する。

学校卒業後の翌1952年11月にキングレコードから「ドミノ/火の接吻」を発売し、レコードデビュー。1954年には「第5回NHK紅白歌合戦」に紅白歌合戦初出場を果たす。渡辺弘とスター・ダスターズの専属解除後の1955年2月には初渡米。各地で歌い、盛況を博す。

1958年、ミュージカル『あなたの為に歌うジョニー』で芸術祭個人奨励賞受賞。翌1959年には「南国土佐を後にして」の空前の大ヒットで、ジャズ/ポピュラー界だけではなく歌謡界においても、その地位を不動のものにする。

1960年、オーストラリア/ゼネラルテレビの招きで、テレビ番組『今宵のメルボルン』に1か月間レギュラー出演する。

同年の8月にはロサンゼルスの日米修好百年祭に日本人代表として招かれる。この際にミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞。帰国後、自身の作詞で同ミュージカルの劇中歌「ドレミの歌」をペギー自身の訳詞で紹介した。ペギーの訳詞・歌唱による「ドレミの歌」はNHK「みんなのうた」でも使用され、音楽の教科書にも掲載されるなど、国民に広く知られている。

しかし、生来病弱であったことに加え、その人気による過密スケジュールから、1963年の春に気胸を患い半年間の療養を余儀なくされたが、病気療養中に「ラ・ノビア」「爪」もヒットしたことも幸いし、ブランクをものともせず無事復帰した。また、復帰翌年の1964年には「学生時代」がロングセラーとなり、人気の健在ぶりを示した。

タレントとしての活動も多くこなし、知られているものではNHK紅白歌合戦の紅組司会(1966年の「第17回NHK紅白歌合戦」)や「歌はともだち」(NHK)の司会に、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)のしつけコーナー、「ウルトラマンタロウ」のウルトラの母の人間体である緑のおばさんとしても知られる。

歌手としての活動のほか、日本歌手協会役員としての業務、亡夫の介護体験をもとにした講演など多方面で活動。デビューから60年を迎えてもなお、第一線で活躍し続けた。

2017年4月12日、肺炎により東京都内の病院で死去。83歳没。

引用元:ペギー葉山 - Wikipedia











2022年12月5日月曜日

篠田三郎



12月5日は、俳優の篠田三郎の誕生日です。1971年に特撮ドラマ「シルバー仮面」に出演、そして1973年に「ウルトラマンタロウ」で主役・東光太郎役で出演した。

篠田 三郎(しのだ さぶろう、1948年12月5日 - )は、日本の俳優。本名は、大塚 晴生(おおつか はるお)。

東京都港区麻布出身。日本大学第二高等学校中退。劇団民藝青山事務所所属。

養成所期間を経て大映東京撮影所に入社し、1966年に映画『雁』でデビュー。その後は大部屋に配属され、主に通行人などで出演を続けることになる。この時期には、ガメラシリーズ『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(1968年)にも端役で顔を出している。

1970年、帯盛迪彦監督の『高校生番長』で初主演を果たして以降、全4作までつくられたシリーズに男優のエースとして出演。1971年、関根恵子(現・高橋惠子)と共演した『高校生心中・純愛』のヒットによって『樹氷哀歌』『成熟』と関根とのコンビ作が続くが、この年末に大映は倒産してしまう。

活躍の場をテレビに移し、TBSのプロデューサー・橋本洋二からの誘いによる『ガッツジュン』で初レギュラーを得て、彼がプロデューサーを務めた『シルバー仮面』にも春日兄妹の三男・光三役でレギュラー出演した。1973年のウルトラシリーズ『ウルトラマンタロウ』 (TBS) では、主人公・東光太郎役を演じる。同年の『天下堂々』 (NHK) でも主演し、幅広いお茶の間の支持を得た。1974年の『若い!先生』では教師・海堂健太役を演じ、テレビスターとしての地位を確立する。

活動の中心をテレビに置きながら映画や舞台にも出演し、さわやかな個性で人気を得ている。

2020年1月より劇団民藝青山事務所に移籍。

他の昭和ウルトラシリーズの主演俳優と異なり、後のシリーズに客演していない。その理由については、『スポーツ報知』の「円谷プロ創立50周年記念特別号(2013年7月10日発売)内の『タロウ』40周年記念インタビューで「東光太郎は自分の中での青春の良き思い出としてとっておきたい」と話している。

ただし、『タロウ』を嫌っておらず、特撮誌などのインタビューでも撮影当時のエピソードを披露することは多い。「1年間も主役を演じられるから張り切っていたのを思い出す」「『タロウ』は自分にとって財産」「撮影することも撮影所に通うことも楽しかった」「演じるに当たって特別に意識したり心がけたことはなく、役の一環として捉えていた」などと語っている。

引用元:篠田三郎 - Wikipedia









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