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2026年3月1日日曜日

マイケル・ジャイルズ (元 キング・クリムゾン)



3月1日は、イングランド出身のドラマーである、マイケル・ジャイルズ(Michael Giles)の誕生日です。1969年に「ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ」から改名した「キング・クリムゾン」の初期メンバーとして最も有名である。ファーストアルバムにして頂点の「クリムゾン・キングの宮殿」でのドラミングは至高である。セカンドアルバム「ポセイドンのめざめ」に参加後はイアン・マクドナルドとともに「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」を結成。その後は主にセッションドラマーとしての参加が多い。近年では「21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド」などに参加していた。

マイケル・ジャイルズ(Michael Rex Giles、1942年3月1日 - )は、イングランド出身のドラマー。ロック・バンドのキング・クリムゾンの創設メンバーの一人。

「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において49位。

1961年11月、ダウランド兄弟をフィーチャーしたザ・ダウランド・ブラザーズのバック・バンドに、ベーシストである弟のピーター・ジャイルズと共に参加して、初のレコーディングを経験した。1964年にはプロ活動に専念する為、兄弟揃ってビート・バンドのトレンドセッターズ・リミテッドに加入して、シングルの制作やヒット歌手のイギリス公演のバック演奏など数多くの経験を積んだ。

イギリスのミュージック・シーンの主流がビート・バンドからアート・ロックに切り替わった1967年春に、ジャイルズ兄弟はトレンドセッターズ・リミテッド改めザ・ブレインを脱退。二人は新聞に歌えるオルガニストの募集広告を載せたが、結局ドーセット出身の歌えないギタリストのロバート・フリップを迎え、同年8月にジャイルズ・ジャイルズ&フリップ(以下GG&F)を結成した。

彼等はイアン・マクドナルド(サクソフォーン、フルート、キーボード)、脱退した弟ピーターの後任としてグレッグ・レイク(ベース・ギター、ボーカル)を迎えて、1969年1月22日にキング・クリムゾンになった。さらにマクドナルドの曲の作詞を担当していたピート・シンフィールドがメンバーに加わり、1969年10月にデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』が発表された。

キング・クリムゾンは『クリムゾン・キングの宮殿』の発表の直後にアメリカ・ツアーを開始したが、ジャイルズとマクドナルドはリーダーのフリップとの溝を深めていった。その上、ツアーの過酷な日程がもたらした心身の疲労に加えてプライベートの事情が重なった結果、二人は同年12月に脱退を表明。オリジナル・メンバーのキング・クリムゾンはわずかアルバム1作を発表しただけで終焉を迎えた。

1970年、ジャイルズはフリップの依頼でキング・クリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』に客演した後、マクドナルドとの共作アルバム『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』を制作して翌1971年1月に発表した。

マクドナルド・アンド・ジャイルズの後、ジャイルズはセッション・ミュージシャンとして活動していった。

1999年にはマクドナルドの初のソロ・アルバム『ドライヴァーズ・アイズ』の制作に参加。

2002年には、マクドナルドと共同で『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』のリマスター作業を行なった。そしてマクドナルド、弟ピーター、マクドナルドの後任として1970年から1972年までキング・クリムゾンに在籍したメル・コリンズ、レベル42やロング・ハローで活動した娘婿のジャッコ・ジャクジクと「21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド」を結成して、かつてのキング・クリムゾン・サウンドを回顧するかのごとき演奏活動を行った。

2019年の時点で、出版を目標に心理学の本の原稿を執筆していた。

引用元:マイケル・ジャイルズ - Wikipedia

























2025年2月9日日曜日

イアン・マクドナルド (キング・クリムゾン、フォリナー)



2月9日は、イングランド出身のロックミュージシャン(木管楽器・キーボード・ギター他)、プロデューサーのイアン・マクドナルド(Ian McDonald)の命日です。プログレッシブロックバンド「キング・クリムゾン」やアメリカのロックバンド「フォリナー」などを結成したことで知られる。2022年2月9日、癌により死去。75歳没。

イアン・マクドナルド(Ian McDonald、1946年6月25日 - 2022年2月9日)は、イングランド出身のロックミュージシャン、マルチプレイヤー、音楽プロデューサー。

「キング・クリムゾン」「フォリナー」などの創設メンバーとして活動した。

1969年1月、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップは幾つかのメンバー・チェンジを経て、マクドナルド(木管楽器、メロトロン、ボーカル)、ロバート・フリップ(ギター)、マイケル・ジャイルズ(ドラムス、ボーカル)、グレッグ・レイク(ベース、ボーカル)の顔ぶれになっていた。同月13日、彼等はフラム・パレス・ロード・カフェ(Fulham Palace Road Café)の地下室に楽器と機材を運び入れてリハーサルを始めた。この日からシンフィールドがローディーとして照明と音響を担当することになった。同月22日、バンドの名前がキング・クリムゾンになり、月末にはデヴィッド・エントホーヴェン(David Enthoven)とジョン・ゲイドン(John Gaydon) がマネージャーに着任した。演奏活動が始まり、シンフィールドは作詞と照明を担当する「演奏しないメンバー」として正式に加入した。

同年7月5日、キング・クリムゾンはローリング・ストーンズのハイドパーク・フリーコンサートに出演して話題を集め、10月にプログレッシブ・ロック史に残るデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表した。マクドナルドはシンフィールドとの共作「クリムゾン・キングの宮殿」「風に語りて」を提供し、オリジナル曲の作曲でも核となる役割を果たした。また「21世紀のスキッツォイド・マン」で畳みかけるサクソフォーン、「風に語りて」で優しく奏でられるフルート、「エピタフ」で荘厳に響くメロトロンといった具合に、マルチプレイヤーとしての資質を全開させた。

しかしアルバム発表後のアメリカ・ツアーに疲弊し、ツアー終了後の1969年末にジャイルズともども脱退した。

1970年5月から7月にかけて、ジャイルズと彼の弟で元GG&Fのピーター・ジャイルズ(ベース)と共にレコーディングを行ない、シンフィールドと共作した20分を超える組曲「バードマン」を含むアルバム『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』を1971年1月に発表した。

その後数年にわたってセッション・プレイヤーや音楽プロデューサーとして活動。治療から帰国直後、最初にT・レックスの大ヒット作『電気の武者』(1971年)に参加してサクソフォーンを吹いたことは有名。キング・クリムゾンの『レッド』(1974年)でもメンバーのジョン・ウェットンの招きでサクソフォーンを吹いた。プロデューサーとしてダリル・ウェイズ・ウルフ『カニス・ループス』(1973年)、フループ『当世仮面舞踏会』(1975年)、ファイアーバレー(Fireballet)『はげ山の一夜 (Night On Bald Mountain)』(1975年)などを手がけた。

1977年、英米混成バンドのフォリナーを結成してデビュー。商業的成功にも恵まれるが、アルバム3枚で脱退。

1996年末、スティーヴ・ハケットの日本公演に参加。「クリムゾン・キングの宮殿」や「風に語りて」も披露した。

1999年、初のソロ・アルバム『ドライヴァーズ・アイズ』を発表。ハケット、ウェットン、ゲイリー・ブルッカー、ピーター・フランプトンなどの豪華ゲストを迎え、ポップでありつつもプログレッシブ・ロック色も感じさせる作品を完成させた。

その後、ジャイルズ兄弟やキング・クリムゾンの1971年までの歴代メンバーたちと21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成し、ライブ活動を行っていたが、ジャイルズの後任ドラマーだったイアン・ウォーレスの病死により、2007年に活動停止。

2013年からはHoney Westというバンドに参加し、ニューヨークに在住してライブ活動を行った。

2022年2月9日、癌により75歳で死去。

引用元:イアン・マクドナルド (ミュージシャン) - Wikipedia










キング・クリムゾン - Wikipedia




マクドナルド・アンド・ジャイルズ - Wikipedia


フォリナー - Wikipedia



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