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2025年3月24日月曜日

梶芽衣子 (太田雅子)



3月24日は、女優・歌手の梶芽衣子(かじ めいこ)の誕生日です。当初は本名の太田雅子でデビュー、1969年の「日本残侠伝」に出演した際に芸名を「梶芽衣子」に変更、以降独特の雰囲気を持った女優や歌手として活動を続ける。

梶 芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日 - )は、日本の女優・歌手。本名および旧芸名、太田 雅子(おおた まさこ)。

東京都千代田区神田出身。

高橋圭三の事務所「圭三プロダクション」に所属し、高橋司会の『おのろけ夫婦合戦』(日本テレビ)でアシスタントを務めたことが切っ掛けで1965年、高校卒業と同時に日活に入社。同年に映画『悲しき別れの歌』で本名の太田雅子でデビューし、石原裕次郎・小林旭・松原智恵子・吉永小百合らが主演する映画で助演していた。同期で活躍したのは渡哲也。

子役からのアイドルスターであった太田博之とコンビを組み、W太田として青春スターとして売り出され、1965年の映画『青春前期 青い果実』で主演を果たす。

最初は吉永小百合の後継者ともいわれたが、デビュー1年後からは脇役にまわされた。日活が東映のヤクザ映画のマネをして製作した1969年の『日本残侠伝』に出演した際、監督・マキノ雅弘に勧められ、芸名を梶 芽衣子と改名した。改名は成功し、以降不遇時代から抜け出す。

1970年の日活映画『野良猫ロックシリーズ』4作に主演し人気を得る。『大江戸捜査網』=芸者小波 役(東京12チャンネル)などのテレビドラマに日活女優として出演をする。

『銀蝶シリーズ』の後、『女囚さそりシリーズ』で人気を決定付けた。

イメージ打破のためノーギャラで出演した『大地の子守歌』では、ほのかな優しさを主人公に向ける農婦の役を演じた。1978年には宇崎竜童と組んで2人の主演映画をやりたいという自身のプランのもと製作された『曽根崎心中』では、強い女の情念を演じて新境地を開拓し、国内の主要映画賞を複数受賞した。

テレビドラマでは大映ドラマに多く出演したほか、『鬼平犯科帳シリーズ』での密偵・おまさ役で長年出演した。

歌手としても前述の楽曲を歌い、これらは2000年代以降にCDで次々と復刻発売されている。2009年6月24日には25年ぶりの新曲『女をやめたい』をリリースし、2011年5月25日には31年ぶりのオリジナル・アルバム『あいつの好きそなブルース』をリリースした。

2017年に6年ぶりとなるシングル「凛」をリリース。2018年3月に43年ぶりとなるオリジナル・フルアルバムを発表する。

2023年に、1972年から1974年に出した5枚のアルバムがフランスのレーベル「Wewantsounds」により復刻され、第1弾の『はじき詩集』は現地のヒットチャートで100位台となった。また、同年12月14日にNetflixで公開された『幽☆遊☆白書』では、70代で殺陣に取り組んだ。

引用元:梶芽衣子 - Wikipedia

































2024年2月17日土曜日

藤田まこと



2月17日は、俳優・歌手・コメディアンの藤田まこと(ふじた まこと)の命日です。2010年2月17日没。76歳。

藤田 まこと(ふじた まこと、1933年〈昭和8年〉4月13日 - 2010年〈平成22年〉2月17日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン。 東京府東京市(現:東京都)豊島区池袋生まれ、京都府京都市育ち。京都市立堀川高等学校中退。血液型はAB型。身長173cm。

父は俳優の藤間林太郎。次女は『必殺仕事人V』『必殺橋掛人』の主題歌「さよならさざんか」を歌った藤田絵美子(現:EMIKO)。孫(長女・敬子の娘)は歌手の花リーナ。大正三美人の一人林きむ子は父の異父姉で伯母にあたる。曾我廼家喜劇の女形だった曾我廼家弁天は父の異父兄で伯父にあたる。いとこに、兵庫県副知事から姫路市長に転じた戸谷松司がいる。

オフィス斉藤所属。過去には渡辺プロダクション、ごく一時期には吉本興業、その後は新演技座(個人事務所)に所属していた。2002年に紫綬褒章を受章。

1940年代後半、林太郎が所属していた一座に雑用係として参加するようになり、ほかの一座の巡業にも参加するようになった。17歳のときに歌謡ショーの一座の公演で「旅笠道中」を歌ったのが藤田の初舞台で、やがて舞台俳優としても活動するようになった。「藤田まこと」の芸名を名乗るようになったのはこの時期である。

1962年、時代劇コメディー『てなもんや三度笠』に出演。それまで脇役しか演じたことのなかった藤田が初めて主役(あんかけの時次郎)に抜擢された。出演依頼が来た時点で藤田は脇役として、テレビで6本、ラジオで5本の番組にレギュラー出演していたがディレクターの澤田隆治に「主役の役者が他の番組で脇役を演じては恰好が付かない」という理由から、それらの番組を全て降板するように要求された。

1973年、広島のキャバレー出演中に朝日放送(ABC)[† 9]プロデューサーの山内久司から電話連絡で時代劇『必殺仕置人』の中村主水役の出演オファーを受ける。

藤田主演の『必殺シリーズ』は中断を挟みながら、1992年3月まで続いた。

1988年、『はぐれ刑事純情派』シリーズの放映が開始。派手な演出がない作品だったことから藤田は当初ヒットしないという予感を抱いていたが、「なんや知らんうちに長続き」して、18年間に渡って放映した。

1998年から放映された『剣客商売』シリーズは藤田の晩年を代表する作品の一つとなった。

2010年2月16日、箕面市の自宅で夕食後の家族団欒中に突然吐血。大阪大学医学部附属病院に搬送されたが翌17日7時25分、大動脈瘤破裂のため死去、76歳没。

引用元:藤田まこと - Wikipedia















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