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2026年8月5日水曜日

ジェフ・ポーカロ (元 TOTO・ドラマー)



8月5日は、アメリカのミュージシャン・ドラマー。ロックバンド「TOTO」のリーダーでドラマーのジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)の命日です。「TOTO」での活躍はもとよりセッション・ミュージシャンとしても数多くのレコーディングに参加した。「TOTO」のメンバーのマイク・ポーカロとスティーヴ・ポーカロは実弟。1992年8月5日、自宅の庭で殺虫剤を散布後にアレルギーで心臓発作を起こし急死してしまう。38歳没。

ジェフリー・トーマス・ポーカロ(Jeffrey Thomas Porcaro、1954年4月1日 - 1992年8月5日)は、アメリカのミュージシャン。ロックバンド、TOTOのリーダーであり元ドラマー。セッション・ミュージシャンとしても数多くのレコーディングに参加した。同じくTOTOのメンバーのマイク・ポーカロとスティーヴ・ポーカロは実弟。

「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において37位。

7歳から父の教えでドラムを習い、10代の頃からセッション・ミュージシャンとして活動を始める。17歳の時にソニー&シェールのバックで、初めてプロのドラマーとしての仕事を得た。活動初期にスティーリー・ダンのツアーとレコーディングに参加したのをきっかけに、数多くのミュージシャンとのセッションを行うようになった。

1978年、共に売れっ子セッション・ミュージシャンとして活躍していたルカサー、デビッド・ペイチ、弟のスティーブらとTOTOを結成。「ホールド・ザ・ライン」などで商業的な成功を獲得した。「ジョージー・ポーギー」「99」では、ブルーアイド・ソウル的なサウンドを聴くことができる。

TOTOの代表曲「ロザーナ」における「ハーフタイム・シャッフル」と呼ばれるリズムパターンは、ポーカロの代名詞となった。また、様々なドラマーを研究して、自らのプレイに取り込む研究熱心さも持ち合わせていた。前述の「ロザーナ」のリズムパターンは「スティーリー・ダンのアルバムでプレイしたバーナード・パーディの「安らぎの家」「バビロン・シスターズ」、レッド・ツェッペリンの「フール・イン・ザ・レイン」でジョン・ボーナムが叩いていたリズムパターンをミックスし、バスドラムのパターンにボ・ディドリーのリズム(いわゆる「ボ・ディドリー・ビート」)を取り入れた」と、ジェフ自身が教則ビデオの中で解説している。1983年よりパール社とエンドース契約していた。同社のラック・システム(ドラムラック)は、彼の発案により開発されたものである。

1992年8月5日、自宅の庭で殺虫剤を散布後にアレルギーで心臓発作を起こし急死。38歳没。コカイン中毒が原因の動脈硬化症という説が流れたこともあったが、スティーヴ・ルカサー等TOTOのメンバーは「彼はドラッグを使用したことは無い」と、コカインの使用について否定している。

引用元:ジェフ・ポーカロ - Wikipedia


















TOTO (バンド) - Wikipedia 1977年–1982年



2024年8月5日月曜日

デヴィッド・ハンゲイト (元 TOTO)



8月5日は、アメリカのベーシスト・音楽プロデューサー・アレンジャーのデヴィッド・ハンゲイト(David Hungate)の誕生日です。ロックバンド「TOTO」にはアルバムでは最初の4枚目まで参加、後にセッションミュージシャンを経て2014年に「TOTO」に復帰、2015年の「TOTO XIV」まで在籍した。

デヴィッド・ハンゲイト(David Hungate, 1948年8月5日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州出身のベーシスト、音楽プロデューサー、アレンジャー。ベースのほか、ギター、トランペット、ドラム、ピアノなどの多くの楽器を演奏する。

ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』やアリス・クーパーの『閉ざされた世界』など、1970年代のヒット・アルバムの多くでセッション・ミュージシャンとして活動。当時これらのセッションにともに参加していたメンバーを中心に結成されたバンド・TOTOにベーシストとして参加し、複数のグラミー賞を受賞したアルバム『聖なる剣』を含む、TOTOの最初の4枚のアルバムで演奏した。

カントリー・ミュージックのセッション・ミュージシャンとしてのキャリアのため『聖なる剣』リリース直後にTOTOを脱退し、チェット・アトキンスなどカントリーアーティストのレコーディング、アレンジ、プロデュースを担当した。また、ジョー・ヴァナとファーギー・フレデリクセンが率いるAORスーパーグループであるメッカの主要メンバーとなった。

1990年にソロ・アルバム『SOUVENIR - 愛の贈り物』をリリースした。このアルバムではTOTOのジェフ・ポーカロがアルバムの数曲でドラムスを演奏している。1995年、シャナイア・トゥエインのセカンド・アルバム『ウーマン・イン・ミー』では全曲でベースを担当した。

TOTOはその後、ハンゲイトに代わって加入したベースのマイク・ポーカロが病気のため引退を余儀なくされ、ツアーではリーランド・スカラーやネイザン・イーストが代役を務めていたが、イーストが脱退したことにより、2014年にTOTOに復帰した。当初は、2014年のツアー後に引退すると発表されていたが、最終的に2015年までTOTOのツアーに参加し続けた。また、アルバム『TOTO XIV〜聖剣の絆〜』でも4曲でレコーディングに参加した。

引用元:デヴィッド・ハンゲイト - Wikipedia










TOTO (バンド) - Wikipedia 1977年–1982年



2024年6月8日土曜日

ボズ・スキャッグス



6月8日は、アメリカの歌手である、ボズ・スキャッグスの誕生日です。1965年にデビュー作「ボズ」を発表、1968年にスティーヴ・ミラー・バンドの1stと2ndにギタリストとして参加、後にソロとなる。70年代から80年代にかけてヒットを放った。

ウィリアム・ロイス・「ボズ」・スキャッグス(William Royce "Boz" Scaggs、1944年6月8日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。1970年代後半から1980年代にかけてヒットを放った。

1960年代前半、白人によるリズム&ブルースが盛んだったイギリスのロンドンへ渡る。いくつかのバンドでプレイした後、ソロとしてヨーロッパを遠征中スウェーデンのポリドール・レコードの目にとまり、1965年にデビュー作『ボズ』を発表した。

帰国後、サンフランシスコを拠点に活動し、スティーヴ・ミラー・バンドのファースト・アルバム『未来の子供達』(1968)とセカンド・アルバム『セイラー』にギタリストとして参加。いずれの作品でも、一部の曲ではリード・ボーカルも兼任した。セカンド・アルバムはアルバム・チャートで24位まで上昇するヒット作となった。これで評価を得たボズは、1969年にアトランティック・レコードからルーツ・ミュージック志向のアルバム『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』を発表したが、しばらくはセールスに恵まれなかった。

ルーツ・ミュージック色が濃い音楽を発表し続けていたボズだったが、1976年、ソウル、クロスオーバー志向で洗練されたサウンドの『シルク・ディグリーズ』を発表した。これが全米2位を記録し、500万枚以上を売り上げた。アルバムからも「ロウ・ダウン」(全米第3位)、AOR曲「ウィ・アー・オール・アローン」のヒットが生まれた(このアルバムに参加したセッション・ミュージシャンたちは、後にTOTOを結成)。次作の『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』からはブルーアイド・ソウルの曲「ハード・タイムズ」「ハリウッド」がヒット。「ハード・タイムズ」は日本での最初のヒットとなった。80年の『ミドル・マン』収録曲では「ジョジョ」「シモン」が話題になった。同年、再びブルーアイド・ソウルの「ミス・サン」がアメリカ、日本ともにヒットしている。

その後、しばらくリリースが途絶えていたが、1988年発表のアルバム『アザー・ロード』の収録曲「Heart of Mine」が、そのミュージック・ビデオの効果もあり、翌1989年に大ヒット、カムバックを果たした。『アザー・ロード』は日本ではオリコン洋楽チャートで1988年5月30日付から通算3週1位を獲得した。

2003年の『バット・ビューティフル』以降はジャズ・スタンダードに傾倒を始め、ジャズ・セットでのツアーも行っている。

2013年、スティーヴ・ジョーダンをプロデューサーに迎え、メンフィスのロイヤル・スタジオで録音したアルバム『メンフィス』を429レコードよりリリース。3月23日付Billboard 200チャートで初登場17位を記録した。

引用元:ボズ・スキャッグス - Wikipedia















2022年10月21日金曜日

スティーヴ・ルカサー (TOTO)



10月21日は、アメリカ出身のミュージシャン・ギタリスト・シンガーソングライターのスティーヴ・ルカサーの誕生日です。ロックバンド「TOTO」のメンバーとして知られ、スタジオミュージシャンとして様々なアーティストの作品に参加している。

スティーヴ・ルカサー(Steve Lukather、本名:Steven Lee Lukather、1957年10月21日 - )は、アメリカ合衆国出身のミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライター。

主にソロや、同国のロックバンド「TOTO」のメンバーとして活動。スタジオ・ミュージシャンとしても数々の有名アーティスト作品に客演しており、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーでもある。

TOTO結成以前から、スタジオ・ミュージシャンとして活動し、ボズ・スキャッグスやオリビア・ニュートン=ジョンらのアルバムにも参加した。さまざまなシングル、アルバムで彼のプレイを聴くことができる。「どのジャンルの音楽も、スタジオに来れば秀逸なギター・プレイで演奏する」といわれ、音楽プロデューサーやアーティストから、絶大な信頼を得ている。

7歳の頃、父親からアコースティックギターをプレゼントされ、ギターを弾きはじめる。1970年代から、スタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。ロサンゼルスを中心に様々なアーティストの楽曲に参加する。

共にスタジオ・ミュージシャンとして活動していた、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチらと、1977年にTOTOを結成。翌年に、ファースト・アルバム『宇宙の騎士』を発表する。

1989年、エドワード・ヴァン・ヘイレンやスティーヴ・スティーヴンスなどがゲスト参加した、初のソロ・アルバム『LUKATHER』発表。

2008年にTOTOが活動停止するも、2010年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患ったマイク・ポーカロの救済を目的として再び始動。

2012年、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加し、以降もツアーメンバーとして籍を置く。

ロックを始めとしてジャズやフュージョン、AORなど、あらゆるジャンルの音楽を弾きこなすミュージシャンであり、TOTOでも、その演奏能力をいかんなく発揮している。ギター・プレイでは難解なソロからジャジーな指弾きまで、幅広くこなす。また、彼のサポーターで旧友のCUSTOM AUDIO ELECTRONICS(CAE)社のボブ・ブラッドショーたちとの協力関係で、1980年代から1990年代に主流となった、アンプやエフェクターをラックにまとめた、ラック式ギターシステムなどの開発にも貢献した。

引用元:スティーヴ・ルカサー - Wikipedia




TOTO (バンド) - Wikipedia



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