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2025年1月15日水曜日

吉岡里帆



1月15日は、女優の吉岡里帆(よしおか りほ)の誕生日です。

吉岡 里帆(よしおか りほ、1993年1月15日 - )は、日本の女優。京都府京都市右京区出身。本名同じ。A-teamを経てフラーム所属。

映像関係の会社を経営するカメラマンの父とアパレル業界で働く母はともに美術、音楽、映画、本などアーティスティックなものが好きで、本棚には本や漫画、写真集が、クローゼットにはデザイナーズ服が溢れていたという。

その父は映画をよく見せてくれたといい、小学生時代に印象に残った映画は『マルホランド・ドライブ』(2001年・アメリカ合衆国、デヴィッド・リンチ監督作品)。この作品について家族との会話で現在でも話題になることを明かしている。

父は広島の出身で祖父母は被爆者、父の実家は広島にあり広島東洋カープの25年ぶりの優勝時には親戚一同で盛り上がったという。広島を「第二の故郷」と語っている。

上京資金を貯めるために2015年3月まで約1年間滋賀県大津市の大津プリンスホテルにアルバイトとして勤務し、クロークや配膳などの職務に携わり接客を学んだ。「人を楽しませるための気遣い、気配り、おもてなし、この3つは、今でも役者をやるうえで大事なことです」と、女優業の基礎となっていると語る。連続テレビ小説『あさが来た』の出演者として参加した「第61回びわ湖開き」で遊覧船ミシガンの1日船長を務め、イベント中に同ホテルに寄港した際には、朝ドラ女優として1年ぶりとなる凱旋にホテルスタッフから温かく迎えられた。

2013年上半期の連続テレビ小説『あまちゃん』のオーディションを受けており、ドラマで有名になったキーワード「"じぇじぇじぇ"を使って表現をしなさい」という課題を与えられたが、吉岡は「じぇ」が驚きの表現だったことを理解しておらず、全部”じぇじぇじぇ”と言えというものと勘違いしていたため、すべてのセリフを「じぇ」で押し通して大失態をしてしまった過去をもつ。

自分は中途半端なんだと痛感し、演技をする場合に選択肢の1つとしてがむしゃらな方法でも臨めるようになったきっかけの作品に2015年5月に公開された映画『明烏』の名前を挙げており、当時「お前はとにかく中途半端にブスだし、中途半端な年齢だし、色々中途半端だから、死ぬ気で芝居しろ」「それでしかもう目に止まんない」「人より何倍も何倍も恥をかき捨てることが必要だね」と福田雄一監督に叱咤された経験から、体当たり演技にも躊躇することなく臨めるようになったと振り返っている。

2015年の連続テレビ小説『あさが来た』の出演によって役名で話しかけてもらえるようになることが増え、作品を通しておばあちゃんから小学生の子など様々な世代の人からファンレターを貰えたことが今でも励みになっている。

転機となった作品を聞かれた際は火曜ドラマ『カルテット』(TBS系)の名前を挙げており、本作において「周囲の和を乱すことが面白い」という役をとことん向き合って演じた際に、それを魅力的で面白い役柄として実際に楽しんでくれた視聴者と出会えたことで吉岡は「それぞれが物語のスパイスやエッセンスを担っていて、自分がどう見られるかよりも、作品の一部として面白い存在でいられたらいいんだと思えた。人間の嫌な部分を面白いものとして見てもらえることだってできるし、なんて面白い仕事なんだろうと思いました。」と、本作を通して得た経験に役者として今でもずっと支えられていると振り返っている。

主演ドラマ『きみが心に棲みついた』(TBS系)の原作者である天堂きりんから、主人公は自己評価が極端に低く情けない役なので主演を演じる吉岡が批判にさらされるかもしれないと言われた際は「そもそも自分の中にも嫌われる要素がある」「それでも真剣に作品を届けたい」と話した。インディペンデント映画『星を継ぐ者』の監督であり劇中で共演した末長敬司は、「感受性が強く、思ったことは口や態度に出しちゃうタイプ」と評している。

引用元:吉岡里帆 - Wikipedia





























2024年8月12日月曜日

山城新伍



8月12日は、俳優・タレントの山城新伍(やましろ しんご)の命日です。2009年8月12日没。70歳。

山城 新伍(やましろ しんご、1938年(昭和13年)11月10日 - 2009年(平成21年)8月12日)は、日本の俳優・声優・司会者・タレント。身長174cm。映画評論家・映画監督としても活動した。オフィスタッチ最終所属。本名は渡辺 安治(わたなべ やすじ)。

元妻は花園ひろみ、娘は南夕花。京都市生まれ。

1938年11月10日(木曜日) 京都市に生まれる。京都府立山城高等学校卒業。

1957年 東映ニューフェイス第4期生。

1959年 『風小僧』第1部 疾風之介役でデビュー。同年、第2部で主演。

1960年 『白馬童子』で主演し、人気を博す。

1966年 女優の花園ひろみと結婚。

1975年 『独占!男の時間』でバラエティに進出。

1976年 日清食品『どん兵衛』のCMに出演。川谷拓三との名コンビによるCMで、14年続いたロングセラーCMとして人気を博す。同年4月公開の『テキヤの石松』出演後、東映を退社、フリーになる。

1980年『ミスターどん兵衛』で映画監督業に進出。

1981年 フジテレビ系「アイ・アイゲーム」で伏字を「チョメチョメ」と表現し流行語になる。

1985年 花園ひろみと離婚。

1991年 花園ひろみと2度目の結婚。これを『新伍Niタッチ!』でゲスト出演した梅宮辰夫に発表され、更に彼から祝福のキスを受ける。

1999年8月 花園ひろみと2度目の離婚。その後も同居していたが、2001年以降は一人暮らし。

2005年 糖尿病で入院。以降はメディアなどには出演せず、事実上の引退状態となる。

2009年8月12日午後3時16分、誤嚥性肺炎で死去。70歳没。

引用元:山城新伍 - Wikipedia

















2024年7月21日日曜日

川谷拓三



7月21日は、俳優の川谷拓三(かわたに たくぞう)の誕生日です。大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。1995年12月22日、肺癌のため死去した。54歳没。

川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月21日 - 1995年〈平成7年〉12月22日)は、日本の俳優。本名は仁科 拓三(にしな たくぞう・旧姓:川谷)。愛称は拓ボン。左利き。

大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。仁科貴は長男、仁科扶紀は長女、仁科熊彦は岳父、岡島艶子は丈母にあたる。大叔父(実母の叔父)に伊沢一郎がいる。

大部屋俳優として17年間もの長い下積みを経験し、どんなに小さな役や汚れ役でも引き受けた。川谷はとある自著で「実家は貧乏だったけど、おふくろは雑草のように逞しかった。ガキの頃からそういうおふくろの姿を見ていたから、斬られてドブ川に叩き込まれる役でも積極的に演じることができたんだと思う」と記している。

セリフのあるヤクザの役をもらった当初、ヤクザの具体的な振る舞いがイメージできなかった。ヤクザの所作を学ぶため、川谷は酒を飲んでわざと本物のヤクザ相手にケンカを吹っ掛けた。その時の相手の口調や殴り方、殴られ方を覚えて、その後のヤクザ役の芝居に役立てた。

自分の内面を語ることは少なかったが、撮影現場ではいい作品にするため積極的に意見を口にした。とある自著で川谷は、「原作者や脚本家の先生の意見と俺の意見を戦わせることで、いい作品が仕上がっていくと思っている」と記している。

1995年6月下旬に体調を崩し7月に東京の病院に検査入院を行った。川谷も10月からは京都に移り、京大付属病院に入院するが12月22日午後8時30分、肺癌のため死去した。54歳没。

引用元:川谷拓三 - Wikipedia

















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