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2026年6月20日土曜日

石坂浩二



6月20日は、俳優・タレント・司会者・ナレーター・画家・作詞家である、石坂浩二(いしざか こうじ)の誕生日です。俳優や司会者、クイズ番組の解答者など多方面で活躍。1972年頃までNHK教育の子供向け番組の脚本を書いていた。

石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。

本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。

高校時代の1958年、ドラマ『お源のたましい』に通行人のエキストラでデビューし、1967年に、出演した『泥棒たちの舞踏会』で演出家・浅利慶太のスカウトをきっかけに劇団四季へ入団。退団後も俳優業と並行しての脚本家活動はしばらく続き、1972年頃までNHK教育の子供向け番組の脚本を書いていた。

松竹映画『日も月も』、『風の慕情』で主演を果たす。

NHK大河ドラマ常連俳優の一人で、計9回の出演をしている。

大河ドラマ関連作品にも出演しており、NHK新大型時代劇の『宮本武蔵』(1984年)では本阿弥光悦役を、NHKスペシャルドラマの『坂の上の雲』(2009年 - 2011年)では山本権兵衛役を演じている。1970年代前半にはTBSの人気タレント調査で3年連続1位となった。JNNデータバンク調べによる好感度タレントの支持率調査では、1972年7月に支持率42.6パーセントを記録し、これは同調査において1970年代の第1位の記録である。映画では1976年、横溝正史原作・市川崑監督による映画『犬神家の一族』に金田一耕助役で主演し、同年の邦画配給収入2位(13億200万円)のヒットとなり、シリーズ化される当たり役となった(以後、市川作品に常連出演し、『おはん』『ビルマの竪琴』『細雪』などに出演している)。ナレーターとしても新人時代の『ウルトラQ』『ウルトラマン』(前半)をはじめ、『シルクロード』や『関ヶ原』などで活躍。

2001年4月から、佐野浅夫の後任として時代劇『水戸黄門』の4代目水戸光圀役に起用された。初登場時59歳であり、BS-TBS版も含め同作で光圀を演じた歴代6人の俳優では唯一50代での大役となった。

俳優業のみならず、作家(三田文学会・会員)、司会者やクイズ番組の解答者など多方面で活躍。芸能界屈指の薀蓄を誇り、1980年代後半からの「クイズ王ブーム」の際には、毎回のようにゲスト出演していた。共演者には撮影直前までマイペースで薀蓄を語り続けることで知られる。

画家としても知られ、自らの作品の展覧会を度々開催することもある。モデラーとしても有名で、自宅には模型専用の製作スペースがあり、飛行機のプラモデルをよく作る。

引用元:石坂浩二 - Wikipedia

























2025年11月29日土曜日

赤木春恵



11月29日は、女優の赤木春恵(あかぎ はるえ)の命日です。1940年に松竹にニューフェイスとして入社し映画「二本松少年隊」でデビュー。1979年から「3年B組金八先生」で女性校長の君塚美弥子役でレギュラー出演し当たり役を得る。橋田壽賀子や石井ふく子プロデュース作品への出演し「渡る世間は鬼ばかり」などの出演でもお馴染み。2018年11月29日、心不全のため死去。94歳没。

赤木 春恵(あかぎ はるえ、1924年〈大正13年〉3月14日 - 2018年〈平成30年〉11月29日)は、日本の女優。本名、小田 章子(おだ あやこ)。

旧芸名、赤木 春生(あかぎ はるみ)。身長152cm、血液型はB型。

自身の個人事務所でもあったオフィスのいりに所属。

日本喜劇人協会相談役。満州長春県(現・中華人民共和国吉林省長春市)出身。東京都府中市に居住していた。

父は南満州鉄道の産婦人科医だったが、赤木が3歳の時に死去した。

1933年に帰国して京都に住み、女学校卒業後の1940年に松竹にニューフェイスとして入社し、同年に映画『二本松少年隊』でデビュー。この時の芸名は赤木春生(あかぎ はるみ)だった(名付け親は映画監督の伊藤大輔)。同年、慰問団(戦地の兵士たちを慰問するための演芸派遣団)のトラックの上で、“心の友”としてその後長い親交を結んだ森光子と出会う。

1943年、大映へ移籍、1945年、松竹で助監督をしていた兄が設立した慰問劇団に参加するため大映を退社し、満州各地を巡業した。

大映へ復帰した際、片岡千恵蔵から「春生では男か女か分からないから、春恵にしたらどうか」と勧められ、芸名を改める。

1947年、東映のプロデューサーであった栄井賢(本名;小田 賢五郎)と結婚し、一女を儲け、1948年、東映に移籍(これ以降、大作や小品の別なく年相応の脇役を長く務めた)。

1959年、森繁久彌主催の森繁劇団に参加するためにフリーとなる。

1974年、『四季の家』で橋田壽賀子脚本の作品に初出演。以降、橋田壽賀子や石井ふく子プロデュース作品への出演が増加。

1979年からは『3年B組金八先生』にて当時としては珍しかった女性校長の君塚美弥子役でレギュラー出演し、当たり役を得る(レギュラー降板後もゲスト出演しており、教育関係者から講演も頼まれたほどだった)。

1990年からは『渡る世間は鬼ばかり』がスタートし、角野卓造演じる勇の母親であるキミ役で出演し、泉ピン子が演じる嫁をイビり、何かに付けて文句を言ったり難癖を付ける憎まれ役が評判を呼び、再び当たり役となった。

2013年には『ペコロスの母に会いに行く』に主演し、88歳にして映画初主演を果たす。

最晩年には骨折のほかパーキンソン病により療養生活を送っていたが、2018年11月29日午前5時7分に心不全のため東京都府中市内の病院で死去した。94歳没。

引用元:赤木春恵 - Wikipedia

























2025年8月3日日曜日

藤田朋子



8月3日は、女優・歌手の藤田朋子(ふじた ともこ)の誕生日です。代表作として「ノンちゃんの夢(テレビ女優デビュー作)」「渡る世間は鬼ばかり(主人公・岡倉大吉の五女・長子役)」等がある。歌手としても活動。

藤田 朋子(ふじた ともこ、1965年〈昭和40年〉8月3日 - )は、日本の女優、歌手。東京都世田谷区出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。

玉川学園高等部・玉川大学文学部外国語学科卒業。川上麻衣子は玉川学園高等部の同級生で親しい。

元々はポール・マッカートニーのファンだったが、それ以前はタケカワユキヒデのファンであり、タケカワユキヒデに会いたい気持ちが募り、ゴダイゴの作詞をしていた奈良橋陽子の主宰する英語塾(MLS)に通い演劇の基礎を学ぶ。

1987年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』にて女優デビュー。

1988年、『ノンちゃんの夢』でテレビデビューし知名度が上がる。

1989年9月21日、シングル『THE WOMAN IN ME』にて歌手デビュー。

1990年より『渡る世間は鬼ばかり』に出演。主人公・岡倉大吉の五女・長子を演じ、長年に渡ってレギュラー出演する。

2005年4月、アコーディオン奏者・桑山哲也と結婚。

引用元:藤田朋子 - Wikipedia

























2025年7月4日金曜日

山本コウタロー



7月4日は、シンガーソングライター・タレント・政治活動家の山本コウタロー(やまもと コウタロー)の命日です。1969年から「ソルティー・シュガー」で活動、「走れコウタロー」をヒットさせ、1974年に「山本コウタローとウィークエンド」を組み「岬めぐり」をヒットさせる。後にタレントやテレビ番組の司会等で活躍。2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。

山本 コウタロー(やまもと コウタロー、本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)、1948年〈昭和23年〉9月7日 - 2022年〈令和4年〉7月4日)は、日本のシンガーソングライター、タレント、政治活動家、環境学者。白鷗大学名誉教授。オフィスプロフィット所属。芸名は山本 コウタロー(コータローではない)だが、作曲や大学で教鞭を執るときは本名で行っていた。

大学在学中からフォーク・グループソルティー・シュガーのメンバーとして活動。日本におけるコミックソングの代表作の一つともいえる「走れコウタロー」を1970年にリリース。その面白さから第12回日本レコード大賞新人賞を受賞するヒットソングとなった。1971年、ソルティー・シュガー解散後、高田渡、シバらとともに武蔵野タンポポ団のメンバーとして、第3回全日本フォークジャンボリーに参加。歴史の転換点として伝説化しているサブステージでの吉田拓郎の「人間なんて」の長時間演奏ではステージに上がり、バックコーラスを務めた。この頃からなぎらけんいち(現:なぎら健壱)らと親交を持つ。 1972年、一橋大学社会学部卒業。卒論は「たくろう・スーパースター」という題名で、後に『誰も知らなかったよしだ拓郎』(八曜社、1974年)として出版された。

その後ソロ活動を経て、1974年に森一美(男性、元・黒崎とかずみ)、板垣秀雄(元・ピピ&コット)とフォークグループ「山本コウタローとウィークエンド(1976年以降はウィークエンドに改称)」を結成。1974年6月1日(土曜日)に発売されたデビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒット。「走れコウタロー」と並んで、現在でも歌い継がれるスタンダードとなっている(2008年には京急三崎口駅の電車到着メロディ、2017年2月10日より京急三浦海岸駅の電車到着メロディに採用されている)。

1971年から1978年までTBSラジオの深夜放送『パック・イン・ミュージック』金曜日の第1部パーソナリティを担当、第2部は後に山本のパートナーとなった吉田真由美(DJ、映画評論家)が担当。『パック・イン・ミュージック』終了後、単身アメリカに渡り、約2年間生活。帰国後『アメリカあげます』(ほんの木社)を書き上げた。その後は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の火曜日と金曜日のレギュラーとテレビ番組の司会(『午後は○○おもいッきりテレビ』初代司会者)、タレント、役者などで活躍。ニッポン放送『バイタリス・フォーク・ビレッジ→ライオン・フォーク・ビレッジ』のパーソナリティも担当した。

2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。訃報は同月15日に公表された。

引用元:山本コウタロー - Wikipedia



























2023年12月19日火曜日

海津亮介



12月19日は、元俳優の海津亮介(かいづ りょうすけ)の誕生日です。1987年の「光戦隊マスクマン」でタケル/レッドマスク役を演じる。1999年ごろ俳優は引退し、現在はラーメン屋の店主を務めている。

海津 亮介(かいづ りょうすけ、1961年12月19日 - )は、日本の元俳優。本名は稲葉 和則(いなば かずのり)。

東京都出身。大東文化大学中退。鷲尾企画、東京俳優生活協同組合に所属していた。既婚。

『わが子よV』(1985年、TBS)で俳優としてデビュー。『光戦隊マスクマン』(1987年、テレビ朝日)のタケル / レッドマスク役や『渡る世間は鬼ばかり 第2シリーズ』(1993年、TBS)の佐久裕二役をはじめ、恋愛に絡む役を多く演じた。また、『マスクマン』に主演した縁から、その後も東映作品を中心に多くの特撮作品にゲスト出演したが、当時の所属事務所がテレビ出演のギャラを大幅に上げたことが原因で仕事の依頼がなくなり、1999年ごろに芸能界を引退。

引退後は、味噌ラーメン専門店・味噌一上石神井店で店主を務めている。自分のファンだった25歳年下のフィリピン人女性と結婚しており、2人の子供がいる。

2015年3月21日・22日、マニラにて開催されたJEFusionの主催によるイベント「HENSHINCON(変身コン)」に、『地球戦隊ファイブマン』(1990年、テレビ朝日)の信達谷圭と共にスペシャルゲストとして参加した。これをきっかけとして、2016年に信達谷とニヤニヤブラザーズを結成した後、スーパー戦隊シリーズOGである牧野美千子・たなかえり・宮澤寿梨を加えたニヤニヤブラザーズ&シスターズとしてライブ活動を行っている。

2022年にはテレビアニメ『怪人開発部の黒井津さん』第3話のナレーションを担当した。これは同作品のレジェンド&ローカルヒーロープロデューサーを担当した鈴村展弘による依頼を快諾したものであるが、アフレコ当日には許可を得たうえでアニメ好きの我が子を現場に連れていき、自分の仕事を見学させてもらったという。

引用元:海津亮介 - Wikipedia




元俳優・海津亮介さん 特撮ヒーローからラーメン屋に転身|日刊ゲンダイDIGITAL






光戦隊マスクマン - Wikipedia



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