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2025年9月21日日曜日

ボズ・バレル (キング・クリムゾン、バッド・カンパニー、ベーシスト)



9月21日は、イングランド出身のロック・ミュージシャンでボーカリスト・ベーシストである、ボズ・バレル(Boz Burrell)の命日です。プログレッシブロックバンド「キング・クリムゾン」でベーシスト・ボーカリストとして(1970年-1972年)、ハードロックバンド「バッド・カンパニー」ではベーシストとしての活躍が最も有名(1973年-1982年)。2006年9月21日、スペインの自宅にて心臓発作で死去、60歳没。

ボズ・バレル(Boz Burrell、1946年8月1日 - 2006年9月21日)は、イングランド出身のロック・ミュージシャン。ボーカリスト、ベーシスト。キング・クリムゾン、バッド・カンパニーの元メンバーとして知られる。バッド・カンパニー結成以前はボズ(Boz) の名前で活動した。

1960年代後半には多くのローカル・バンドを渡り歩き、ボズ(Boz)の名義で数作のシングルを発表した。ボブ・ディランの曲をカバーしたシングル「I Shall Be Released/Down In The Flood」(1968年)は、1967年に急逝したジョー・ミークの配下だったデレク・ローレンスが制作を担当し、ローレンスが当時プロデュースしていた第1期のディープ・パープルのメンバーが演奏した。

1970年10月、当時在籍していたミラーズというバンドがロンドンのマーキー・クラブでのギグを最後に解散した後、ロバート・フリップに紹介されて、プログレッシブ・ロック・・バンドのキング・クリムゾンのボーカリストのオーディションを受けて合格した。メンバーの一人で木管楽器奏者のメル・コリンズは「ボズは1960年代にボズ・ピープルやザ・サイドワインダーズ(The Sidewinders)でミュージシャン仲間によく知られていた。オーディションに来た時点で群を抜いていたので即座に決まりだと思った」と述べている。

1971年4月からフリップ、コリンズ、自分と同時期に加入したドラマーのイアン・ウォーレスと共に、ボーカリスト兼ベーシストとしてキング・クリムゾンのステージに立った。

バレルは以後、ベーシストとしての活動に比重を移していった。彼はコリンズ、ウォーレスと共にアメリカに残ってアレクシス・コーナーのバンドであるスネイプに参加して、スタジオ・アルバムと2枚組ライブ・アルバム、そしてアレクシス・コーナー名義のアルバムの制作に携わった。その後、セッション・ミュージシャンとして様々なセッションに参加した。

1973年に元フリーのポール・ロジャースとサイモン・カーク、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフスが結成したバッド・カンパニーのベーシストのオーディションに合格。翌1974年に発表されたデビュー・アルバム『バッド・カンパニー』から1982年の解散前に発表された『ラフ・ダイアモンド』まで、6作のアルバムの制作に参加。在籍中は徐々に曲作りも行なっていった。

解散後の音楽活動はスタジオ経営のかたわらローカル・バンドでプレイする程度であった。1986年には、ボーカリストにブライアン・ハウを迎えた新しいバッド・カンパニーに参加するが、アルバム1作の制作に携わっただけで脱退。目立った音楽活動からは一線を引いた。

1998年のオリジナル・メンバーによるバッド・カンパニー再結成に参加。1999年には新曲4曲を含んだベスト・アルバム『バッド・カンパニー・アンソロジー』発表に伴うツアーで、久々に表舞台に姿を現した。しかし2002年のツアーには、本格的にジャズに没頭したいという理由で、大規模なツアーに消極的なラルフスと同様に参加しなかった。

2000年代に、1960年代からの旧友であるボーカリストのタム・ホワイトのCeltic Groove Connectionで活動。エジンバラ大学でのコンサートの映像が残っている。

2006年9月21日、スペインの自宅にて心臓発作で死去した。60歳没。

引用元:ボズ・バレル - Wikipedia















2025年3月16日日曜日

アンディ・フレイザー (フリー、アンディ・フレイザー・バンド)



3月16日は、イングランド出身のソングライター・ベーシストのアンディ・フレイザー(Andy Fraser)の命日です。1968年に15歳で加入したロックバンド「フリー」での活動が最も有名。2015年3月16日に自宅でアテローム性動脈硬化症による心臓発作で亡くなった。62歳没。

アンディ・フレイザー(Andy Fraser、1952年7月3日 - 2015年3月16日)は、イングランドのソングライターにしてベーシストである。そのキャリアは40年以上にわたり、1968年に15歳で見出されて加入したロック・バンド、フリーのメンバーとなった2度の期間が含まれている。

フレイザーはロンドン中心部のパディントン地区で生まれ、5歳でピアノを始めた。ギターに切り替えた12歳まではクラシックを学ばされていた。13歳に至るまでに、イーストエンドのウェスト・インディアンにある複数のクラブで演奏するようになり、1968年に15歳で退学となった後、ハマースミス継続教育大学に入学した。そこで、同じ学生であったサッフォ・コーナーが彼女の父親に紹介し、ブルースの先駆者でラジオ・パーソナリティーでもあったアレクシス・コーナーが、彼にとって父親的存在となった。その後まもなく、ベーシストを探していたジョン・メイオールから電話を受けたコーナーは、フレイザーを提案した。当時まだ15歳で、プロのバンドに所属して、週に50ポンドを稼ぐこととなったが、最終的には短い在籍期間であることが判明した。

コーナーはまた、ポール・ロジャース(ボーカル)、ポール・コゾフ(ギター)、サイモン・カーク(ドラム)で構成された影響力のあるバンド、フリーへと向かうフレイザーの次の動きに尽力した。フレイザーは、ロジャースと「オール・ライト・ナウ」をプロデュースして共同で作曲。これが、20以上の地域でナンバー1ヒット曲となり、1989年後半までにアメリカで100万回以上のラジオ・プレイを獲得したことが、1990年にASCAPから認められた。2006年10月、「オール・ライト・ナウ」が300万回以上もラジオやテレビ番組で流されたとして、BMIのロンドン・ミリオン・エア・アワードがロジャースとフレイザーに与えられた。

フリーを脱退した後、フレイザーはボーカリストのスニップス(後のベイカー・ガーヴィッツ・アーミー)、ギタリストのクリス・スペディング、ドラマーのマーティ・サイモンとシャークスを結成した。とりわけスペディングの趣味の良いギター作品(クロウダディ・リードのレビュー、Bruce Malamut Vol.27、1973年)で、批評家たちに好評だったにもかかわらず、フレイザーはデビュー・アルバム『ファースト・ウォーター』(1973年)の後に脱退した。

その後、アンディ・フレイザー・バンドを結成。これは、ドラムにキム・ターナー、キーボードにニック・ジャッドを迎えたトリオである。彼らは2枚のアルバム『アンディ・フレイザー・バンド』と『...In Your Eyes』をどちらも1975年にリリースしたが、注目はされなかった。フランキー・ミラーとバンドを結成する試みが無に帰すと、フレイザーは作詞作曲に専念するためカリフォルニアへと転居した。彼はロバート・パーマー、ジョー・コッカー、チャカ・カーン、ロッド・スチュワート、ポール・ヤングのヒット曲を作り上げた。

1984年に、フレイザーは自身の新しいアルバムをリリースした。そのアルバム『ファイン・ファイン・ライン』は、元バック・ストリート・クローラーのドラマーであったトニー・ブロウネイジェル、ボブ・マレット(キーボード)、マイケル・トンプソン(ギター)、デイヴィッド・ファラガー(ベース)をフィーチャーし、フレイザーはボーカルを提供した。アルバムの曲の1つである「Do You Love Me」(ベリー・ゴーディ・ジュニアが書いた曲のカバー)は、Billboard Hot 100で5週間チャートインし、1984年3月に82位というピークに達した。

2008年、彼はバラク・オバマをアメリカ合衆国大統領に選出するキャンペーンを支援するために「Obama (Yes We Can)」という曲を書いて歌った。

フレイザーは、2015年3月16日にカリフォルニアの自宅でアテローム性動脈硬化症による心臓発作で亡くなった。娘のハンナ・フレイザーとジャスミン・フレイザー、元妻のヘンリエッタ・フレイザーが遺族として遺された。

引用元:アンディ・フレイザー - Wikipedia














フリー (バンド) - Wikipedia



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