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2025年3月4日火曜日

五十嵐浩晃



3月4日は、シンガーソングライター・歌手の五十嵐浩晃(いがらし ひろあき)の誕生日です。北海道美唄市生まれ、現在は札幌市に在住。1980年5月21日にシングル「愛は風まかせ」とアルバム「NORTHERN SCENE」でデビュー。同年11月に3枚目のシングル「ペガサスの朝」が売上50万枚以上のヒットを記録した。現在も地元を中心に活動している。

五十嵐 浩晃(いがらし ひろあき、1957年3月4日 - )は、日本のシンガーソングライターである。北海道美唄市生まれで、後に苫小牧市・月形町・静内町に転居。現在は札幌市に在住。

2024年頃まではMUTOWN ENTERTAINMENTに所属していた。

妻は元公明党衆議院議員でフリーアナウンサーだった丸谷佳織。

北海道美唄市にて、高校の体育教師の父と、看護婦の母の間に、二男一女の第三子(次男で末子)として生まれる。北海道静内高等学校在学中にロックバンドを結成。キャロルとディープ・パープルのコピーバンドだった。またオリジナル曲「こんぶとりの歌」を学校祭で歌い、校内放送で流し続け、学校では一躍スターになる。

北星学園大学経済学部在学中、大学の先輩と二人でバンド「ブリージー」を結成、ライブハウスで活動開始。

1979年(昭和54年)、第1回CBS・ソニーSDオーディションに合格(同期合格者は村下孝蔵、HOUND DOG、堀江淳)。

1980年(昭和55年)5月21日、シングル「愛は風まかせ」とアルバム『NORTHERN SCENE』でCBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)よりデビューを果たす。

1980年(昭和55年)11月、3枚目のシングル「ペガサスの朝」が売上50万枚以上のヒットを記録。TBSの『ザ・ベストテン』で全国ネット番組に初めて登場した。

1985年(昭和60年)、十二指腸潰瘍穿孔になり入院。退院後は療養のため札幌に帰省し活動を休止する。

1988年(昭和63年)10月、レコード会社をアポロンに移籍。シングル「サマー・トワイライト」、アルバム『DISTANCE』をリリース。

1991年(平成3年)9月、シングル「街は恋人」が、井森美幸が出演したスズキ『アルト』のCMソングに使用され、スマッシュヒットを記録。

2002年(平成14年)、声優の岩男潤子とのデュオで、シングル「Ever」をリリース。

2012年(平成24年)4月、20年ぶりとなるオリジナル・アルバム『BREEZY』をリリース。

2014年(平成26年)、学校法人北海道安達学園専門学校札幌ビジュアルアーツ名誉学校長に就任。

2020年(令和2年)5月27日、8年ぶりとなるオリジナルアルバム『Love Songs Letter』をリリース。

2024年(令和6年)10月から、STVラジオにて『FRIDAY MUSIC★Attack』が放送開始。

引用元:五十嵐浩晃 - Wikipedia

















2025年2月18日火曜日

岩男潤子 (声優・歌手)



2月18日は、声優・歌手の岩男潤子(いわお じゅんこ)の誕生日です。声優としては1994年「モンタナ・ジョーンズ」で声優デビュー。それ以前の1986年に女性アイドルグループ「セイントフォー」に正式メンバーとして加入したが1987年解散直前に脱退した。

岩男 潤子(いわお じゅんこ、1970年2月18日 - )は、日本の女性声優、歌手、アイドル。大分県別府市出身。岩男潤子オフィス所属。声優業以外はZERAPHと業務提携している。

初期の頃は、「いわお潤」や「潤」名義で活動していた時期もある。

女性アイドルグループ「セイントフォー」の妹分ユニットである「リトルウィング」として人知れず活動したのち、セイントフォーのメンバーである板谷祐三子の脱退に伴い、新メンバーオーディションを受けて合格。1986年に正式メンバーとなり、いわお潤の芸名をもらってデビュー。しかし、加入時点で解散時期が決まっているなどグループとしての活動が下り坂になっていたことや、板谷のファンからの誹謗中傷、過酷なレッスンで肉体的・精神的に追い詰められ、メンバーの励ましも空しく、解散を待たずに脱退を申し出る。脱退後、家族が事務所に多額のレッスン費などを負担していたことを知り、結果を出せなかった歯がゆさから一時的に芸能界への意欲を失う。

潤名義で石井光三とのデュエットソング『ねぇ、お父さん』(『満開!ピープルテレビ』テーマ曲、発売元:ポリドール)のリリースまで結びつく。

声質に関して「子供っぽい」「生理的に受け付けない人が多いかも」と評され、レッスンを重ねていくうちに自信を失う。声優に憧れていたものの、芸能生活に入るとアルバイトやレッスンで多忙だったため、欠かさず見ているアニメなどはなかったとのこと。

高校卒業後は童謡の歌唱やミュージカルの歌のお姉さん役、NHK教育テレビ『はてな・サイエンス』出演などの引き続き芸能活動を続けていたが、いずれも知名度の向上にはつながらず、目標だったソロ名義のシングルは出せないまま、両親と約束の10年の期限が迫っていた。一時は引退も考えたが、東京駅のキヨスクでのアルバイトで偶々通りがかっていたアイドル時代を知っていたアニメ関係者から「歌える声優を探しているから応募してみては」と勧められ、最後のチャンスとして受けたオーディションに合格し、1994年テレビアニメ『モンタナ・ジョーンズ』で声優デビュー。「10年間がんばったな……」と泣きながら閉じていた荷物のテープを喜びいっぱいで剥がして、反対していた両親に「もう1年がんばらせてください」電話を掛けていた。その時、両親が「あと1年じゃないよ。あと10年がんばりなさい」と言ってくれて、「また、10年がんばろう」という気持ちだった。そして1995年、シングル『シャッターチャンスの連続』をリリースし念願の歌手ソロデビューを果たす。同年12月23日、初のソロコンサートを東京・TBSホールで開催。

代表曲は『手のひらの宇宙』。他に『スカーレット』、『翼になれ』など。

引用元:岩男潤子 - Wikipedia














セイントフォー - Wikipedia 「いわお潤」として1986年に加入。


石井光三・潤/娘よ/ねぇ、お父さん



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