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2024年10月1日火曜日

浜田光夫



10月1日は、俳優の浜田光夫(はまだ みつお)の誕生日です。映画ファンにとっては吉永小百合との数々の共演で日活の黄金期を支えた看板俳優の一人。特撮ファンにとっては「アイアンキング」で霧島五郎/アイアンキング役を演じた事で有名。

浜田 光夫(はまだ みつお、1943年〈昭和18年〉10月1日 - )は、日本の俳優。日活の黄金期を支えた看板俳優の一人。本名は浜田 斌(はまだ あきら)。

東京都牛込区(現・新宿区)白銀町出身。玉川学園小学部、中学部、高等部卒業、日本大学芸術学部中退。アートプロモーション所属。

玉川学園高等部在学中の1960年、若杉監督の勧めで『ガラスの中の少女』のオーディションを受け、吉永小百合と初共演玉川学園卒業後、高橋英樹と共に日本大学藝術学部へ進学。同年、日活に入社し本格デビュー。1961年に『この若さある限り』より、若杉監督から「光夫」の名前をもらい芸名を浜田光夫と改める。

その後、数多くの日活映画に出演。吉永小百合のほか、和泉雅子、田代みどり、松原智恵子、松尾嘉代、太田雅子(現・梶芽衣子)など若手女優陣らとも共演する。

1966年7月25日、名古屋市女子大小路のサパークラブで仕事終わりに葉山良二らと飲んでいると、酔った客が絡み出し、突然、電気スタンドで葉山を襲撃した。そして葉山の隣にいた浜田の右目に電気スタンドのガラスの破片が直撃し、右目が全く見えなくなってしまう。

黒目を0.3mm間隔で32鍼縫い上げる眼球縫合手術が行われ、失明の恐怖に耐えながら8時間、奇跡的に失明は免れた。

目の完治を諦めず4度もの手術を決行。暴行事件から7年、ついに目は完治した。

日活映画の主題歌、挿入歌を中心に、テイチクレコードから数多くのレコードを発売。中でも1963年に発売した三条江梨子とのデュエット「草笛を吹こうよ」がヒットした。1967年には東芝レコードから映画復帰作主題歌「君は恋人」を発売している。

日本映画の衰退とともに日活を退社し石原プロに移籍。またテレビドラマにも進出。1970年、テレビドラマ『お荷物小荷物』(朝日放送製作、TBS系)で、小言屋だが肝心な時には頼りない5人兄弟の次男・滝沢義を演じ、コミカルな演技で新境地を開拓した。

同作の脚本だった佐々木守と意気投合し、この後、岡崎友紀主演の“18歳シリーズ”や特撮ヒーロー番組『アイアンキング』など、1970年代前半に佐々木が執筆または関係したテレビドラマの常連的存在となっている。その後は悪役からバラエティ番組、情報番組のコメンテーターもこなすバイプレーヤーとして多くの舞台、テレビ、講演など幅広く活躍している。代表的な作品として1980年の映画『天平の甍』、2004年の映画『1リットルの涙』など。

引用元:浜田光夫 - Wikipedia



























2022年5月3日火曜日

橋幸夫



5月3日は、歌手・俳優の橋幸夫の誕生日です。

橋 幸夫(はし ゆきお、1943年5月3日 - )は、日本の歌手、俳優、作曲家、プロデューサー。舟木一夫、西郷輝彦(2022年2月20日死去)とともに"御三家"と呼ばれている。本名:橋 幸男(読み同じ)。血液型はA型。著書に認知症の実母の介護生活を綴った『お母さんは宇宙人』がある。

俳優の橋龍吾は息子、演歌歌手の橋宏之(ひろゆき)は甥にあたる。東京都荒川区出身。

1960年に「潮来笠」でビクターレコード(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からデビュー、同曲で第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たす。『紅白歌合戦』には第11回から1976年の第27回まで17回連続出場、通算19回出場した。後にデビューした舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」としてアイドル的な人気を集める。

1962年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が発売から「1か月で30万枚という驚異的な記録をたて(半年後の翌年5月に100万枚突破)」る大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞した。1966年、「霧氷」で再び第8回日本レコード大賞を受賞。同賞ではいずれも史上初となる2度目の大賞受賞、新人賞と大賞の2冠を達成した(当時は最優秀新人賞と最優秀歌唱賞は存在しなかったため、主要な賞は新人賞と大賞のみだった)。また1964年には、邦楽にはじめてエレキサウンドを導入した『恋をするなら』をリリースし、その後『ゼッケンNO.1スタートだ』、『チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-』、『あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)』と一連のリズム歌謡を発表し、第7回日本レコード大賞企画賞を獲得している。人気と実力を兼ね備えた若手ナンバーワン歌手と目され、映画にも多数出演した。

1971年発売の「子連れ狼」は、元々は劇画のイメージソングだったが、テレビドラマ『子連れ狼』第3部の主題歌になったことで、お茶の間にも浸透。同じくトップ10入りするヒットとなり、第14回日本レコード大賞(大衆賞)、日本歌謡大賞特別賞他を受賞した。

デビューから10年余を過ぎて、佐川急便の出資を受けレコード会社「リバスター音産」を立ち上げたが、8年後に諸事情で頓挫した。

1980年前後に巻き起こった漫才ブームの時期、ザ・ぼんちのぼんちおさむが橋幸夫のものまねを頻繁に披露。歌手としてはやや低迷していた橋にもスポットが当たった。ぼんちおさむが橋の真似をする時のポーズ「あれ〜」を、1981年に橋本人がサンヨー食品のテレビCMで演じ、逆パロディとして話題になった。また清水アキラがものまねのレパートリーとしたことなどもあり、この頃よりバラエティ番組にも数多く登場するようになった。

1984年、女性アイドルグループ、セイントフォーのプロデュースに携わるが、彼女らの所属事務所との意見の相違や金銭トラブルなどが相次いで発生し、失敗に終わる。

2021年10月4日、80歳誕生日の2023年5月3日をもって歌手活動から引退することを発表。加齢による声帯の筋肉の衰えで「歌の馬力や声帯を維持することが難しくなったと実感し、それを隠したりごまかしたりするのは、自分の性格ではできない」と理由を説明した 。歌手活動引退後も芸能活動は継続する。

引用元:橋幸夫 - Wikipedia











2022年3月13日日曜日

吉永小百合



3月13日は、女優・歌手の吉永小百合の誕生日です。

吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年(昭和20年)3月13日 - )は、日本の女性俳優、歌手である。本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓、吉永。東京都渋谷区代々木西原町(現・西原)出身。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業。

1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される。

1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。

1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。同時に日活撮影所に入社。翌年、私立精華学園女子高等学校(現在の 東海大学付属市原望洋高等学校)に転入学。

1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演。また、ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで歌唱した『いつでも夢を』も30万枚の大ヒットとなった。また、この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。

1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。

1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学を次席で卒業。日活と契約更新。

1973年(昭和48年) - フジテレビディレクター岡田太郎(後の共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任)と結婚し、京王プラザホテルで披露宴を執り行う。

1988年(昭和63年) - 『つる -鶴-』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。

その後も女優として映画・CMなどへの出演に加え、原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けている。

引用元:吉永小百合 - Wikipedia







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