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2024年7月20日土曜日

カルロス・サンタナ (サンタナ)



7月20日は、メキシコ生まれでアメリカ国籍のギタリスト、カルロス・サンタナ(Carlos Santana)の誕生日です。自身の名を冠したロック・バンド「サンタナ」を1960年代から率いている。

カルロス・アウグスト・サンタナ・アルベス(Carlos Augusto Santana Alves, 1947年7月20日 - )は、メキシコ生まれでアメリカ国籍のギタリスト。自身の名を冠したロック・バンド「サンタナ」を1960年代から率いている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第15位、2011年の改訂版では第20位。

引用元:カルロス・サンタナ - Wikipedia


1966年、サンフランシスコで結成されたサンタナ・ブルース・バンドが前身である。その後サンタナと改名し、1969年にコロムビア・レコードと契約してデビュー。それと同時期にウッドストック・フェスティバルに出演し、大きな話題となった。当時のメンバーにはグレッグ・ローリーがいた。ラテン・ロックのアルバムであるファーストからは「ジンゴー」が話題になった。セカンド・アルバム『天の守護神』(1970年)がビルボード誌のアルバム・チャートで1位を獲得。「ブラック・マジック・ウーマン」はロック・クラシックスとなった。他に「僕のリズムを聞いとくれ」、「イヴィル・ウェイズ」もよく知られた人気曲である。1971年のアルバム『サンタナIII』ではニール・ショーンが加入してツイン・ギター編成となるが、ジャズ・ロック色を強めたアルバム『キャラバンサライ』(1972年)発表後、大幅なメンバー・チェンジが起こる。新たにトム・コスターらが加入した。またカルロス・サンタナはソロとして、バディ・マイルズやジョン・マクラフリンらと共演アルバムを発表している。

1973年7月の大阪厚生年金会館での模様は、横尾忠則デザインのジャケットでも有名なライヴ盤『ロータスの伝説』(1974年)に収録された。76年の「哀愁のヨーロッパ」は日本でヒットした。翌77年の「シーズ・ノット・ゼア」はアメリカ、日本両国でヒットしている。

アルバム『ジーバップ!』(1981年)は、全米9位のヒット作となる。グレッグ・ウォーカーが歌う「ホールド・オン」もアメリカで小ヒットした。その後の作品はチャート上では低迷するが、バンドは活動を継続。『フリーダム』(1987年)では、過去にサンタナと共演したドラマー、バディ・マイルス(ジミ・ヘンドリクスとも共演)がボーカルを担当した。サンタナは1998年にはロックの殿堂入りを果たした。

1999年に発表したアルバム『スーパーナチュラル』は、バンドにとって28年ぶりの全米1位獲得を果たし、アメリカだけで1500万枚、全世界で3000万枚以上を売り上げるという大復活となる。同作は、グラミー賞史上最多の9部門を受賞し、収録曲「スムース (Smooth)」は、ビルボードのHOT 100で12週連続1位を獲得、バンドにとって初の全米1位シングルとなった。2002年には、アルバム『シャーマン』も全米1位を獲得した。その後、ミシェル・ブランチをゲストに迎えた「ゲーム・オブ・ラブ」もヒットしている。

2016年のアルバム『サンタナIV』は、『サンタナIII』に参加したメンバーのうち5人が再結集して制作された。

引用元:サンタナ (バンド) - Wikipedia















2023年2月27日月曜日

ニール・ショーン (ジャーニー)



2月27日は、アメリカ出身のギタリスト、ニール・ショーンの誕生日です。主にロックバンド「ジャーニー」などの活動で有名。

ニール・ショーン(Neal Schon、1954年2月27日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト。ジャーニーの中心人物として知られる。

10歳でギターを始め、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン等に影響を受ける。その後サンタナのセカンド・ギタリストに抜擢されて、17歳の時にプロ・デビュー作となる『サンタナIII』(1971年)が発表される。1972年にサンタナを脱退し、1973年にゴールデン・ゲイト・リズム・セクションを結成。その後、ニールと同時期にサンタナを脱退したグレッグ・ローリーが合流し、ジャーニーと改名して1975年にデビュー。

1980年代に入ると、ジャーニー以外での活動も増えていく。1980年代初頭にはヤン・ハマーとの連名で2枚のアルバムを発表。1984年にはサミー・ヘイガー、ケニー・アーロンソン、サンタナ時代の盟友マイケル・シュリーヴとのユニットHSASとして、アルバム『炎の饗宴』発表。1985年にはヘヴィメタル・ミュージシャンによるチャリティ・プロジェクト「ヒア・アンド・エイド」に参加。

『Raised On Radio〜時を駆けて』(1986年)を最後にジャーニーが解散すると、元ベイビーズのジョン・ウェイト等と共にバッド・イングリッシュを結成し、1989年にデビュー・アルバム発表。同年には、初のソロ・アルバム『レイト・ナイト』も発表する。1991年にバッド・イングリッシュが解散すると、ジョニー・ジョエリが結成したハードラインに加入するが、ニールはデビュー・アルバム『ダブル・エクリプス』(1992年)に伴うツアーを最後に脱退。

1993年、ポール・ロジャースのツアーに帯同し、7月4日のマイアミ公演ではジミ・ヘンドリックスのカヴァーを多数披露。その時の音源は、ポール・ロジャースのライブ・ミニ・アルバム『シングズ・ジミ・ヘンドリックス・ライヴ』(1993年)として発表された。そして、1995年にジャーニーを再結成させる。

ジャーニー再結成以後も、様々なサイド・プロジェクトに取り組む。

卓越したギター・テクニックが高く評価され、他アーティストの作品へのゲスト参加も多い。

引用元:ニール・ショーン - Wikipedia







ジャーニー (バンド) - Wikipedia



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