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2025年7月7日月曜日

研ナオコ



7月7日は、歌手・タレント・女優・コメディエンヌの研ナオコ(けん ナオコ)の誕生日です。1971年 4月1日にシングル「大都会のやさぐれ女」でデビュー。1975年「カックラキン大放送」が放送開始、中島みゆき作詞・作曲「あばよ」「かもめはかもめ」桑田佳祐作詞、作曲「夏をあきらめて」などのヒット曲を持つ。

研 ナオコ(けん ナオコ、本名:野口 なを子、旧姓:浅田、1953年〈昭和28年〉7月7日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、コメディエンヌ。田辺エージェンシー所属。

静岡県田方郡天城湯ケ島町(現・伊豆市)出身。静岡県立三島南高等学校中退。「ナオコ節」とも称される独特のアンニュイな歌声と歌唱法で、1970年代中盤から1980年代中盤にかけて数々のヒット曲を世に送り出した。代表曲には「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などが挙げられる。

芸名の「研」の由来は、当時の所属事務所「研音」から。

歌手として活動するだけではなく、数多くのCMやバラエティ番組にも出演するテレビ・タレントとしても活躍。殺虫剤キンチョールのCM「飛んでれら、死んでれら」のキャッチフレーズやザ・ドリフターズ(特に志村けんとのコントで絡む事が多く、夜のお楽しみを狙い、精の付く物「生卵」「赤マムシ」「すっぽんの生き血」「ニラレバ炒め」をセクシーな声で言う、という持ちギャグがあり、白米や味噌汁に赤マムシドリンクを全部入れて台無しにして志村から「赤マムシ入れんのかよ」と呆れられるのがお決まりのパターン。『志村けんのバカ殿様』での「ナオコ姫」は前述のギャグに加えてバカ殿から志村の城に遊びに来るのを嫌がられるが「追い返すと人を食う」と渋々招き入れるバカ殿には厄介な人物とされている。)との共演、『カックラキン大放送』の「ナオコばぁちゃん」のキャラクターでのコントなどで人気を博した。

若手時代はザ・スパイダースのコンサートに前座として連れて行かれたが、実際にはスパイダースのメンバーが中座している最中に歌わせてもらった。その際、舞台袖で堺正章のMCを見て勉強するなどしていたため、研にとっては師匠のような存在となっている。

同期デビューの野口五郎を弟分として可愛がり、現在も時々2人でジョイントコンサートを開いている。高田みづえを妹のように可愛がり、高田も研を姉のように慕っていた。

1970年代後半には、当時下積み時代のTHE ALFEEをバックバンドにつけていたこともあった(1978年シングル発売の「窓ガラス」など)。

1976年リリースの「LA-LA-LA」以降、中島みゆきの提供曲はアルバム曲を含め15曲にのぼる。中島みゆきが詞曲共に提供した歌手では、研ナオコが最多である(2020年現在。詞の提供数では工藤静香への23曲が最多)。

1990年代以降、歌手としてのリリースは激減したものの、コンサートなどの活動は精力的に行っている。

引用元:研ナオコ - Wikipedia































2025年2月19日水曜日

財津和夫 (チューリップ)



2月19日は、シンガーソングライター・プロデューサー・俳優の財津和夫(ざいつ かずお)の誕生日です。ロックグループ「チューリップ」のリーダーでボーカリスト・キーボード・ピアノ担当。俳優としても活動する。

財津 和夫(ざいつ かずお、1948年〈昭和23年〉2月19日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優。大阪芸術大学芸術学部演奏学科教授。血液型O型。福岡県福岡市出身。

ブリティッシュロックグループ「チューリップ」のリーダーで、「和製ポール・マッカートニー」と呼ばれる日本のメロディメーカーと評されている。

大学に入学すると、吉田彰と共に和製ビートルズを目指して、1969年にチューリップの前身となる「ザ・フォーシンガーズ」を結成するが、業界からは認められなかった。1971年、バンド名を「チューリップ」に改名する。のちに海援隊や甲斐バンド、井上陽水などを生んだ福岡市の音楽喫茶「照和」でライブ活動を展開し、人気を博した。

メジャーデビューを目指し、福岡時代の旧知で、当時ビートルズのレコードを手がけた東芝音楽工業(後のEMIミュージック・ジャパン)のディレクターだった新田和長を頼って自らデモテープを売り込み、1972年に東芝音工よりシングル「魔法の黄色い靴」でレコードデビューを果たす。同年にアルバム『魔法の黄色い靴』を、翌年には2枚目のシングルとアルバムをリリースするも売れない日々が続いたが、3枚目のシングル「心の旅」(1973年。リードボーカルは姫野達也)が発売5ヵ月後にオリコンチャート第1位を獲得(チューリップとして、現在まで唯一のオリコン週間チャート1位獲得曲)。連日のようにテレビ音楽番組に出演するなど、一躍スターダムにのし上がる。

「夏色のおもいで」は、松本隆のプロとして最初期の曲(チューリップでメンバー以外が作詞した唯一の曲)であり、松本がこの曲の作詞で作曲家筒美京平に認められ、後の黄金コンビ結成のきっかけとなった。その後も財津自身がボーカルをとった「青春の影」(1974年)、「サボテンの花」(1975年)、「虹とスニーカーの頃」(1979年)などを次々と発表した。

チューリップとしての活動と平行してソロでの音楽活動も展開し、1978年にシングル「二人だけの夜」でソロデビューを果たしている。同年、NHK番組『みんなのうた』に採用された「切手のないおくりもの」は、のちに小学校の音楽科の授業で使用される歌集などにも掲載された。1979年には、2枚目のシングル「Wake Up」がテレビCMに起用されるなどヒットチャートを賑わせた。同時に、作曲家として木之内みどり、松田聖子、沢田知可子、藤井フミヤなど多くのアーティストに楽曲を提供した。

1976年、TBSドラマ『三男三女婿一匹』(宝井隆役)に準レギュラーとして出演。このきっかけは、多分あべ静江(当時チューリップと同じ事務所所属だった)が出ていたつながりだったのではないか、と自ら語っている。これ以降、俳優としても数多くの作品に出演する。

1984年、角川映画『メイン・テーマ』(御前崎渡役)、1986年、東宝映画『そろばんずく』(クライアント波野役)、1990年、松竹映画『つぐみ』(恭一の兄・高橋役)など、映画にも出演している。愛情物語では同郷出身で同じビートルズに影響を受けた鮎川誠と共演している(鮎川は久留米市出身)。

引用元:財津和夫 - Wikipedia
























チューリップ (バンド) - Wikipedia 姫野達也・財津和夫



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