2023年8月14日月曜日

山口冨士夫 (ザ・ダイナマイツ、村八分、裸のラリーズ、ティアドロップス)



8月14日は、ミュージシャン(ギタリスト・歌手)の山口冨士夫の命日です。「ザ・ダイナマイツ」「村八分」「裸のラリーズ」「ティアドロップス」などのバンドで活動、その佇まいや生き様など後進のミュージシャンに影響を与えた。2013年8月14日没。64歳。

山口 冨士夫(やまぐち ふじお、1949年8月10日 - 2013年8月14日)は、日本のロックミュージシャン。

1949年、日本人の母と、イギリス人の父の間に生まれる。しかし家庭の事情から幼少時は孤児院で育った。

1965年、先輩の瀬川洋、幼馴染みの吉田博らと「ザ・モンスターズ」を結成。

1967年、「ザ・ダイナマイツ」に改名し、ギタリストとしてデビュー。リードボーカルを務めたデビュー曲『トンネル天国』はスマッシュヒット。グループ・サウンズ・ブームの中で人気を博すも、1969年大晦日のステージで解散した。

1970年代初頭、京都に移住し、盟友・チャー坊(柴田和志)と共に伝説のバンド村八分を結成。日本のロックバンドのパイオニアとして独自なスタイルを築く。 過激な歌詞、客に媚びないステージは後のパンク・ロックにも通じた。

ダイナマイツ時代、まだ当時日本で珍しかったチョーキング奏法を逸早く取り入れ、他のプロミュージシャン達にも影響を与えた。

「トンネル天国」は元々リードボーカル瀬川の歌った「恋はもうたくさん」のB面の予定だったがディレクターがその場にいたファンの女の子に聞くと「トンネル天国」のほうがいいというそれだけでA面に逆転した。

村八分時代、眉を剃り中性的なメイクは、当時隆盛を極めていたグラムロックのそれを彷彿とさせたが、きっかけは山口の「ロックコンサートを総合的に見れば見世物と同じ」というノリからであった。

自分に黒人の血が入っていることがあまり好きではなかったが、ローリングストーンズなどが元々は黒人音楽であるブルーズがスタート地点があることを知ってから、自らの血を好むようになった。しかし、外国にはない日本のロックを目指した音楽的なスタンスも特徴的である。

2013年7月14日、東京都福生市の福生駅前のタクシー乗り場で、アメリカ人の男が別の男性を一方的に殴る現場に遭遇し、止めに入ったところ突き飛ばされて後頭部を打った。それにより急性硬膜下血腫を起こし、都内の病院に入院していたが、8月14日21時半に脳挫傷のため死去。64歳没。8月15日、元ザ・ダイナマイツの吉田博によって死去が報告された。なお、アメリカ人の男は7月20日に傷害罪で逮捕され、8月9日に起訴された。

2014年8月、晩年のライブ等を記録したドキュメンタリー映画「山口冨士夫/皆殺しのバラード」(川口潤監督)が公開された。

引用元:山口冨士夫 - Wikipedia






村八分 (バンド) - Wikipedia
裸のラリーズ - Wikipedia


ザ・ダイナマイツ - Wikipedia







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