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2025年12月5日金曜日

山内テツ (ベーシスト・フリー(バンド)・フェイセズ)



10月21日は、日本のミュージシャン・ベーシストである、山内テツ(やまうち てつ、Tetsu Yamauchi)の誕生日です。1970年代にブリティッシュ・ロック・バンド「フリー」と「フェイセズ」で活動していたことで知られる。近年では再びステージに立ち演奏を再開しているようだったが、2025年12月5日に自転車事故により亡くなったことが発表された(2025年12月4日に死去。)。79歳没。

山内 テツ(やまうち てつ、Tetsu Yamauchi、1946年10月21日 - )は、福岡県福岡市出身のロック音楽家、ベーシスト。1970年代にブリティッシュ・ロック・バンド、フリーとフェイセズで活動していたことで知られる。

本名は山内 哲夫(やまうち てつお)。1968年にマイク真木のザ・マイクスに加入して音楽活動を開始。ミッキーカーチス&サムライのメンバーとして海外遠征を経験。その後麻生レミのバック・バンドなどで活動。

1971年4月、初来日したフリーのポール・コゾフ(ギター)、サイモン・カーク(ドラム)とスタジオで出会い、意気投合して渡英。フリーはまもなく解散し、山内はコゾフ、カーク、ラビット(キーボード)と共に、コゾフ・カーク・テツ・ラビット名義で同名アルバム『コゾフ/カーク/テツ/ラビット』(1972年)を制作した。

1972年2月、フリーはコゾフ、カーク、ポール・ロジャース(ヴォーカル)、アンディ・フレイザー(ベース・ギター)のオリジナル・メンバーによって再結成されたが、まもなくフレイザーが脱退。後任に山内が迎えられた。フリーの再結成には薬物摂取癖に苦しむコゾフを救うという目的があったが、結局コゾフは活動に支障をきたしてしまい離脱。残ったロジャーズ、カーク、山内はラビットを迎えて、ロジャースがギタリストを兼任。彼等は7月にエマーソン・レイク・アンド・パーマーとのジョイント・コンサートで2度目の来日を果たし、山内もメンバーとして22日に後楽園球場、24日に阪神甲子園球場で第一部のステージに登壇して凱旋ライヴを行なった。同年10月、彼等は新作アルバムの制作を開始し、翌1973年1月にアルバム『ハートブレイカー』を発表。山内が作曲に参加した「Wishing Well」のシングルは全英チャート7位(Music Week)を記録。彼等はアメリカ・ツアーも行ったが、やがて活動が停滞気味になって自然消滅的に解散した。

1973年の後半、ロニー・レーンの後任としてフェイセズに加入。作曲に参加したシングル「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 」が1974年に全英チャート12位(Music Week)を記録。1974年2月のフェイセズの初来日公演で二度目の凱旋ライヴを行なった。

渡英した当初、彼はイギリスのミュージシャンが所属するユニオンに加入できず活動を制限されそうになったが、マスコミとファンによる支援の声が問題解決につながった。

1975年にフェイセズが解散すると帰国して、山内テツ&グッド・タイムズ・ロール・バンドを結成しライヴ・アルバムを発表。その後は日本でソロ・アルバムのリリース、クリエイションに加入するなどの活動を行なった。1985年にはフリー・ジャズのドラム奏者、羽野昌二と共にOpe Bandを結成し、1990年まで活動した。その後も羽野と共に、アルバム『デア・デヴィル』(1992年)、ヴェルナー・リュディのアルバム『気』(1996年)に参加している。

2011年以降は表立った音楽活動を行なっておらず、2012年1月6日に原宿クロコダイルにて石間秀機、ジョニー吉長らとステージに立った以外はフェイセズ再結成への参加やメディアへの取材対応も一切断り、家族と共に静かに幸せな生活を送ってきた。

約10年後の2023年の9月29日に横浜でライヴを行った。同年10月23日、MEETS DUOとして、嶋田吉隆とともに久しぶりに原宿クロコダイルのステージに立ち、翌2024年1月29日、6月6日にも出演。活発な動きを見せている。

2025年12月4日に死去。79歳没。

引用元:山内テツ - Wikipedia























2024年3月11日月曜日

竹田和夫 (クリエイション)



3月11日は、70年代に活躍したロックバンド「クリエイション」等の活動で有名な、ギタリスト・ボーカリストの竹田和夫(たけだ かずお)の誕生日です。

竹田 和夫(たけだ かずお、1952年3月11日 - )は、アメリカ合衆国在住の日本人ロック・ボーカリスト&ギタリスト。作曲家。ロックバンド、クリエイションのリーダー。東京都中央区日本橋出身。

1969年 ブルースロック・バンド「ブルース・クリエイション」を結成、ポリドール・レコードよりデビュー・アルバム『ブルース・クリエイション』を発表。厚生年金会館で開催された「第1回日本ロックフェステイバル」に参加する。

1971年 メンバーチェンジを経て「第二期ブルース・クリエイション」として日本コロムビアへ移籍。2ndアルバム『悪魔と11人の子供達』を発表後、カルメン・マキとのジョイント・アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。

1972年 「ブルース・クリエイション」を解散し新グループ「ブラッディ・サーカス」を結成・活動するが間もなく解散・渡英。その後「クリエイション」を結成。帰国後、セッションやオーデイションに明け暮れ、1973年には内田裕也と彼のバックバンド「1815 Rock’n'Roll Band」に帯同する活動も兼任した。

1975年 東芝EMIより内田裕也のプロデュースで、1stアルバム『クリエイション』を発表。ニューヨーク、ウッドストックにてフェリックス・パパラルディのプロデュースで「クリエイション」の2ndアルバム『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』を制作。ポール・バターフィールドもゲスト参加。

1976年 『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』として全米ツアーをピーター・フランプトン、イエス、キッス、ジョニー・ウィンターなどと敢行後に日本武道館公演を行う。

1977年 「スピニング・トーホールド」を収録した3rdアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』を発表。オーストラリア・ツアーをフリートウッド・マック、サンタナらと行う。

1981年 「クリエーション」に改名。アルバム『ロンリー・ハート』を発表。香港公演を1982年 まで行う。1984年10月、「クリエーション」が12年の活動に終止符を打つ。

1987年 - 1991年 竹田和夫 & ボーイズ・オン・ロックスを結成してVictor JVCより「Shoo Shoo」「Rendez-vous」「Hello Again」3枚のアルバムをリリースする。その後、竹田和夫 & EL COYOTES・竹田和夫 & GOSPEL ALL STARSでの演奏活動を続ける。

1997年3月 渡米・ロサンゼルスに移住。現地ローカルアーテイストのサポート活動を続けるとともに、自己のグループ「The KTQ」を結成。コロンビア・ヴァレーAVA地区を中心に活動。同時期、香港・中国本土などでの演奏活動も並行して行う。

2005年 国立代々木競技場代々木第一体育館で開催された「CROSSOVER JAPAN」でクリエイションの活動を再開する。

2008年 JCBホールでクリエイションのコンサートを行う。

2014年3月、クリエイションとして新作を含む過去曲のレコーデイングを行う。5月、日比谷野外音楽堂でリユニオンコンサートを行う。

2024年現在、年2回帰国し、ソロとクリエイションそれぞれの日本国内ツアーを行っている。

引用元:竹田和夫 - Wikipedia










クリエイション (バンド) - Wikipedia



2021年4月1日木曜日

アイ高野



4月1日は、歌手・ドラマーで、「ザ・カーナビーツ」「ザ・ゴールデン・カップス」「クリエイション」などで活躍しソロでも歌った、アイ高野の命日です。2006年4月1日没。55歳。

アイ 高野(アイ たかの、1951年1月12日 - 2006年4月1日)は、日本の歌手、ドラマー。ソロではあい たかの名義で活動していた時期あり。本名、高野 元成(たかの もとなり)。

日本のロック界の重鎮であった。愛称は、本名のもとなりからもっちん。

東京都出身。1966年、「ザ・カーナビーツ」を結成。16歳で『好きさ好きさ好きさ』(1967年)が120万枚を売り上げる大ヒットとなった。その後も『恋をしようよジェニー』、『オーケイ』等のスマッシュヒットを飛ばし、GSブームを牽引した。

高野はカーナビーツ解散後、本格的なニュー・ロック・バンドとなっていた「ザ・ゴールデン・カップス」にドラマーとして加入。

1980年には「ブルース・クリエイション」を母体とした「クリエイション」に参加。アイ高野加入時から音楽性が、大幅に西海岸サウンド寄りのロックバンドへと変化した。

1983年に『ペットントン』の主題歌を、1985年に『巨獣特捜ジャスピオン』の主題歌を歌った。また、MOTCHIN名義で1983年に『銀河疾風サスライガー』の主題歌を担当している。これらと並行して、アニメ『愛してナイト』とのタイアップ企画で、藤村幸宏らとともに「アイ高野とビーハイヴ」としてアルバムを発表した。

2006年4月1日、急性心不全のため都内の病院で死去した。55歳。

引用元:アイ高野 - Wikipedia





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