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2024年5月30日木曜日

火野正平 (二瓶康一)



5月30日は、俳優・歌手の火野正平(ひの しょうへい)の誕生日です。旧芸名は二瓶康一(にへい こういち)。

火野 正平(ひの しょうへい、1949年〈昭和24年〉5月30日 - )は、日本の俳優・歌手。東京都目黒区生まれ。シーズ・マネージメント所属。

東京で生まれ、中学・高校時代に大阪在住。 12歳のころから『劇団こまどり』に所属。

1962年にフジテレビの『少年探偵団』でデビュー。

1966年『わんぱく砦』に出演しファンレターが1日に山のように届くほどの人気を集めたが、人気はすぐに無くなり、この世界の厳しさを知ったという。また制作会社社長から「視聴率がアップしたらギャラを上げてやる」と約束されたが、実際には番組が好調で視聴率が上がれど、ギャラが一向に上がらないことに怒り、社長に直談判したが、逆に嫌味を言われてその社長を追い回した。同年には佐伯幸三監督、加山雄三主演映画『何処へ』で映画初出演を果たした。

1971年から、『おれは男だ!』、『刑事くん』などの端役、『太陽にほえろ!』などにゲストで出演した。

1973年、1965年度のNHKの大河ドラマ『太閤記』で緒形拳がブレイクしたことで、第二の緒形を作るべくNHKの指示で改名、池波正太郎が名付け親となり(「火のように力強く」から火野、池波正太郎の「正」から正平)、「火野正平」として大河ドラマ『国盗り物語』に羽柴秀吉役で出演、当たり役となり人気を集めた。同じ事務所の近藤正臣が『国盗り物語』で明智光秀を演じることが決まり、「サル(秀吉のあだ名)ならうちの事務所にも居ますよ」と事務所の人間がNHKの関係者に紹介し出演が決まった。

1974年、舛田利雄の監督作品映画『俺の血は他人の血』で8年振りとなる映画出演、初主演を果たした。

1977年『新・必殺仕置人』、1980年『服部半蔵・影の軍団』、1983年からの『長七郎江戸日記』、などの多くの時代劇や映画、2時間ドラマに出演した。

2011年からは日本全国を自転車で巡るNHK BSプレミアム『にっぽん縦断 こころ旅』で旅人を務め、その姿が中高年を中心に人気を集めている。

2019年、『釣りバカ日誌~新米社員 浜崎伝助~瀬戸内海で大漁! 結婚式大パニック編』にゲスト出演、以前から似ていると評判になり、隠し子説が囁かれることもあった濱田岳と初共演した。

引用元:火野正平 - Wikipedia

















2023年3月17日金曜日

山本陽子



3月17日は、女優の山本陽子の誕生日です。

山本 陽子(やまもと ようこ、1942年3月17日 - )は、日本の女優。東京市(現東京都)中野区出身。左利き。株式会社三陽企画所属。國學院高等学校卒業。

高校卒業後、野村證券に勤務していたが、1963年に知人が日活に山本の応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り(同期は西尾三枝子、谷隼人、沖田峻一郎など)。1963年に女優デビュー(ただし、マスメディアによっては「1964年4月にデビュー」とする場合もある)。

映画では吉永小百合ら「日活三人娘」の人気に押され、なかなか作品には恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは日本的で清楚な美貌で人気を集めた。

清楚な役から悪女までカバーし、女優としての地位を確立。以後、幅広い役をこなす高視聴率女優の1人として人気を博す。

初舞台は1971年森光子主演の『放浪記』悠起役で初舞台を踏み、その後1980年、『花埋み』で舞台初主演して以来、舞台女優として数々の恵まれた作品に出演し精力的な活躍をしており、その演技も高く評価されている。

1994年の『おはん』の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞し、上演回数は400回以上を記録している。2006年には、舞台『いろどり橋』の演技にて名古屋演劇ペンクラブ賞を受賞。2008年、2009年には『放浪記』の舞台では今度は日夏京子役で上演回数2000回記念舞台に出演している。

山本海苔店のイメージモデルを長年務めており、2010年、42年という専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定された。

2012年頃から、第2の人生を楽しむために東京からとある地方で移住生活を送っている。

引用元:山本陽子 - Wikipedia











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