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2025年11月7日金曜日

上原謙



11月7日は、俳優の上原謙(うえはら けん)の誕生日です。戦前・戦後の日本映画界を代表する二枚目スターの一人。実子に俳優・歌手の加山雄三がいる。1991年11月23日に急性心不全で死去。82歳没。

上原 謙(うえはら けん、(1909年〈明治42年〉11月7日 - 1991年〈平成3年〉11月23日)は、日本の俳優。本名は池端 清亮(いけはた きよあき)。戦前・戦後の日本映画界を代表する二枚目スターの一人である。

松竹時代、先輩女優である吉川満子、飯田蝶子、栗島すみ子につけられたあだ名は「シルヴァーフォックス(=銀ぎつね)」、「接待係の謙」、「ドアボーイの謙」だったという。接待係、ドアボーイの由来は上原が面倒見がいいことから来ている。ちなみに8クラブの他のメンバーにつけられたあだ名は佐分利が「海亀の信」、佐野が「アドバルーンの周二」、徳大寺が「三度笠の伸」、近衛が「置き物のトシ」、夏川が「級長面の大チャン」だった。

戦前戦後の全盛期は圧倒的な美貌で人気を博し、「絶世の二枚目スター」だった。それゆえ女性関係の話題には事欠かず、最初の妻である小桜は数度自殺未遂に追い込まれている。

『モスラ』で共演した小泉博は、上原からとても可愛がられたといい、上原が車を買い替えた際にはそれまで乗っていたツートーンカラーのシボレーを譲り受けたという。

東宝の俳優であった中島春雄によれば、上原は俳優仲間らをバス旅行に招待するなどしており、紳士的な人物であったと証言している。

晩年には男性用カツラのCMに堂々と出演し(自らカツラを着用していると宣言)お笑いバラエティー番組にも熱心に登場。子供向け特撮番組にも出演している。共演しているコメディアンのギャグを「わたしもやりたい」と懇願し、「大スターの上原さんにそこまでさせるのはまずい」と裏方スタッフを困らせるなど、飾らない庶民的な一面も見せていたという。元々、上原自身はダジャレや冗談を言うのが大好きだったらしく、終戦後、地方公演をしていた時期には伴淳三郎と自ら進んで舞台でコント等をやっていたという。ちなみに、喜劇映画に出たがっていた上原の念願かなって出演した『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年、坪島孝監督)では、『花咲く港』のペテン師をさらに昇華させたようなチョビ髭にズーズー弁の社長役を演じた(この演技は本人の「ズーズー弁でやりたい」という希望によるもの)。

息子の加山に対しては厳しい父親であったが、後に映画界入りし、1961年に加山を主人公とした映画『若大将シリーズ』の製作が始まった際には、プロデューサーの求めに応じて起用方法のアドバイスを行うなど子ども思いの一面もあった。しかし、加山がヒット作を連発すると、大きな子供を持つ父親というイメージのため、次第に二枚目として主要な役を得ることが困難となった。

大林との夫婦喧嘩が絶えなくなり1991年6月の末に、離婚。その後は加山の家にひっそりと身を寄せ、1991年8月には親子でニューヨークに旅行したが、年のせいか足腰が弱くなり、一人で風呂に入ることを心配されていたが「大丈夫だ」と言い、11月23日に風呂場でぐったりしているところを家政婦が発見、三鷹市の杏林大学付属病院に救急車で運ばれるものの蘇生することはなく、午後3時44分に急性心不全で死去(享年82歳)。会見で加山は「この一年半は心労が続き、静かな老後を送らせたかった」と涙をこらえながら語った。

引用元:上原謙 - Wikipedia

















2023年12月11日月曜日

谷村新司 (アリス)



12月11日は、シンガーソングライター・タレントでフォークグループ「アリス」のメンバーとして、ソロでも活躍した谷村新司の誕生日です。2023年10月8日没。74歳。

谷村 新司(たにむら しんじ、1948年〈昭和23年〉12月11日 - 2023年〈令和5年〉10月8日)は、日本のシンガーソングライター、タレント、作詞家、作曲家、大学教授。アリスのリーダー。大阪府大阪市住之江区(当時は住吉区)の出身で、同南河内郡長野町(現・河内長野市)生まれの同大阪市東住吉区桑津育ち。愛称はチンペイ。

血液型はAB型(ABO)。3人兄姉の次男(兄1人、姉1人)。娘は歌手の谷村詩織。

高校在学中に同級生の山本峰幸と、友人のガールフレンドの妹で声楽をやっていた3歳年下の島津ちづ子の3人でバンド「ロック・キャンディーズ」を結成する。

1970年、大阪万博の会場で、後にアリスの所属事務所「ヤングジャパン」社長となる細川健と知り合う。細川の音頭取りで実行したアメリカ・コンサート・ツアーで「ロック・キャンディーズ」や「ザ・フォーク・クルセダーズ」らと共に参加していたソウル・バンド「ブラウン・ライス」のドラマー矢沢透と知り合い意気投合。帰国したら一緒にグループを組もうと約束する。

帰国した谷村は、アマチュア・ロック・バンド「フーリッシュ・ブラザーズ・フット」のボーカル堀内孝雄をアリスに勧誘。堀内は「ポート・ジュビリー」で、既に谷村とは知り合いだった。

1971年12月25日、谷村、堀内の2名で「アリス」結成。

1972年3月5日、シングル「走っておいで恋人よ」でデビュー。同年5月5日、矢沢が正式に合流し、現在のアリスとなった

アリスは、地道なライブ活動(1974年には年間303ステージという記録が残っている)と1975年の「今はもうだれも」のヒットを契機に、「冬の稲妻」、「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「狂った果実」等のヒット曲を連発する。1978年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。

アリスの活動と並行して、ソロ活動も開始。1979年の「陽はまた昇る」を経て、1980年の「昴 -すばる-」で一定の完成をみる。1981年にはシングル「群青」が東宝映画『連合艦隊』の主題歌となる。

1987年、アリスとしての活動を再開。シングル「BURAI」、アルバム『ALICE X』をリリースし健在をアピール。ただし、この時はコンサート・ツアーは行わず、数本のテレビ番組出演をするにとどまった。その後アリスは再び長い活動休止期間に入る。

1992年11月16日、加山雄三と連名でシングル「サライ」を発表。日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、現在でも番組を代表する曲として歌い継がれている。

2023年3月、急性腸炎のため入院。6月よりアリスの全国ツアーを控えていたが、ドクターストップにより休止。年内いっぱいは治療に専念し、定例のクリスマスディナーショーおよびピアノリサイタル「歌暦」も中止とした。

同年10月8日、死去。74歳没。葬儀は15日に近親者のみで営まれ、死去は16日に公表された。戒名は「天昴院音薫法樂日新居士」(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)。

引用元:谷村新司 - Wikipedia
















アリス (フォークグループ) - Wikipedia



2023年4月11日火曜日

加山雄三



4月11日は、歌手・俳優の加山雄三の誕生日です。

加山 雄三(かやま ゆうぞう、本名:池端 直亮(いけはた なおあき)、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手・俳優。神奈川県茅ヶ崎市出身。職業はタレント業のほか、音楽家としてはギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者として、このほか画家としても活動している。勲等は旭日小綬章。

ニックネームは若大将。作曲家として弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。

父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー、『独立愚連隊西へ』で初主演。当時、東宝本社と同じく有楽町にあった渡辺プロダクションにも一時期在籍した。

1961年、『夜の太陽』で歌手デビュー。NHK『紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本で初めて多重録音を手がけた歌手でもある。

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された『君といつまでも』はレコード販売350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売上面で劣る橋幸夫の『霧氷』が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。

俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の「若大将シリーズ」が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。

1964年、加山雄三は従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟と、大矢茂の4人で、第二期ザ・ランチャーズを再結成した。

1965年、7月~8月にかけて、ザ・ベンチャーズとTV番組で共演し、永年に渡る彼らとの交友関係のきっかけとなった。

その後、活動の主軸をテレビに移し、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET→テレビ朝日系)を始めとするバラエティ番組、『江戸の旋風』『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマやドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」のヒットで徐々に息を吹き返す。加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をする程、「理想の家族」としても認知度が高い。1990年前後の時点では本業は俳優であると述べていたが、21世紀に入ってからは俳優活動は殆ど行なっておらず、歌手としての活動がメインになっている。

2022年6月19日、年内でコンサート活動から引退することを発表した。最終公演は、豪華客船「飛鳥II」でのクルージングコンサート(同年12月6-8日と8-10日)。同月8日には、NHKが同年大晦日の第73回NHK紅白歌合戦への出場を発表し、コンサート以外でも人前で歌うのはこれが最後となった。

引用元:加山雄三 - Wikipedia












ザ・ランチャーズ - Wikipedia



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