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2025年8月4日月曜日

渡辺文雄 (俳優)



8月4日は、俳優・タレントの渡辺文雄(わたなべ ふみお)の命日です。俳優としての活動の他「くいしん坊!万才」の初代リポーターや「遠くへ行きたい」のリポーターなどでお馴染み。2004年8月4日、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。74歳没。

渡辺 文雄(わたなべ ふみお、1929年10月31日 - 2004年8月4日)は、日本の俳優、タレント、エッセイスト。東京府東京市神田区東松下町(現:東京都千代田区神田東松下町)生まれ。

旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)から旧制静岡高校(静岡大学の前身)を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、電通に入社。翌年に電通から松竹に出向。1956年、出向先の松竹で小林正樹監督の映画『泉』に出演したことがきっかけで役者デビュー。その後電通を退社して松竹の専属俳優となる。この頃は、端整な顔立ちを生かしたヒロインの相手役が多かったが、本人はそれが嫌だったという。1961年、大島渚・小山明子らとともに松竹を退社し、創造社の結成に参加。以後、大島作品の常連俳優となる。1960年代後半から1970年代前半にかけて多くの東映ヤクザ映画で悪役として出演。仁義知らずの現代インテリヤクザの役が多かった。

『くいしん坊!万才』の初代リポーターとしても知られ、お茶の間にも広く顔が知れ渡るようになる。読売テレビの『遠くへ行きたい』のリポーターとしても知られ、2013年当時も同番組最多出演者の座にあった。これらの番組出演の経験を踏まえたエッセイも執筆しており、多くの著書がある。日本エッセイストクラブ会員。

2001年7月に飛騨・世界生活文化センター(岐阜県)の館長に就任。最晩年まで『遠くへ行きたい』や日本テレビの『おもいッきりテレビ』のゲストコメンテーター等、その知性を生かして多方面で活躍していたが、亡くなる約2か月前に体調不良を訴え入院。その際に肝臓癌であることが分かったが、入院から2週間後には意識混濁を起こすなど既に病状は末期症状を起こしており手の施しようがなかった。2004年8月4日午前1時47分に急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。74歳没。

引用元:渡辺文雄 (俳優) - Wikipedia























2025年7月4日金曜日

山本コウタロー



7月4日は、シンガーソングライター・タレント・政治活動家の山本コウタロー(やまもと コウタロー)の命日です。1969年から「ソルティー・シュガー」で活動、「走れコウタロー」をヒットさせ、1974年に「山本コウタローとウィークエンド」を組み「岬めぐり」をヒットさせる。後にタレントやテレビ番組の司会等で活躍。2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。

山本 コウタロー(やまもと コウタロー、本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)、1948年〈昭和23年〉9月7日 - 2022年〈令和4年〉7月4日)は、日本のシンガーソングライター、タレント、政治活動家、環境学者。白鷗大学名誉教授。オフィスプロフィット所属。芸名は山本 コウタロー(コータローではない)だが、作曲や大学で教鞭を執るときは本名で行っていた。

大学在学中からフォーク・グループソルティー・シュガーのメンバーとして活動。日本におけるコミックソングの代表作の一つともいえる「走れコウタロー」を1970年にリリース。その面白さから第12回日本レコード大賞新人賞を受賞するヒットソングとなった。1971年、ソルティー・シュガー解散後、高田渡、シバらとともに武蔵野タンポポ団のメンバーとして、第3回全日本フォークジャンボリーに参加。歴史の転換点として伝説化しているサブステージでの吉田拓郎の「人間なんて」の長時間演奏ではステージに上がり、バックコーラスを務めた。この頃からなぎらけんいち(現:なぎら健壱)らと親交を持つ。 1972年、一橋大学社会学部卒業。卒論は「たくろう・スーパースター」という題名で、後に『誰も知らなかったよしだ拓郎』(八曜社、1974年)として出版された。

その後ソロ活動を経て、1974年に森一美(男性、元・黒崎とかずみ)、板垣秀雄(元・ピピ&コット)とフォークグループ「山本コウタローとウィークエンド(1976年以降はウィークエンドに改称)」を結成。1974年6月1日(土曜日)に発売されたデビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒット。「走れコウタロー」と並んで、現在でも歌い継がれるスタンダードとなっている(2008年には京急三崎口駅の電車到着メロディ、2017年2月10日より京急三浦海岸駅の電車到着メロディに採用されている)。

1971年から1978年までTBSラジオの深夜放送『パック・イン・ミュージック』金曜日の第1部パーソナリティを担当、第2部は後に山本のパートナーとなった吉田真由美(DJ、映画評論家)が担当。『パック・イン・ミュージック』終了後、単身アメリカに渡り、約2年間生活。帰国後『アメリカあげます』(ほんの木社)を書き上げた。その後は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の火曜日と金曜日のレギュラーとテレビ番組の司会(『午後は○○おもいッきりテレビ』初代司会者)、タレント、役者などで活躍。ニッポン放送『バイタリス・フォーク・ビレッジ→ライオン・フォーク・ビレッジ』のパーソナリティも担当した。

2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。訃報は同月15日に公表された。

引用元:山本コウタロー - Wikipedia



























2025年1月25日土曜日

さとう宗幸



1月25日は、歌手・俳優・司会者のさとう宗幸(さとう むねゆき)の誕生日です。1978年5月に発売された「青葉城恋唄」が全国的に大ヒット。1981年「2年B組仙八先生」で伊達仙八郎役で主演している。現在も歌手や俳優、司会者として活動中。

さとう 宗幸(さとう むねゆき、本名:佐藤 宗幸(読み同じ)、1949年1月25日 - )は、日本の歌手・俳優・司会者。所属事務所はさとう音楽事務所。岐阜県可児市生まれ、宮城県古川市(現・大崎市)育ち。現在は宮城県仙台市泉区在住。東北学院大学経済学部卒業。愛称は「宮城のじいじ」「宗さん」。

トレードマークの髭は、敬愛する歌手ジョルジュ・ムスタキを意識してのものである。 宮城県出身のフィギュアスケート選手羽生結弦からは、宮城のじいじと称される。

「青葉城恋唄」のヒットをきっかけに全国区の人気者となり、ドラマにも出演するようになった。

「2年B組仙八先生」では伊達仙八郎として主演し、生徒役を務めた薬丸裕英・本木雅弘・布川敏和(この3人は後にシブがき隊としてデビューし、人気アイドルとなる)・三田寛子らと共演した。また、NHK大河ドラマで歴代1位の視聴率を得た「独眼竜政宗」では、支倉常長を演じた。

1992年、関西テレビ制作のドラマで主演したのを最後に、2018年まで俳優活動は行っていなかったが2018年夏に仙台で撮影され2020年1月に公開された映画「ラストレター」に俳優として久々に出演した。

1990年(平成2年)1月6日から9月29日まで、毎週土曜昼に仙台放送「スーパーSAT」で司会を担当し、宮城県でのレギュラー番組を持った。

1995年(平成7年)、地元仙台に戻り、夕方ワイド番組の「OH!バンデス」(ミヤギテレビ)の司会となる。番組は高視聴率を獲得し続けており、いまや宮城県では司会者「宗さん」として定着し、東北地方全体でも、伊奈かっぺい(1年先輩)と並ぶ著名なローカルタレントとなっている。

引用元:さとう宗幸 - Wikipedia



















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