8月26日は、ギタリストの和田アキラの誕生日です。主にフュージョンバンドの「プリズム」等で70年代から活動していた。2021年3月28日没。64歳。
和田 アキラ(わだ あきら、本名・和田 晃(読み同じ)、1956年8月26日 - 2021年3月28日)は、日本のギタリスト。東京都品川区出身。フュージョンバンドのプリズムを中心に活動していた。
1975年に日本初のフュージョンバンドとなるプリズム(ただし、この時点ではまだバンドの名称は決まってなかった)が結成され、プロとしての活動をスタートさせる。
デビュー前のプリズムの音楽性は、当時の和田が趣向していたロック&ブルース・ギタリストのカルロス・サンタナ率いるラテン・ロック・バンドのサンタナ、ジャズ・ピアニストのチック・コリア率いるエレクトリック・バンドのリターン・トゥ・フォーエヴァー、そのバンドのギタリストであるアル・ディ・メオラらのインスト音楽に影響を受けたもので、そこにセッション活動開始後の1975年、かねてから注目していたロック・ギタリスト、ジェフ・ベックの全曲インスト・アルバム『BLOW BY BLOW』が発表されるに至って決定的となった。また、同時期に発表された、超絶技巧のアラン・ホールズワースがギタリストであったトニー・ウィリアムス・ニュー・ライフタイムのアルバム『BELIEVE IT』、ジョン・スコフィールドがギタリストであったザ・ビリー・コブハム - ジョージ・デューク・バンドのライブ・アルバム『"LIVE" ON TOUR IN EUROPE』などからはバンド・サウンドづくりの面で多大な影響を受けていた。
1976年、プリズムのデビューアルバム『PRISM』をレコーディング開始。それまで上述したアーティストらのカバー演奏主体だったものが、デビューに合わせてメンバー作曲によるオリジナル曲路線に変更し、このデビューアルバムでは、プリズムを牽引していた和田が7曲全てを作曲している。高い演奏能力に加え、インストによるハードロックを基調にしながらも、ジャズ、エスニック、プログレッシブ・ロックを織り交ぜた、いままでにない楽曲群にも評価が集まった。また、レコーディング中にプロデューサー判断により、以前からプリズムのメンバーと面識があり、四人囃子を脱退したばかりの森園勝敏がレコーディングに参加し、そのままプリズムに加入。森園は二年後にプリズムを脱退してソロ活動に移行するものの、その後も和田をはじめ、プリズムとは現在に至るまで親交があり、機会があれば頻繁に共演もしていた。
速弾きと変拍子をいとも簡単に弾きこなす超絶技巧のプレースタイルは、同じフュージョンのフィールドで活動していたカシオペアの野呂一生、ハードロックのフィールドで活動していたBOWWOWの山本恭司、レイジーからLOUDNESSを経てヘヴィメタルのフィールドに進出した高崎晃ら同世代のプロギタリストとともにアマチュアのギター少年たちにとって憧れの的となり、1970年代後半にはグレコのギターのテレビCMに出演して強烈な印象を与えたほか、1981年にはソロ名義でギター教則レコード『AKIRA WADA THE GUITAR』を出した。1983年には初のソロアルバム『OUT & ABOUT』を発表。また、それらと前後して1980年頃よりプリズムでの活動と並行して、深町純が創設したフュージョン・バンドのキープ、松岡直也のビッグバンド、ウィシングにも参加。この二人との出会いと共演は、その後の和田の活動に大きな影響を与える。
2018年の年末に病気で倒れ、以降は療養のためにプリズム他すべての活動を休止していたが、2021年3月28日に敗血症による多臓器不全のため、神奈川県内の病院で死去。64歳没。