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2025年9月30日火曜日

多々良純



9月30日は、俳優の多々良純(たたら じゅん)の命日です。1936年11月に舞台からスタートし、1940年「彦六なぐらる」で映画初出演をする。以降名バイプレーヤー(名脇役)として活動をする。数々の特撮物出演においてもそのバイプレーヤーぶりを見せつけていた。2006年9月30日、肺機能不全のため死去。89歳没。

多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006年9月30日)は、日本の俳優。本名:田足井 重二〈たたらい しげじ〉。

宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)出身。東京府立第九中学校卒業。新倉事務所に所属していた。

新築地劇団研究生、苦楽座、劇団民藝など舞台俳優として活動し、数多くの映画・テレビドラマに出演。頑固ながら根は優しい役などに定評があり、軽妙な役もこなせる貴重なバイプレーヤーとして活躍した。

1936年(昭和11年)10月、新築地劇団に入所、同期に殿山泰司、千秋実、小山源喜らがいた。同年11月の劇団公演『女人哀詞』(山本有三原作)で初舞台を踏んで以来、『どん底』『土』『ウインザーの陽気な女房』などの舞台に出演。1940年(昭和15年)に千葉泰樹監督の『彦六なぐらる』で映画に初出演する。同年7月に応召され、近衛歩兵第2連隊に入隊、仏領インドシナから中支にかけて転戦した。1943年(昭和18年)に召集解除されると役者生活に戻り、丸山定夫、薄田研二らの苦楽座に参加、慰問公演で全国を回る。1945年(昭和20年)6月、再召集され、陸軍東海第五部隊に入隊する。多々良が応召された後、苦楽座は桜隊と改称して広島市ヘ巡業するが、2カ月後の8月6日、桜隊は原子爆弾の投下に遭い、丸山・園井恵子・高山象三ら演劇隊員9名が犠牲となった。運良く助かった多々良はその1カ月後、炊事班長の陸軍伍長で終戦を迎えるが、劇団員たちの訃報を聞き愕然とした。

1947年(昭和22年)、宇野重吉・滝沢修らが結成した民衆芸術劇場(第一次民藝)に参加。続いて1950年(昭和25年)発足の劇団民藝に加わり、『かもめ』『炎の人』などに出演。傍ら映画にも出演するようになり、1952年(昭和27年)に民藝を退団してからは本格的にフリーの映画俳優として活動を始める。アクの強い芸達者な脇役として地位を固め、渋谷実監督の『現代人』、黒澤明監督の『七人の侍』、久松静児監督の『警察日記』といった名作に出演。善人役から悪役まで難なくこなし、名バイプレイヤーとして活躍した。1956年(昭和31年)には『あなた買います』『鶴八鶴次郎』などの演技で第7回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞している。映画・舞台のほか、1960年代からテレビドラマにも盛んに出演し、その存在感をアピールした。

日朝文化交流協会の副理事長を務めていたことがあり、『資料・朝鮮民主主義人民共和国』の冒頭には金丸信・上田哲・宇都宮徳馬・斉藤一雄・佐々木秀典らと共に、推薦の言葉を寄せている。

2006年(平成18年)9月30日午後0時40分、肺機能不全のため東京都内の病院で死去。89歳没。

趣味は園芸、健康法、料理、釣り。自ら編み出した催眠体操の普及にも努め、『ストレスに勝つ 多々良純の催眠体操』などの著書がある。

引用元:多々良純 - Wikipedia





















2023年5月6日土曜日

和泉史郎


和泉 史郎 Shirou IzumiさんはTwitterを使っています: 「先日、ファンの方から 『チェンジブレス』 頂いちゃいました‼️美品で当時のまま!何十年ぶりに大空勇馬の腕に!懐かし〜〜ありがとう #チェンジマン #チェンジブレス https://t.co/IAoGBMPUPo」 / Twitter

5月6日は、元俳優の和泉史郎の誕生日です。1985年にスーパー戦隊シリーズ「電撃戦隊チェンジマン」大空勇馬/チェンジペガサス役や1992年「恐竜戦隊ジュウレンジャー」にブライ/ドラゴンレンジャー役で出演し人気を博す。

和泉 史郎(いずみ しろう、1961年5月6日 - )は、日本の元俳優。本名は常盤 一郎(ときわ いちろう)。

千葉県出身。千葉県立八千代東高等学校卒業。以前は、Vacdeville、放映新社に所属していた。既婚。

東映演技研修所を経て、東映俳優センターに所属。その後、劇団東京ヴォードヴィルショーなどで活躍した。

1985年、スーパー戦隊シリーズ『電撃戦隊チェンジマン』の大空勇馬 / チェンジペガサス役として出演。

1992年、同じくスーパー戦隊シリーズ『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のブライ / ドラゴンレンジャー役として再び出演し、シリーズ初の6人目の戦士を演じた。

特技は、剣道、野球、ゴルフ。2000年に芸能界を引退し、現在は丸ビル内の天ぷら店「天まる」に勤務している。

引用元:和泉史郎 - Wikipedia




電撃戦隊チェンジマン - Wikipedia


恐竜戦隊ジュウレンジャー - Wikipedia



2023年3月18日土曜日

曽我町子



3月18日は、女優・声優・歌手の曽我町子の誕生日です。数々の特撮番組の悪の女王・魔女役を演じた事で有名。2006年5月7日没。68歳。

曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。

あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。

『チロリン村とくるみの木』のリップちゃん役で声優としてデビュー。声優としては『オバケのQ太郎』のQ太郎が著名な役の一つ。1961年、アメリカ映画『青い目の蝶々さん』が映画デビュー作となる。1962年の時点では東京俳優生活協同組合に所属し、1963年の時点ではフリーランスで活動。1965年の時点ではエマノン事務所に所属。

舞台、テレビドラマでも活躍。『レインボーマン』のゴッド・イグアナ役をはじめ、スーパー戦隊シリーズ(テレビ朝日系)では『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』でヘドリアン女王、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で魔女バンドーラを演じた。その他『魔法戦隊マジレンジャー』など数々の特撮番組に出演、悪の女王・魔女役を数多く演じた。

『ジュウレンジャー』は後にアメリカでも『パワーレンジャー』シリーズとして放送されて大ヒットとなった。

1983年に俳優業の傍ら、東京・原宿に趣味の古美術品収集を生かしたアンティークショップ「ステラ」を開業(後に国立市の自宅を改装して店舗を移転)、アクセサリー・オリジナル香水のデザインなど商品開発も手がけていたほか、休店日などにはファンとの交流会なども同店内で催していた。

2006年5月7日、自宅のあるマンションで亡くなっているところを、訪れた知人によって発見された(死因は膵臓癌)。68歳没。生涯独身だった。

引用元:曽我町子 - Wikipedia












「謎の女B」は1969年に映画『華やかな女豹』(日活)の挿入歌となった。平岡精二によるセルフカバーをはじめ、EGO-WRAPPIN'やキノコホテル、渚ようこらにカバーされている。後年、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(TOKYO FM)の1コーナー「うさんくさいPOPS」でも取り上げられた。



2021年1月8日金曜日

千葉麗子



1月8日は、元アイドル・女優であった千葉麗子の誕生日です。かつては「電脳アイドル」などと呼ばれたりもした。

千葉 麗子(ちば れいこ、1975年〈昭和50年〉1月8日 - )は、日本の実業家、ヨーガインストラクター、元女優・元声優・元アイドル。愛称は「チバレイ」。

既婚。福島県出身。以前はティアンドウェーブに所属していた。

1991年に芸能界デビューし、アイドルグループ「オーロラ五人娘」のメンバーなどとして活動した。
1992年、「スーパー戦隊シリーズ」第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー』にメイ/プテラレンジャー役で出演し、注目を集める。戦隊ヒロインとしては当時最年少であった。
1993年にドラマ 『ひとつ屋根の下』に出演したほか、ネッスルクランチや大正製薬アイリスCL-1などのCMに出演。翌年にはドラマ『南くんの恋人』や、『餓狼伝説SPECIAL』の主題歌『Non Stop! One Way Love』でソロCDデビューを果たしている。
PC系の知識が豊富で、パソコン雑誌や黎明期のネットワーク関連誌にも頻繁に登場していたことから、電脳アイドルと呼ばれた。当時所属していた芸能事務所にMacintosh LCがあったことがきっかけでパソコンに興味を持ち、パソコン通信のEYE-NETやNIFTY-Serveに自分のフォーラムを持ち、ファンと交流していた。
1995年5月に芸能活動を引退し、ゲームソフトウェア会社に一般OLとして就職。同年11月には、アイドル時代から精通していたパソコンなどのソフトウェアを扱うベンチャー企業 「チェリーベイブ」を起業した。『ありす in Cyberland』(グラムス)のプロデュースなどを行なっていた。
2002年にヨーガのインストラクター資格を取得、2004年7月にはNHK教育テレビ「まる得マガジン」でヨーガ講座を担当した。
アイドルを引退後はヨーガ関連の番組に講師としての出演のほか、『THE KING OF FIGHTERS EX 〜NEO BLOOD〜』(2002年1月1日発売)では、葉花萌の声優を務めている。
2010年、週刊プレイボーイ、雑誌フライデーにセミ・ヌードのグラビアを掲載。清水清太郎撮影の写真集『WITHIN』、およびDVDを発売。

引用元:千葉麗子 - Wikipedia







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