2022年10月24日月曜日

ビル・ワイマン (元 ローリング・ストーンズ)



10月24日は、イングランド出身のミュージシャン・ベーシストのビル・ワイマンの誕生日です。一般にロックバンド「ローリング・ストーンズ」のベーシスト(1962年〜1993年)としてよく知られる。

ビル・ワイマン(Bill Wyman, 1936年10月24日 - )は、イングランド出身のロックミュージシャン、ベーシスト、音楽プロデューサー。出生名はウィリアム・ジョージ・パークス(William George Perks)だが、英空軍時代の友人リー・ワイマンの姓を芸名として使用、1964年6月に改姓届けを出し、以後ワイマンが本名になる。1962年から1993年までロック・バンド、ローリング・ストーンズのベーシストであったことで最も有名で、ソロ活動においてもヒット曲を送り出している。

ビルのプレイはベースソロや派手なフレーズとは無縁だったものの、そのプレイはチャーリーと共に「ロック界で最もまともなリズムセクション」と評された。二十歳を過ぎてからギターを始め、その後ベースに転向するという珍しい経歴を持つが、ビル自身は「ベースは俺の性格にも外見にも合っている」と語っている。しかし、1967年からは曲によってはキースやミック・テイラー等、他のメンバーにベースを代わられてしまうケースもあった。『メイン・ストリートのならず者』(1972年)と『山羊の頭のスープ』(1973年)に至っては、収録曲のうち半数以上でビル以外の人物がベースを弾いている。

ビルは自身のパートを録り終えたら他のメンバーが残っていても帰ってしまうことが多く、その理由を「他の奴の邪魔になるからさ。口出しする奴が多いとろくなことにならない」としている。ただし「悪魔を憐れむ歌」では、ビルが参加していたにもかかわらずベースは最初からキースが弾いていた。バンドの代表曲の一つである「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のベースもキースが弾いており、ビルは同曲ではオルガンを担当している。しかし曲や歌詞を覚えるのは早かったため、他のメンバーがベースを弾いた曲でも難なくそれを再現して見せた。ベースを弾く時は、ネックを垂直に近い角度までに立てて構えるが、これについて本音かどうかは定かではないが「ネックでスポットライトを遮って客席の女の子の顔が見えやすくなるようにしている」と答えたことがある。

元々マルチプレーヤーだったビルは、ブライアンほどではないにせよベースの他にも様々な楽器を担当した。ピアノやギターはもちろん、オートハープやヴィブラフォン、「ルビー・チューズデイ」ではキースと二人がかりでコントラバスも演奏した。

グループ内ではミックとキースの陰に隠れがちだったビルだが、ボブ・ディランは「ストーンズはもう終わってる。ビルがいなければただのファンク・バンドだ」とビルの必要性を指摘している。ビル自身も2010年のインタビューで「私がいた頃はもっと危険で、ゆるい感じの演奏をしていた。今はクリック・トラックに合わせて演奏しているみたいで、機械的だ」と、近年のストーンズを批判している。

ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第23位に選ばれている。

引用元:ビル・ワイマン - Wikipedia







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