2022年10月13日木曜日

太地喜和子 (志村妙子)



10月13日は、女優の太地喜和子の命日です。1992年10月13日没。48歳。旧芸名は志村妙子。

太地 喜和子(たいち きわこ、本名読み;たいじ きわこ、別名;志村 妙子、1943年12月2日 - 1992年10月13日)は、日本の女優。東京都中野区出身。

松蔭高等学校在学中の1959年に、東映ニューフェイスの第6期に合格。同期には千葉真一・亀石征一郎・真山知子・茅島成美・新井茂子・都築克子らがいる。東映と専属契約し、当初は志村 妙子(しむら たえこ)という芸名で映画に端役で出演していた。1962年高校卒業後、翌1963年東映を離れ俳優座養成所15期生入団、同期に前田吟・村井国夫がいた(ただし、1年留年したため卒業時は16期生)。『欲望という名の電車』の杉村春子の芝居に衝撃を受け、1967年文学座に入団した。同年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演。その演技を新藤兼人監督に認められ、1968年の『藪の中の黒猫』に抜擢されると、全裸もいとわぬ演技で一躍有名になった。

舞台女優として、「杉村春子の後継者」として期待されていた。

私生活では、俳優座養成所時代からの同期だった秋野太作と1974年に結婚するも、短期間で離婚。その他三國連太郎、中村勘三郎、尾上菊五郎、志村けんとのロマンスが取り沙汰されたこともあったが、「私はサービス精神がある限り、見ている人にこの人は帰ったら所帯があると思わせてはいけない」というポリシーを持っており、離婚後は生涯、独身を通した。また当時の女優としては池波志乃らと共に大変な酒豪で鳴らした。

1992年10月13日、静岡県伊東市での『唐人お吉』公演期間中の午前2時過ぎ、俳優三人が立ち寄ったスナックのママが運転する乗用車(トヨタ・スプリンターシエロ)が桟橋から海に転落する事故により死去。同乗者の外山誠二と大滝寛は泳いで脱出したところ、太地は泳げなかった上、乗車前に深酒をしていたことから生還できなかった。駆けつけた佐藤陽子は「死に顔は眠っているようだった」と語っている。48歳没。

太地の事故死直後、プライベートでも親友だったカルーセル麻紀が自身の舞台上で感極まり「喜和子ぉ!!」と絶叫しながら号泣した場面がワイドショー等で放送された。

引用元:太地喜和子 - Wikipedia






志村妙子



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