2021年7月24日土曜日

円谷浩



7月24日は、俳優の円谷浩の命日です。代表作に「宇宙刑事シャイダー」。2001年7月24日没。37歳。

円谷 浩(つぶらや ひろし、1964年3月8日 - 2001年7月24日)は、日本の元俳優。本名、円谷 寛(読み同一)。

東京都世田谷区出身。堀越高等学校卒業。円谷プロダクション芸能部を経て、楡プロダクションに所属していた。

ウルトラシリーズなどの特撮番組で知られる円谷プロダクションの一族出身であり、祖父は円谷英二、父は円谷一。また、円谷昌弘(円谷プロダクション第5代社長)、円谷英明(円谷プロダクション第6代社長)を兄にもち、妹には円谷一美(旧名:又紀仁美、シンガーソングライター)がいる。

高校在学中に、松田聖子主演『野菊の墓』(東映)のオーディションを受けるが、最終選考の手前で落選。しかしオーディションでの緊張感が忘れられず、本格的に役者を志す。高校卒業後、円谷プロダクションに入社。同プロダクション芸能部所属となり、1982年にテレビドラマ『特捜最前線』(テレビ朝日)のゲスト出演でデビュー。『高校聖夫婦』(TBS)の準レギュラーを経て、1984年には『宇宙刑事シャイダー』(テレビ朝日)で初主演を果たす。アクション俳優でないにもかかわらず、主人公・沢村大役を体当たりで演じた。

1985年に出演したNHK新大型時代劇『真田太平記』が転機となり、以降は活躍の場を京都中心とし時代劇への出演が増える。

1989年『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』(TBS)では、ウルトラマン=ハヤタ隊員役の黒部進をモデルとした黒河進役で出演する。『ウルトラマンダイナ』のミヤタ参謀、『ウルトラマンガイア』の田端健二と、一連の平成ウルトラシリーズでも重要な役を務めた。

しかし、俳優活動の中心であった東映京都撮影所では、健康管理に対する意識の低さから連日スタッフや共演者と飲む日々が続いた。このため肝臓を痛めてしまい、2000年に体調不良を理由に俳優を引退。同年4月より円谷プロダクション芸能部マネージャーを務めていたが、翌2001年7月24日、神奈川県相模原市の病院で肝不全のため逝去。37歳没。

引用元:円谷浩 - Wikipedia





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