2021年7月13日火曜日

丹波義隆


丹波義隆(右)、ミッチー・ラブ(左)

7月13日は、俳優の丹波義隆の誕生日です。1977年にスーパー戦隊シリーズ第2作「ジャッカー電撃隊」にて主役の桜井五郎(スペードエース)役を演じた。

丹波 義隆(たんば よしたか、1955年7月13日 - )は、日本の俳優。本名同じ。

東京都杉並区出身。東京都立杉並高等学校卒業、成城大学文芸学部中退。アルファワン・プランテーション→カートプロモーション所属。既婚。

俳優・丹波哲郎の長男。異母弟は森正樹。曽祖父は丹波敬三。先祖は丹波康頼(丹波氏)。父・哲郎が「義隆」を音読みにして「ギリュウ」と度々呼んでいたことから、これから転じた「ギル」というあだ名があった(千葉真一にもそう呼ばれていた)。

高校在学中の1973年、“製作費節約のため”という理由で出演を請われ、のちの丹波企画のプロデューサーが製作した大森健次郎監督第1回作品『二十歳の原点』(東京映画)に角ゆり子扮するヒロイン・高野悦子の弟役で映画デビュー。そのまま俳優を続けるつもりはなかったが、ついで岡本喜八監督の東宝映画『青葉繁れる』のオーディションに、父の職場を覗く程度の気持ちで受けたところ合格。名門高校の劣等生役で主演しユニークな個性を発揮した。1977年、『アラスカ物語』(映画)で、丹波哲郎と父子共演を果たしている。1975年、NHK連続テレビ小説『水色の時』でテレビドラマ初出演。以降、『Gメン'75』『見まわせば二人』などのテレビドラマに多数出演する。

1977年に『ジャッカー電撃隊』で主役の桜井五郎(スペードエース)役を演じた。

1989年、父・哲郎が製作した『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』で主演し、続編の『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』でも哲郎演じる主人公の若返った姿に扮し後半の主役を務めた。

1981年より、俳優養成所「丹波道場」の責任者となった。

引用元:丹波義隆 - Wikipedia





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