2025年1月11日土曜日

アブドーラ・ザ・ブッチャー



1月11日は、カナダ出身の元プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャー(Abdullah the Butcher)の誕生日です。ネイティブ・アメリカンの父親とアフリカ系アメリカ人の母親の間に生まれる。試合での流血の傷跡と地獄突き等の決め技、その反面愛嬌のあるルックスなどでお馴染みのプロレスラーだ。2012年1月2日に現役引退を表明。2019年2月19日にブッチャー現役引退セレモニーが行われた。

アブドーラ・ザ・ブッチャー(Abdullah the Butcher)のリングネームで活躍したラリー・シュリーヴ(Larry Shreve、本名:Lawrence Robert Shreve、1941年1月11日 - )は、カナダ出身の元プロレスラー。オンタリオ州ウィンザ-生まれ。

生年は1936年ともされる。ギミック上の出身地はアフリカのスーダン。日本でのニックネームは「黒い呪術師」、入場テーマ曲はピンク・フロイドの『吹けよ風、呼べよ嵐』。

プロレス界を代表する悪役レスラーの一人で、2011年にはWWE殿堂入りしている。来日回数は140を超えており、これは歴代外国人レスラーとしては最多である。また親日家であり、現夫人は韓国人と日本人のハーフでもある。

日本のプロレス界に一大旋風を巻き起こした悪役レスラーの一人である。全盛期のファイトスタイルはフォークなど隠し持った凶器で相手を流血させ、地獄突きなどの空手殺法から「毒針エルボー」と表現されたエルボー・ドロップでとどめを刺すというもの。1980年前後はマンネリ防止のためか、クラッシャー・ブラックウェルから伝授された山嵐流バックフリップをフィニッシュに用いていたが、定着はしなかった。空手七段という触れ込みであり、ブッチャーが息を吐きながら空手の構えをすると喝采が起きた。

『全日本プロレス中継』や大会パンフレット等では、しばしば「知名度No1外国人レスラー」と紹介されていた。大日本プロレス参戦時には、社長のグレート小鹿が『週刊プロレス』誌上で「集客力があるから(ブッチャーを)呼ぶんです。特に地方での集客が違いますね」と語っている。

相手を流血させるだけでなく、自らもよく流血した。そのため額は傷を負いすぎて皮膚が弱くなり、少し頭をぶつけただけでも流血するようになってしまった。その傷はブッチャーのトレードマークとなっている。クラブのホステスから「本物の血か?」と尋ねられた際、ブッチャーはカミソリを手に額を切り刻み、さらに針と糸で自ら縫い合わせたというエピソードがある。

来日の際にはしばしば老人ホームへ慰問に訪れている。近年の日本向けインタビューでは「親をリスペクト(尊敬)しろ。親を尊敬しない人間の面倒など誰も見てくれないぞ」「日本人はアメリカ風になりすぎて古い日本の良さを忘れている」など、悪役らしからぬ真面目な発言もしている。この発言は自身の引退セレモニーの挨拶でも見られた。

また、実業家の一面も持ち、かつてアメリカ・ジョージア州アトランタで「Abdullah the Butcher's House of Ribs and Chinese Food」というバーベキューレストランを経営していた。

引用元:アブドーラ・ザ・ブッチャー - Wikipedia



















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