1月5日は、キックボクサーの沢村忠(さわむら ただし)の誕生日です。60年代後半から70年代にかけてキックボクサーとして活躍した。沢村の半生を綴った漫画やアニメの「キックの鬼」の影響から世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。2021年3月26日、千葉県の病院で死去。78歳没。
沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2021年〈令和3年〉3月26日)は、日本のキックボクサー。剛柔流空手道参段。満洲国出身。本名:白羽 秀樹(しらは ひでき)。娘はタレントの白羽玲子。半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響により、世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。
1966年(昭和41年)4月に日本キックボクシング協会が旗揚げされ、リングネームを“沢村忠”として参戦。リングネームは、1964年(昭和39年)に空手道代表としてルンピニー・スタジアムでムエタイ選手と対戦してKO勝利した中村忠に由来する。野口はその強さにあやかり、「沢村忠」と命名した。
YKKアワー キックボクシング中継の実況をしていた石川顕(当時:東京放送アナウンサー)が命名した真空飛び膝蹴りや飛び前蹴りを武器にKOを重ね、活躍。1973年には三冠を達成したプロ野球の王貞治(読売ジャイアンツ)を抑え、日本プロスポーツ大賞を獲得した。
1976年(昭和51年)7月2日に最終試合を行い、翌年の10月10日に引退式を行った。最終成績は、241戦232勝(228KO)5敗4分(一説には500戦以上戦歴があるともされている)であった。
藤本勲との雑誌での対談等で、一時期「引退後、後遺症により精神病院に隔離」「死亡した」という説が出回り、沢村の活躍を知る年輩者には噂話として広まっていたといい、本人も居酒屋に行った際たまたま隣の人からその話題になり、適当に相槌を打って聞いていたというエピソードがある。
引退後は、格闘技界との関係を全て断ち切り、自動車の修理販売業を営むかたわら、子供達に空手を教えていた。パチンコ台販売会社・セイブシステムリンクの常務取締役でもあった。
2021年3月26日、千葉県の病院で死去。78歳没。前年夏に血痰が出るなど体調が悪化し、肺がんが進行した状態で見つかったという。その後は療養中だった。引用元:沢村忠 - Wikipedia
キックの鬼 - Wikipedia