2025年1月22日水曜日

高橋惠子 (関根恵子)



1月22日は、女優の高橋惠子(たかはし けいこ)の誕生日です。旧芸名は関根恵子(せきね けいこ)。1970年8月封切の「高校生ブルース」で関根恵子の芸名で主演デビューを果たす。その後の「おさな妻」や「太陽にほえろ!」の「シンコ」役でもお馴染みの女優。1982年の結婚を機に芸名も高橋姓に改名。現在も活動中。

高橋 惠子(たかはし けいこ、1955年〈昭和30年〉1月22日 - )は、日本の女優。血液型AB型 身長162cm。本名:同じ、旧芸名・旧姓:関根 恵子(せきね けいこ)。芸能事務所ブロウアップを主宰。

北海道川上郡標茶町字磯分内熊牛原野出身。小学6年生からは、東京都府中市で育つ。

1970年春の中学卒業と同時に大映へ入社、高校には進学しなかった。

デビュー作品は当初『おさな妻』で決定していたが、1970年8月封切の『高校生ブルース』に主演予定だった南美川洋子が降板したことから、代役に抜擢されて、旧姓(当時の本名)関根恵子の芸名で主演デビューを果たす。妊娠する女子高校生という当時としては衝撃的な役を演じた。さらに同年『おさな妻』でゴールデンアロー賞新人賞受賞。この頃、マスコミによる記事で奔放な不良少女のイメージが作られた。自分とは違うイメージが一人歩きしたことから女優引退を決意するが、引退作のつもりで臨んだ増村保造監督の『遊び』で増村の情熱に感動し、辞意を撤回した。

1971年11月末に大映が倒産したことにより五社協定が自然消滅し、東宝へ移籍した。翌1972年、『新・だいこんの花』にレギュラー出演し、竹脇無我の妻役を務めた(インタビューでは川崎敬三の妻役と答えているが本人の勘違い)。

同年7月から東宝と日本テレビが共同制作していた人気テレビドラマ『太陽にほえろ!』に、ヒロインである七曲署(ななまがりしょ)の婦人警官「シンコ」役で2年間レギュラー出演し、人気女優となる。

1973年、熊井啓監督の映画『朝やけの詩』に主演。

1974年3月、『太陽にほえろ!』で共演した松田優作の劇団「F企画」の旗揚げ公演「みやもと武蔵」で舞台デビューを果たした。

1977年、年明け直後からストレスがピークとなり、自己否定するようになった。同年春、睡眠薬を大量に服薬し、自殺未遂を起こした。その後、女優業を休業して、岐阜県の山村で晴耕雨読の日々を送った。

1979年の初夏に事務所に女優復帰を申し出て、7月21日初日の渋谷PARCO西武劇場公演『ドラキュラ』の舞台公演でのルーシー役が決まったが、演技に対して恐怖を感じて、7月20日、タイのバンコクに逃亡した。同年11月初旬に日本に帰国し謝罪会見を開いた。一時芸能界引退を決意するが、翌1980年1月に芸能界復帰会見を開き活動を再開した。民放のサスペンスドラマの愛人役で復帰。

1982年、にっかつロマンポルノ10周年記念の大作『ラブレター』に主演した。同作品はロマンポルノ史上最高の興行収入を記録した。『ラブレター』公開後、所属事務所との契約が切れる時期に、かつて『太陽にほえろ!』で共演した萩原健一からの誘いを受けて、比較的小規模の事務所に移ることとなった。

1982年、操上和美撮影のヌード写真集が発売された。同年三菱銀行人質事件を題材とした映画『TATTOO<刺青>あり』で映画監督の高橋伴明と知り合い結婚、同時に芸名も高橋姓に改名。ピンク映画の監督だった高橋伴明にとって、同作品は初の一般映画であった。以後は大人の落ち着きある女性の役柄を数多くこなしている。

引用元:高橋惠子 - Wikipedia





























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