12月6日は、俳優・歌手の鶴田浩二の誕生日です。1987年6月16日没。62歳。
鶴田 浩二(つるた こうじ、1924年〈大正13年〉12月6日 - 1987年〈昭和62年〉6月16日)は、日本の俳優、歌手。
昭和を代表する映画俳優の一人として数多くの映画やドラマに主演。戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた天賦の美貌で一躍トップスターに躍り出た。若いころは絶世の美男子としてアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争物でみせた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。また、歌手としても独特の哀愁を帯びた声と歌唱法で知られた。
1948年(昭和23年)、松竹入り。芸名の「鶴田浩二」は師匠の「高田浩吉」に由来する。映画界へ身を投じたものの、最初は大部屋に入れられた。いくつかの映画に端役で出演したが、すぐに頭角を現し、長谷川一夫主演の松竹『遊侠の群れ』で本格デビュー。1949年(昭和24年)、『フランチェスカの鐘』で初主演。佐田啓二、高橋貞二と共に松竹「青春三羽烏」と謳われヒットを連発。
1950年代に入っても甘い美貌と虚無の匂いを漂わせスター街道を上り続け、芸能雑誌『平凡』の人気投票で、2位の池部良、3位の長谷川一夫を大きく引き離しての第1位になる。マルベル堂のプロマイドの売上も1位となる。甘い二枚目からサラリーマン、侍、軍人、殺し屋、ギャングに至るまで幅広くこなす。
1952年(昭和27年)には戦後の俳優の独立プロ第1号となる新生プロ(クレインズ・クラブ)を興した。SKD(松竹歌劇団)のトップスター、ターキーこと水の江瀧子らが所属タレントとなった。恋人と噂された岸惠子と共演した、戦後初の海外ロケ映画『ハワイの夜』(新生プロ制作)も大ヒット。戦後最大のロマンスといわれた人だが、岸が所属する松竹はそれを許さなかった。鶴田は自殺未遂事件を起こす。同年、「男の夜曲」で歌手デビュー。歌手としてもヒットを飛ばし戦後の日本を代表する大スターとなっていく。
1963年(昭和38年)、『人生劇場 飛車角』に主演し大ヒットさせる。鶴田を主演で起用した岡田茂プロデューサーのカンのよさが、鶴田を任侠映画のスターに押し上げた。カムバックに成功し、ここから世に言う任侠映画ブームが始まる。
「人生劇場シリーズ」「博徒シリーズ」『明治侠客伝 三代目襲名』「関東シリーズ」「博奕打ちシリーズ」『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』、オールスターの「列伝シリーズ」の主演は特に有名。
1985年(昭和60年)に肺がんの診断を受けるが、本人には本当の病名が伏せられた。翌1986年(昭和61年)に病をおして主演したNHKのドラマ『シャツの店』が遺作となった。その後、闘病生活が続いたものの、1987年(昭和62年)6月16日に東京都新宿区の慶應義塾大学病院で死去。62歳没。引用元:鶴田浩二 - Wikipedia