12月14日は、歌手・俳優・タレントの「スターにしきの」こと、錦野旦(にしきのあきら)の誕生日です。
錦野 旦(にしきの あきら、1948年12月14日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。本名・錦野 明(読み同じ)。
旧芸名はにしきの あきら、父・母・弟・妹の5人家族。血液型A型。
アイドル歌手として1970年代初めから半ばにかけ、その精悍(せいかん)な風貌と抜群の歌唱力を武器に10代から30代の女性に人気を博す。特に芸能人大運動会(水泳大会含め)では、同期(1970年)デビューの野村真樹(野村将希)と共に抜群の運動神経を披露していた。1970年代後半は東映映画やドラマ等で活躍した。
1990年代以降はバラエティ番組で知られ、特に『『ぷっ』すま』では、常人には全く食べられないハチャメチャな料理をいとも簡単に平らげてしまうことから「鉄の胃袋の持ち主」の異名を得ている。
1961年、家族と共に韓国籍から日本に帰化。
アイドルとして人気絶頂にあった1972年、自身が帰化した韓国系日本人であることを週刊誌で公表している。「全アジアはひとつだと思っているし、秀吉の侵略以来自分たちは被害者なのだから、なぜ隠すのかよくわからない、隠す必要もないしわざわざ言うこともない、普通にとってくれればいい」と言う。
その一方で「過去、文化的に優位にあった朝鮮半島の出自であることに優越感を感じる」とも。
1970年の山村政明(帰化した早稲田大学学生)の焼身自殺は、直後に起きた三島由紀夫の死よりも衝撃だったと言う。錦野自身は帰化について、その国で生まれ、仕事をし、その国で死んでいくつもりなら、当然すべきことであると考えている。
デビュー時称されたキャッチフレーズは、「ソニー演歌の騎士(ナイト)」であった。1970年末放送のTBSテレビ「第12回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞。さらに同日、大晦日放映のNHKテレビ「NHK紅白歌合戦」(第21回)にも初出場を果たす。ブロマイド年間売上実績で第1位を獲得。翌1971年には「空に太陽がある限り」が、オリコンチャート週間最高3位(同年年間29位)の大ヒット、自身の代表曲とも成った。引用元:錦野旦 - Wikipedia