2023年3月3日金曜日

マッハ文朱



3月3日は、元女子プロレスラーで女優・タレント・歌手のマッハ文朱の誕生日です。

マッハ 文朱(マッハ ふみあけ、1959年3月3日 - )は、日本で活躍する女優・タレント・歌手。元女子プロレスラー。熊本県出身。身長180cm(1975年7月)。血液型B型。

元々歌手志望で、1972年、13歳で『スター誕生!』に出場し、第5回決戦大会(本戦合格者が出場する、芸能事務所・レコード会社参加の最終審査)まで進出したが、スカウトのプラカードは挙がらなかった。

1974年、15歳で叔父がゴルフをやっていた関係でゴルファーになることが決まっていたが、「女子プロレスラー募集」という週刊誌の小さい募集記事を見つけてきた姉に勧められ、一転して全日本女子プロレスに入門(結果的に芸能界に縁のあった者や志望者がプロレスに入門するというケースのはしりとなり、ミミ萩原、アストレスなどがそれに続いた)。

リングネーム「マッハ文朱」は、巴ゆき子の命名によるものであった。「タイグリスあかね」というリングネームに決まっていたが、マッハの強い希望で「マッハ文朱」になった。「マッハ」は何をするのも速いことから、「文」は本名から、「朱」は母におねだりして唯一買ってもらってよく着ていたセーターの色から。

長身、ルックスの良さ、もって生まれたスター性、前述のごとく歌も歌えることなどからすぐに注目され、旗揚げ後苦難が続いた同団体初のアイドルスター選手となり、従来の女子プロレスのイメージを変え、テレビでの人気も上がり、同団体の経営が確立した。圧倒的な体格・体力だけでなく格闘技歴があったため、相手選手を壊さないように気をつけながらリングに上がっていたと本人は発言している。

1976年、「マッハ文朱」を名乗ってからわずか2年8ヵ月でプロレスラーを引退。芸能活動を開始する。映画『トラック野郎・天下御免』(シリーズ4作目)に序盤のシーンで一番星号とワッパ勝負をする女ミキサー運転手として出演、菅原文太を投げ飛ばす。

1977年に東京12チャンネルと1年間に5試合限定の契約をしてリング復帰。全日本女子プロレス時代にちゃんとした引退試合ができなかったため、お礼や感謝の気持ちを伝えたいとの意向により、ファンを抽選で無料招待して異種格闘技戦を開催した。

1993年、大学関連の知人のホームパーティーで知り合った男性と結婚。1994年2月に長女、1995年8月に次女を共に台湾で出産。のちにアメリカに移住、2004年から10年ほどスポーツバーを経営。

2020年7月現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携をしている。

引用元:マッハ文朱 - Wikipedia











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