3月25日は、イギリスのミュージシャン・シンガーソングライターのエルトン・ジョンの誕生日です。
サー・エルトン・ハーキュリーズ・ジョン(Sir Elton Hercules John、CH CBE, 1947年3月25日 - )は、イギリスのミュージシャン、シンガー・ソングライター。出生時の名前は、レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。アメリカのビリー・ジョエルと共に、20世紀後半〜21世紀前半、ピアノ・ロックというジャンルを確立した。
1969年にソロ・デビュー。1970年の「僕の歌は君の歌」のヒット以降コンスタントに活動を続け、現在までに全世界で3億枚以上のレコード・セールスを記録した、世界で最も成功した男性ソロ・アーティストの一人である。作曲は彼自身によるものだが、作詞は1968年のデビュー以降その多くを盟友バーニー・トーピンが手がけている。
1970年代前半に、人気は全盛期を迎えた。シングルでは「ホンキー・キャット」「ロケット・マン」「クロコダイル・ロック」「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」「土曜の夜は僕の生きがい」「ベニーとジェッツ」ほか多数のヒット作を発表。1972年の『ホンキー・シャトー』以降、『ピアニストを撃つな!』(1973年)、『黄昏のレンガ路』(1973年)、『カリブ』(1974年)、『グレイテスト・ヒッツ』(1974年)、『キャプテン・ファンタスティック』(1975年)、『ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ』(1975年)が7作連続全米首位を記録し、1975年には『キャプテン・ファンタスティック』で全米ビルボードのアルバムチャート史上初の初登場1位を記録するなど、この時期に彼は数多くの成果をあげた。
活動休止期間を経て、トーピンと一時期決別してからは不遇の時代が続いたが、一方で1986年にはディオンヌ・ワーウィックらとのデュエット曲「愛のハーモニー」で初のグラミー賞を受賞している。1980年代後半から1990年代前半にかけては、喉の病気やアルコール、薬物依存症などに苦しみながらも、音楽活動と並行してチャリティーにも精力的に取り組むようになる。1990年代前半からは依存症を克服し、映画『ライオン・キング』のサントラなど数多くの仕事で成功した。1997年には、旧作の詞の一部を差し替え、事故死したダイアナ妃に捧げたシングル「キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997/ユー・ルック・トゥナイト」が、全世界で3,700万枚以上を売り上げるシングル史上最大のヒット曲となる。この記録は、2015年現在も破られていない。1998年2月24日には長年の功績を称えられ、ポピュラー音楽の音楽家としては3人目となるナイトに叙勲された。