3月16日は、元アイドル歌手(1978年から1983年まで)だった、能瀬慶子の誕生日です。
能瀬 慶子(のせ けいこ、1963年(昭和38年)3月16日 - )は、日本の元アイドル。現在は、吉田慶子(よしだけいこ)。文京区立窪町小学校、文京区立第一中学校、東京都立北高等学校卒業。東京都文京区出身。身長160cm、B80cm、W60cm、H84cm(1984年4月)。
千葉県に生まれ、東京都文京区で育つ。弟が二人居る。1978年(昭和53年)高校在学中に第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンで38700人の応募を勝ち抜き優勝。同年映画出演を果たし、1979年(昭和54年)にNAV(現・ポニーキャニオン)からシングル『アテンション・プリーズ』で、歌手としてデビュー。1年で4枚のシングルをリリースする。
さらに同年「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演、記憶喪失の少女・小池しのぶを演じた。ホリプロの先輩である山口百恵の代名詞とも言える「赤いシリーズ」への出演で、「百恵の妹」として期待された。
しかしながら歌手としても女優としても高い評価を得ることができず、「赤い嵐」での二重人格による豹変ぶりは当時話題となったものの、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」という演技がお笑い芸人などによってパロディのネタにされる状態であった。このためホリプロは能瀬の後輩である比企理恵や甲斐智枝美を重点的に売り出すことを決め、能瀬の芸能活動は実質1979年の1年のみとなってしまった。
1983年(昭和58年)20歳で引退した後、ミュージシャンと結婚し3児の母となった。
一時期、湯島天神太鼓保存会の一員として活動していた。
オールナイトフジ(フジテレビ)1987年生放送にスタジオ出演。湯島天神太鼓保存会女子の部リーダーとして鉢巻とハッピ姿でのソロ出演、デビューきっかけのオーディション番組の話からドラマ「赤い嵐」のエピソードとともに現在の近況を報告した。
'88夏休みスペシャル 思い出のアイドルスター大集合in大磯(1988年7月22日生放送、フジテレビ)※「アテンション・プリーズ」を生演奏で歌唱披露した。引用元:能瀬慶子 - Wikipedia