2022年5月18日水曜日

カルメン・マキ


カルメン・マキ「50th Anniversary Live~デラシネって半世紀~」インタビュー|孤高のボーカリストを50年以上にわたり衝き動かしてきたものとは? - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

5月18日は、歌手・ロックミュージシャンのカルメン・マキの誕生日です。

カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace、1951年5月18日 - )は、歌手、ロックミュージシャンである。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。

1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えない妖艶な雰囲気、歌唱力、哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、累計でミリオンセラーの大ヒット。この曲で第20回NHK紅白歌合戦に出場した。ステージにはジーンズ姿で登場し、司会者に「ジーパンもステージ衣装になる時代が来ました」と紹介された。当時の曲は、作曲は武満徹やクニ河内が、作詞は前述の寺山修司や谷川俊太郎が、手がけた。

これ以降も個性派歌手として活動し、6枚のシングルと3枚のアルバムをリリースする。前述の「時には母のない子のように」の他にも「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」と言ったヒット曲を出した。

1970年、写真集『篠山紀信集 NUDE』(篠山紀信)でヌードを披露。

1971年にコラボレーション・アルバムである『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。

1972年には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成。1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビュー。翌1975年1月にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。10万枚以上を売る。1977年の10月18日新宿厚生年金会館でのステージを最後に解散。その年の12月にはサードアルバム『III』を発表。前2作とは打って変わってポップな楽曲が並んだ。 また解散の翌年8月にはシングル盤として「私は風」、そして10月の解散ステージと同年5月の日比谷野外音楽堂のライブ音源を収録した『ライヴ』がリリースされている。

1980年には「カルメン・マキ&LAFF」を結成。同年『カルメン・マキ&LAFF』をリリース。1981年にヘヴィメタルバンド『カルメン・マキ&5X』へと発展解消。

1986年にはOZの初代ベーシストであった鳴瀬喜博や松本孝弘(のちにB'zを結成)などがいたセッションバンド、「うるさくてゴメンねBAND」に参加。ライブ活動を中心とする。

1993年に日本国籍を取得し、音楽活動を再開。現在も全国各地をライブハウスを中心に精力的に回っている。

引用元:カルメン・マキ - Wikipedia









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